前回の記事で書きました、大学時代の先輩(仙台在住)のアパートは電気が通るようになったそうです。

あとは、水道が通れば元通りとの事。

先輩の実家は南三陸町にあり、今回の大津波で家は無くなり、

ご家族はみな無事だったそうですが、

親族や旧友の安否は分からないそうです。

すぐにも駆けつけていきたくても、ガソリンが無い・・・

そんな状況です。


大津波で命を落とした方の事を思うと、中には一人住まいで、気にしてくれる人も近くに居らず、津波に呑みこまれてしまった方もいるのかも知れない。

今でも気にしてくれる誰かが居ない人もいるのかも知れない。

もちろんそれは想像の域を出ないのだけれども、そう、思いを馳せると悲しさが込み上げます。


私に何か出来ることがあるだろうかと被災地に行っても、目の前は甚大な被害で、作業をしてもしても無力さを感じてしまうでしょう。


今の日本のためだけでなく、10年後、100年後の日本のことを思ったら、
目の前の仕事(私に与えられた責任分担)を心を込めてやっていくこと、
今この世界、日本を見つめて涙を流される神様の心情を求めて、希望を忘れず祈りを止めないこと。

私のなすべきこと、そのように思います。


今日、文先生のみ言葉(マルスム)を読んでいました。善と悪について語られています。
日本人が他人に無関心になりかけていた現代、地震という出来事を通して、再び心を取り戻しつつある今なのではないでしょうか

心に残ったみ言葉なので、ここに書き写します。



全ての人間が兄弟姉妹という世界的心情を持たないと神の子女とはなり得ない。
世界を救うことが出来ない。
食口というのは素晴らしいんだよ。自分だけが良いものを食べるとしたら、胸がつまる。良いものを着る時も胸がつまる。良い床に寝るときも胸がつまる。寒さに震える兄弟、食べられない兄弟がいたとしたら胸がつまる。自分は、いっそ何もない方が安らかである。だからみんな与えてしまう。
それが善である。
悪は何か。
自分のために集め、自分さえ良ければいいという、これは悪だよ。
宗教家というものは一文も持たない。しかし、心の世界には天国を持っている。



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