音の底に潜む神様(第4回聖歌隊コンクール) | Petit Petit Happy Search(ぷちプチしあわせさがし)

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聖歌隊コンクール、今までこんなにも前向きな気持ちで向かうことができたでしょうか…というくらい今回の歩みは導かれていました。といっても今までと何も変わるところはなかったと負います。自分の足らなさにイライラしたり、使命感よりも義務感の方が先立ってしまったりしましたが、ずれたらずれたなりに軌道修正していくことができたと思います。アベルからも、2~3か月前はそういうことが起きると危なっかしかったけど、今は乗り越えてくれるだろうと信じて見ていられると言われました。
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電車の中から富士山がよく見えました。天晴れじゃ!!

コンクール本番までの間、色々なことが起きたのは私だけではなく、聖歌隊の兄弟姉妹それぞれが乗り越えるべきものを乗り越えてきました。それを全員で共有して、笑いながら、泣きながら歩んできた道、その背後には「この子なら見事にこの試練を乗り越えてきてくれる」という神様と真のご父母様の大きな願いがありました。そんな神様と真のご父母様にお捧げする讃美…教会で直前の練習を終え、いざ!時は来た!!と言わんばかりに出発していきました。

会場(松濤本部)に到着して、やや時間をおいて舞台上でのリハーサルに突入、ノープレッシャーのはずなのに体が少し硬くなってしまっていたような感じがしましたけど、何だか妙に楽しかったです。
そのリハーサルを終えてしばらくして、今度は地下の一室で行われる練習に向かおうとした時(だったでしょうか)、世田谷青年支部聖歌隊の姉妹が、私を見て「あ~ッ!!」と声を上げると同時に、目を“カッ”と見開いて、「(リハーサル)すごくキレイでした~」的なことを言って下さいました。突然の讃美、ノーマークだとどのように対応してよいのかわからなくなりますね。でも、嬉しいサプライズでした。ちょっと、びっくりしました。目の開きっぷりがハンパではなかったので、シバき倒されるのかと思いました(冗談です)。
聖歌隊のメンバーが再び集った時に上記の内容を話したのですが、外的なキレイさ以上のこと(神様と真のご父母様)を感じていただけるようにならなければならないということを言われて正されました(みんみさん、ありがとうございました。私、少し浮かれてました)。
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なんだかんだで時間が過ぎていき、客入れ、諸注意、開会…私たち(クレッシェンド)の出番は2番目でした。
舞台袖で出番を待っている間に考えていたことは、「1番最初に登壇する自分が今回の讃美の出来を左右する!!」、要するにどのような表情で向かっていくかということですが、あまり気にすることはなかったみたいです。
“神様と真のご父母様の前に讃美をお捧げできるだけでも幸せ”と思ったら異常なほど笑顔になっていくことができて、今にも声をあげて笑ってしまいそうになりました。全員が登壇する間、「早く!早く!歌おう」という思いで向かっていった課題曲の「聖歌3番」の讃美は終始笑顔!!韓国語歌詞の訳詞を思いながら讃美していく中で、「何て希望的なんだ~!!」と思いました。
続いて、課題曲は「感謝します」という曲、I姉妹の伴奏から始まり、姉妹のみのパートから兄弟が合流、「しかし願う道が閉ざされた時は 目の前が暗くなりました」という歌詞の部分は、本当に目の前が暗くなるような思いをした時のことが思い出されて、本気で泣きそうになりました。それを乗り越えていった先には神様と真のご父母様が共におられ、力を与えて下さっていた…というような曲(で合ってますか?)。讃美している途中(間奏の部分でしょうか)、一体化を感じました。I姉妹は伴奏を通して共に歌って下さっていて、今回共に讃美することができなかった紗南さんの意識を感じ取ることができました。現時点でやれるだけのことはやった感じがしました。だから、讃美を終えた後も笑顔でいられたと思います。

今回のコンクールには8つの聖歌隊が参加していきましたが、どの聖歌隊も違った味があって非常に素晴らしいと思いました。そして、讃美を通して神様と真のご父母様をこの会場にお迎えしているような感じがしました。
それにしても、課題曲は同じなのに…ひとつとして同じものがありませんでした。どれも間違いではなく、これが私たちの聖歌3番じゃあ!!というものを出していくことができたと思います。

そして、すべての聖歌隊が讃美を終えて結果発表…の前に総評です。
私たちの評価は…
・10人なのによくあの声量
・のばす音もキレイ
・課題曲は思わず涙
などなどでした。

男性は3人だったのですが、声がよく出ていたということでした。
その中で、「バスはひとりだったのかしら?」という問いかけ?に対し、私の中の何かが切り替わる感じがしました。おい、ちょっと待て!何をする気だ!?と思っているうちに「ハイッ」と言って手を挙げてしまいました。
「やってしまった…」
何のアピールだよ…と自分でも呆れてしまったのですが、会場から大きな拍手をいただいてしまいました。まさか、こんな恩恵が与えられるとは思いませんでした。そして、それを私以上に喜んで下さっていた方がいたこと。「号泣してしまった」と本人から直接聞いた時、「ホントかよ!?」という思い以上に「信じられる」と思いました。涙した跡があったわけではなく、それだけ投入して下さっていたのを知っているから。

実は、バスを歌うのは本当に自信がなくて(声質が違う/確実に無理矢理出さないと出ない音)、できれば避けて通りたいと思っていましたが、私しか動ける人がおらず、では仕方がないという動機からスタートしました。要するに“超”義務的、使命感はあまりありませんでした。音取りは空き時間を利用してコソコソと…全体練習では個人に充てる時間がなかったので、自分で課題を見つけて、自分で解決の道を模索しなければなりませんでした。でも、音に対する答え(この音で正解なのか?他のパートと調和が取れているのか?)がわからなかったので苦しかったです。だから当然腐りもしました。それは以前書きましたね。でも、練習を重ねていくうちに動機も少しずつ変化していき、最終的には“私を踏み台にして!!”という気持ちで、他のパートがのびのび歌うことができるように支えていこうという動機に変わっていきました。“ために生きる”ことで与えられる力…これを実感させるために神様は今回このような苦労をさせたのかもしれません。おかげで少し自信がつきました。

結果は2位、正直なところ、呼ばれるの1コ早い!!と思ってしまいました。当初掲げた優勝という目標には届きませんでしたが、その目標に向かっていくことによって得られた2位という結果、だからこそそれぞれが本気になって(今まで本気でなかったわけではありませんが)自己の限界を越えてひとつになっていくことができたと思います。

最後に、会場全体で聖歌3番を讃美していきました。神様とご父母様はこの光景を見てどれほど喜ばれるだろうと思ったら1番でギブアップ!!視界が歪んで、声が震えて歌えませんでした。

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