$ゲンキポリタン|愛と勇気の生活ブログ-Guy Bourdin: In Between


 アメーバに用意されている質問に、「Sですか?Mですか?」とあるように、自分にも、いくぶんかはサドマゾヒストの気があります。みなさんと同じです。認めようが認めまいが、たいていの人は痛みや苦しみに興味があるものです。

 そのままにしておけばいいはずの、かさぶたを剥がすとき、わくわく、ドキドキすることはありませんか?成人した現在はともかく子供の頃、スリルを感じたのではないでしょうか?

罪のない小鳥や池の魚をめがけて石を投げた子供の頃の興奮した記憶はありませんか?

 ミッキーやグーフィーのあどけなさの裏に隠された恐怖や不安に遊園地になぜ惹かれるのでしょう?映画館のスクリーンに映し出されるあふれんばかりの暴力は、趣味、年齢、社会的な役割や立場の関係なく見る者を魅了しています。破壊される側にも破壊する側にも誰もが感情移入します。

どのメディアより現代の映画ほどサドマゾヒズムの浸透度を如実に示しているものは少ないでしょう。テレビは、ドラマもニュースもバラエティも、それを追うように活動し、茶の間にどんどんサドマゾヒズムが入り込んできます。

 子供を虐待する親は、絶対数として、そうたくさんはいないものです。しかし、指で突付いたり、頭をなでるように叩くときに、あるいはくすぐったりするときも、やり過ぎは虐待と変わりません。馬鹿にしたような大笑いも、心を傷つける方法を教えるひとつなのです。食べすぎも同じです。家でもそうですが、食べ放題のレストランでやってしまう行き過ぎた行為も、身体を痛めつけるものです。

 そう、これらはどれも楽しい家庭団欒の光景に過ぎないのです。

 サドマゾヒズムとアンビバレンツを、幸福なシーンから私たちは学びながら、隠された欲望を満たしているのです。

 自分をいじめる習慣に注意したほうが良さそうです。

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