2011年3月24日、夜9時、僕は岩手県大槌町行きのマイクロバスに乗っていた・・・。


前日、友達であるミカジョン(PJ社長)が、東日本大震災以来、被災地に救援物資を直接届ける活動をしているので、その物資を一時集積してるonion inkへ、僕なりに届けて欲しい品物を持って行った。

その直ぐ後に、ミカジョンから電話があり、「ありがとう!ちゃんと届けて来るよ!今回が最後だからさ、テルも行く?」と・・・。

即答はできなかった。

未だに余震が頻繁である事と、津波で壊滅状態である場所へ訪問すると言う事が、僕の心に歯止めを利かせていた。

「ごめん、家族やメンバーに相談してからで良いかな?」

この時点で、僕は、行きたい気持ち半分、不安半分な状態ではあった。

でも、きっと行くんだろうなと思っていた。

直ぐにメンバーや会社に連絡をとり了解は得た。

快く送り出してくれた。

家族は・・・。

東京も原発の問題や余震、不安な夜を過ごす毎日・・・。

きっと、行かせたくはなかったんだと思う。

でも、僕の性格を知っているから、ダメとは言えなかったんだろう。

みんなの思いを背に、僕は次の日、出発地点であるonion.inkに向かった。


丁寧に仕分けされた物資が箱詰めされ、山積みになってる。

4tトラック1台分。

届け先の地名が段ボールに書かれていた。

見た感じでは3カ所。

今までに何度も被災地へ物資を送ってたのは知ってたんだけど、こんなにも大変な作業だとは思わなかった。

お米30kgが60袋くらいはあっただろうか?2lのペットボトル6本入りのミネラルウォーターも大量にあった。

テトリスのように、トラックの奥の方から順に積み上げられてゆく。

1つ1つ手渡しで運ばれる物資。

2時間かかってやっと全ての物資が詰め込まれた。

K1選手、通称「コヒ」ミスターストイックと異名を持つ、小比類巻 太信選手も手伝ってました。

それにしても、以前は、この4tトラック4台で被災地に行ってたというんだから驚いた。

こんなこと出来る人、なかなかいないよ。

日本中から集まった物資。

そして、仕分けを手伝ってくれたボランティアの方々、140名程って言ってたかな?

全て、twitterで繋がった人や気持ち。

ミカジョンの人柄ありきだとは思うけど、twitter、本当に凄い!

物資を送ってくれた人達や、集まった人達は「みんなジョイン」の活動に賛同した人達ばかり。

とても良いネーミングです。

ちになみに、ミカジョンとみんなジョインのtwitterのiconは、僕のデザインです!(何の自慢やら・・・)

さてさて、ひとまず、休憩しながらも、現地へ行く人達だけで作戦会議。(マイクロバス8人、4tトラック3人、計11人)

基本的には、ミカジョン宛にメールで助けを求めた避難場所やtwitterで物資が全く来ないと苦痛の呟きをしていた避難場所に物資を届けるのだが、相手が何を欲してるのか?受け入れ準備は整っているのか?など、情報収集は細心の注意を払ってる様子だった。

と言うのも、仕分けに手こずり、物資だけが溜まり、日本中から届く物資を置く場所がなくなり、受け入れ拒否をする所もあるようで、本当に物資を欲してる避 難所に届けられる為に、避難場所である学校と直接連絡を取り合ったり、物資収集を個人でやってる方と連絡を取り合ったり、とにかく大変そうだった。

ただ、物資を届けるのにも、色々と国に申請しなければいけない事もあるようです。

緊急車両の許可証を戴くのも大変だったとか・・・。

なので、今回のチームは、元自衛官の方がいたり、運搬のエキスパートがいたり、医師がいたりと、凄い面子でした。

この方達も、twitterで集まった方達ばかりでした。

その中での、僕の役目は、物資の荷下ろし&カメラマン。

そんな、メンバー全員に物資を届ける街の状況と大体の時間割を説明。

さて、出発って事で、onion.inkを出たのは9時半。

走行時間、予定では10時間。

行く先は、岩手県、大槌町。

街は、壊滅状態。

避難場所が点在し、物資が行き渡らない場所。

以前にも何度か、物資を運んだ場所のようです。

とにかく、走る!

何とも言えない不安が襲い、眠れない。

自分の心が耐えられるか?心配だった。

朝7時、花巻で高速を下り、そこから1時間走る。

途中、道の駅で休憩。

そこに新聞が無料で配布されてた。

自分達の力で卒業式。

文章読んで、泣けた。

頑張ってんなー。

そんな人達に、物資を届けて、少しでも安心して欲しいと強く思った。

東京を出て約10時間、街中を走って行くと突然景色が変わった・・・。

家が倒壊し、家の壁だけが残っている・・・。


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津波と火災・・・。

被害の大きさに言葉が出ない。

避難場所まで歩いて行くという、ご夫人2人に乗ってもらい、避難場所である役所へ。

高台にあったので、街が一望できた・・・。

何も無い・・・。

あったはずの街が・・・。

僕は、カメラを向ける事をためらい、ポケットから出せずにいた・・・。

撮れなかった・・・。

それほどだった・・・。

体育館に避難してる人達がいると言うので、是非、声をかけてあげて下さいと役所の方に言われ、僕は、どうして良いのか分からずのまま、案内されるままに歩いていた。

途中のホールで箒を持った中学生の女の子3人組が「TERUさん???」「え???なんで???」と嬉しそうに喜んでくれた事で、僕はやっと自分が出来る事を確信したのかもしれない。

女の子達と握手をして体育館に向かおうとしたら、ミカジョンが「ハグしてあげなさいよ!」と、ひと言・・・。

え???いやいやいや、彼女達も、年頃の女の子だし・・・ねえ?・・・。

しかし、照れ臭いながらも彼女達は「お風呂入れてないんで汚くてごめんなさい!」と。

そんな事言うなよ!ギューって感じで、こんな俺で本当に良いのかな・・・。

って、嬉しそうにしてくれてるし、良かったのかな?

あーこう言うのでも、元気になってもらえるんだなー。

そんなんしてたら、お婆ちゃんやお父さんお母さん達もたくさん集まって頂いて・・・。

写真撮ったり握手したり、ハグしたり。

小さい男の子が2人、ずっと手を握ってくれてて、離さない(笑)

そうこうしてたら、ファンクラブに入ってる女の子に会いました!

twitterも見てくれてるって。

もっと、たくさん話せたら良かったのに・・・。

初めて訪問した避難場所。

後ろ髪を引かれる思いで車に乗りました。

ファンクラブに入ってる女の子が携帯持って外で手を振ってくれてた。

また来たいと思った。

とにかく、今回はミカジョンの計画した行程通りに動くのみ。

ミカジョンに直接救済連絡があった場所に、必要な物資を届けに行く。

次なる場所は、PJの社員であるMAKIちゃんの実家がある街、赤浜町。

お母さんが、看護士と言う事で、今も赤浜で活躍中。

そんなお母さんが今お世話になってる従姉妹のお家へ物資を届けに行くんですが・・・。

お母さんの実家は、津波に流されてしまったようです。

この街、TVで見た事があります。

マンションの上に大型の船が乗っかってる映像・・。


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まだ自衛隊の方々が作業中なので、お家までは車が通れない状況って事で、一度、引き返し、小学校へ。

そこで、なんと、有名人に遭遇!!!

自分達の力で卒業式をした小学生!


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元気だった。

その子らと談話してたら、こんな会話が・・・。

「お金なんていらないよ。だって、お金があっても買うもんないもん。」

TE「じゃーなんか欲しいもんあるの?」

「うーん、ないかな・・・」

TE「じゃー、教科書買って送るよ!」

「いや、教科書はいらない(小学生全員爆笑)」

実に小学生らしい解答だった(笑)

「でも、有名になりたい!!!」

お母さんがまだ見つかってない子や、家が流されてしまった子。

そんな子達はもう、前を向いて進んでるんだと思った。

有名になって、何をするのか?

きっと彼らは、有名になって、何不自由の無い暮らしをしたいんじゃなく、人を幸せにできる有名人になりたいと言ってるんだと僕は思った。

彼らの笑顔は、曇ってなかったよ。

この子らが大きくなって、この街を再建して行くんだなー。

逞しい!

逆に元気貰った。

そうこうしてるうちに、お母さんがやってきて、自衛隊の方々の作業が、まだかかりそうって事なので、とりあえず徒歩で行こうってことになりました。

避難所から徒歩で10分程の場所にあるんですが、道中、お母さんから色んな話を聞きました。

倒壊した家屋の周りで、家族を捜す人を指差し、○○ちゃんの家なんだけど、まだ見つかってないのよ・・・。

ほら、あそこに私たちの家があったんだけど、津波でみんなやられちゃった・・・。

あそこ、堤防の門があるんだけど、青年団の人達が必死に門を閉じてくれたんだけど、そのまま流されちゃって、まだ行方不明なのよ・・・。

あそこの学校の体育館に避難したのに、みんな流されちゃった、幸い、あの木にしがみついてた人が助かったの。

僕は、返す言葉も無く、ただただ聞いてるだけでした。

津波に流された家屋の隙間をくぐりお家へ。

娘さん二人とお母さん、お婆ちゃん。

女性4人で暮らしてるようでした。

娘さん二人が、僕を見て喜んでくれた。

GLAY頑張って来て本当に良かった。

そうそう、先程の小学校でPJのMAKIちゃんが流暢な英語で街の被害を説明してた人がいたんですが、その人も一緒にきまして(笑)

名前はニック。

海外のジャーナリストと言ってました。

取材に来てるって。

ちなみにMちゃん、容姿端麗、かなりの美人です。

一緒に来たマネージャーのクマが、かっこいいかっこいいと何度も連呼してました(笑)

偶然、会って、英語を話せる人に会えて、そして、とても綺麗な女性で、本当に助かったって言ってました。

俺も取材されて、なぜ、有名なミュージシャンが皆と一緒に来たんだ?って聞かれたので。

「被害に遭った場所にも、僕らのファンがたくさんいる。だから僕は来た!」と言ったら、凄く納得してくれました。

そう、物資の運搬を手伝いながらも、僕が行く事で、被災に遭ったファンの方達に少しでも笑顔になってもらえたらって言う気持ちが強かった。

現に、ファンクラブに入ってくれてる子にも会えたしね。

ニックの取材を受けながらも雑談してたら、なんとお昼ご飯が・・・。

こんな貴重なものを・・・。

白飯につみれ汁。

もう、なんて言えば良いんでしょうか・・・。

どんなご馳走よりも、美味しかったです(涙)

この瞬間に、また絶対に来ようと思いました。

その時には、お礼の品を持って来ようと心に決めました。

この街が、もう少し復興して、新たな生活が始まった時、ギター1本かついで来ようと決めました。

食事を戴き、物資を置いて、そろそろ帰ろうか?と車に乗り込んだんですが、MAKIちゃんが心配だからここに残ると・・・。

そう、みんな心配でした。

と言うのも、物資を従姉妹のお家に運んでたら、色んな場所から人が出て来て、この物資をどうするんだ?と聞いてきまして・・・。

怖かったです。

軽トラに乗って来た人が止まり、下りて来て「ここに物資置くな、本部に持ってけ」と、横柄な態度で、説明を全く聞かず言いがかりを・・・。

お母さんが「本部に届いてるのに、ここまで回らないから、みんなが心配して持って来てくれてるんでしょうが!」「本部、何やってんのよ!」

そんなお母さんに対し、その人、五月蝿いハエでも追っ払うかの様に、片手でお母さんの顔の前を払い一瞥。

こんにゃろ!!!

さすがにこの瞬間、やばい、みんな切れそう・・・。

そこに入ってくれたのが元自衛官のYOSHI君。

「本部に渡す物資は、先程、自衛隊に渡しましたので、自衛隊に連絡をとって下さい!」

流石です!

冷静です。

なのに、「あっそう、じゃーこれ全部、このお宅のもの?こんなに?上にももう1カ所本部あるから、そこにも持って行ってよ」と・・・。

でも、お母さんが「そんなの知ってるわよ!全部把握してるのよ!」「本部、しっかりしなさいよ!!!」「本部、何やってるのよ!」と食ってかかる。

またその人が、片手でお母さんの顔の前を何度も払う。

そして、YOSHI君がお母さんをなだめる・・・。

そんなやりとりが10分程続きました。

物資の問題に関しては、これだけシビアになってるんだと思いました。

後で聞いた話ですが、物資欲しかったら本部まで取りに来て下さいと言われるようです。

取りに行けないお年寄りはどうするんでしょう?

奇跡的に家が残り、自宅で過ごしてる家庭はどうすれば良いのでしょう?

田舎町なので、移動する手段は車。

でも、ガソリンが無いから動かせない。

なので、物資が本部から届かない避難場所があるんです・・・。

この街だけで54カ所の避難場所があると言ってました。

一度も物資が届けられてない避難場所もあるようです。

ましてや、自宅にいる方達には・・・。

そんな場所を訪問し続けるお母さん。

ミカジョンが運んでくれる物資を受け取り、本部から届けられてない避難場所やご近所さんを優先的に分配してるようです。

この街で、この状態。

こんな街、たくさんあると思います。

この物資の問題が「市」レベルになると、より大きな問題になってると聞きました。

悔しさが込み上げますが、これが事実です。

こんな状態なので、この家に物資がたくさんあると知った人が、どんな行動をとるのか?

信用したいと言う気持ちもありましたが、1人でも多く家に残った方が良いと言う判断でMちゃんが残る事になりました。

心配です。

でも、明日には弟が帰って来てくれるようで、それまでは頑張ると言ってました!

みんな心配なんだけど、全員が残るわけにもいかず・・・。

その場をあとにしようとした時、犬を抱っこしたお婆ちゃんが、本部まで乗せて行ってくれと。

お婆ちゃんを乗せ、小学校へ向かう。

途中、献花をしたいので、ちょっとだけ海に寄って行くねとお婆ちゃんに伝えたら。

「下ろして・・・海、見たくないの・・・お願い・・・」

俯いて、怯えるように・・・。

お婆ちゃん大丈夫?

「ごめんね・・・海が怖くて・・・」

港の入り口で車を止めた途端、お婆ちゃんは小学校の方へ歩いて行きました。

送って行くからここで待っててね、と伝える間もなく・・・。

この街の方々は、海が大好きでここに住んでいたはずなのに・・・。

そんな海が、こんなにも怖くなるなんて・・・。

心に深く刻まれた恐怖。

きっと、これからは、そんな心のケアが大事になってくる。

僕らが出来る事・・・・。

歌を届ける事・・・。

お婆さん達の心のケアは、どういった方法があるのだろうか・・・。

現地に来て、現実を知る程、僕らが出来る事に限りがある事を知る・・・。

今は、twitterを通し、みんなに現状を伝える事で、関心を持ってもらう事が僕に出来る事。

僕は車に乗り、電波を受信できるようになってから、twitterで呟いた。


やっと繋がったー!支援物資、本部となる避難場所から先に行き渡らないのは、本部にいる人も多いからです。ガソリン足りないです。なによりも先ずはガソリンだと感じました。ガソリンがあれば、物資をとりにいけます。子供達、今は元気です!


バスに乗ってる時間は頭の中の情報を整理する時間。

これから、どんな支援をして行けば良いのか?

何を伝えたら、事の深刻さを伝えられるのか?

テレビで見るのと、現地に来て見るのとでは、全然違う。

きっと、あと2週間もすれば、大震災すら風化されて行く様な気がしてならない。

じゃ?何を伝えて行けば良いのか?

そんな事を考えながら、僕らは宿泊地である盛岡へ向かった。

ドライバーのアツシさんの実家があり、お母さんが住んでるとの事。

約3時間の移動です。

比較的、被害の少ない盛岡。

震度6ー7だと言ってましたが、倒壊してる家屋も殆ど無く、僕らが到着する頃には大通りのアーケード街がネオンでキラキラしてました。

東京でも最近は目にしない派手なネオンが、嬉しかった。

ホテルも予約してもらいマネージャーのクマと同室。

かなり居心地が悪そうだった(笑)

その夜は、みんなで焼き肉を食べお酒を飲み、今後出来そうな事を話しミーティング。

みんな、本気で復興を願ってる。

自分達の手で、少しでも復興の手助けが出来たらって真剣に思ってる。

この時点では、ファンの方達に不必要な心配はさせたくなかったので、被災地に訪れてる事は内緒にしてたんですが、もっと物資が必要である事や、これからは 個人の手助けが必要になっていく事などを考慮し、みんなにもリアリティーを届けたい、そして考える場を作って欲しいと言う願いを込め、被災地に来てる事を twitterにて伝えました。

そうしたら意外にも、心配すると言うよりは、やっぱり行くと思ってました!頑張って下さい!と、応援の言葉が返ってきまして、なんかホッとしました。

そうだよねー、REDRIBBONや夕張、宮崎口蹄疫と、僕が携った啓発運動を理解してくれて、賛同してくれたみんなだもんなー。

ファンの方達との絆、しっかりと感じられました。

ありがとう。

とにかく、みんな疲れた身体に、スタミナを注入するかのごとく、お肉パワーで充電完了!

そして作戦会議は終了。

ホテルに戻り、布団に入り、一瞬で寝てしまった。


東日本大震災の爪痕-2へ続く。