●「インターネット=良いこと」の幻想を捨てろ+チュニジアの革命
(小林恭子の英国メディア・ウオッチ 2011年 01月 19日) http://p.tl/qoyv

 ベラルーシ生まれで米国に住むブロガー、ユーゲニー・モロゾフという人が、ネット革命に懐疑的な本(The Net Delusion: The Dark Side of Internet Freedom)を出したという。
http://www.amazon.com/Net-Delusion-Dark-Internet-Freedom/dp/1586488740/
http://www.evgenymorozov.com/about.html

 この本をまだ読んでいないが、チュニジアの革命でフェースブックやツイッターなど、SNSが大きな役割を果たしたといえるのかどうか、つまり、「SNSで革命が起きた」といえるのかを、17日夜のBBCテレビ「ニューズナイト」が議論したときに、モロゾフ氏がゲストコメンテーターの一人として出ていた。

 自分は「ネットの普及=良いこと」という論調でこれまでいろいろ書いてきたので、はっとすることがいろいろあった番組クリップであった。

 以下はその中の抜粋である。

 まず、ワイヤードUKのデービッド・ローワンが、「ツイッターやフェースブックで暴動が起きたりはしないが、ある地域で、政府や企業に説明責任を果たさせる一つの方法になる」「また、傍流にいる人々に発言の場を与えるのがSNSであり、インターネット」という。

 「チュニス革命=SNSの勝利」とする一部の報道に水を差す発言をしたのが、オックスフォード・インターネット・インスティテュートのビクター・メイヤー=ションバーガー(Viktor Mayer-Shonberger)教授だ。「革命が起きるには様々な要素が複雑に絡み合う。ツイッターやフェースブックは1つのツールだったかもしれないが、どんな役目を果たしたのかはまだはっきりしていない」

 「イランの場合は、SNSを使って、野党勢力がすでに抗議をしたがっているような人々を対象に、デモをするようにと呼びかけていた。だから、ツイッターはすでにある意志を持っている人に、行動を起こす動機を与えるにはいいが、大きな運動を開始できるわけではない」。

 マイヤー=ションバーガー教授は、インターネットで革命が起きたという「ユートピア幻想を信じたがる気持ちが、社会の中にある」と指摘する。

 しかし、インターネットを使うのは市民ばかりでなく、政府側も使う。とすると、SNSなどを使うことで、当局にマークされ、拘束される事態もある。
 
 ネット革命に懐疑的な本を書いたユーゲニー・モロゾフ(Evgeny Morozov)と、ネットコラムニストのローリー・ペニー(Laurie Penny)がコメンテーターとして出演した。以下は司会者と二人のコメンテーターの会話である。
 
 -「ネットのユートピア幻想」とは何か?
 モロゾフ:1990年代から、インターネットでイランや中国などの抑圧的政府が崩壊するのではないかという見方があった。この見方はまだある。

―しかし、SNSがなかったら、イランやチュニジアでの市民の抗議デモは起きなかったのではないか?
 モロゾフ:国によって事情が異なるが、イランの場合は、いずれにしても、デモが起きていたと思う。デモの後に何が起きたかに注目するべきだ。 イランでは政府はSNSを使って、デモに参加した人を捕まえた。

―SNSがなかったら、チュニスで起きたような規模のデモは起きなかったのではないか?
 ペニー:ここ一年半ぐらいの間、世界中でSNSは重要な役目を果たしてきたと思う。しかし、興味深いのは、大きな技術革新が起きているので、その結果はまだ分からない。常に新しいことが起きているし、24時間サイクルのメディアがあるので、今起きていることをすぐにみんなが知りたがる。結果はどうなる、これからどうなるか、と。実際には、誰も分からない。だから、この段階で、(政府がインターネットを使ってデモに参加した市民を拘束しているからといって)インターネットが抑圧的だ、いや抑圧的ではないとは結論は出せない。事態はもっと複雑だろうと思う。

―しかし、事態を発酵させたのはネットではないか。古いメディア、例えばテレビは何もできなかった。ツイッターなどの情報を出すだけだ。
ペニー:それは違う。テレビは人々に力を与えるようなメディアではないからだ。今、このテレビ番組を見ている人は、私たちに声をかけることができない。「まてよ、私はこう思うんだよ」、とこちらに話しかけることができない。
 インターネットだったら、共同作業ができる。そこで、一人ひとりが、自分たちが関わっていると思える。「会話」に貢献できるし、抗議デモに参加しようと思える。

 モロゾフ:SNSの会話がテレビで放映されたりしたのだから、SNSとテレビの媒体がともに働きかけた部分も考慮しないと。SNSが何かを変えたのかどうかを判断するとき、デモだけを見てもだめだと思う。デモの結果、何が起きたかまで見ないと。

―政府がネットを使って世論を操作するようになった。中国政府が異分子を捕まえるために使うかもしれない。リスクがあるが。
ペニー:どの媒体にせよ、良いことのためだけに使えるなんて(ことはない)。インターネットほど大きな媒体が、ユニバーサルな良いことであるはずがない。インターネットはいつも変わっている。使う人はどんどん学んでいる。

―テレビと違って、ネット上の発言はネット空間に残るから、政府が捕まえて、人を投獄しやすい。こうしたリスクをどう思う?
ペニー:もちろんそんなリスクがある。そして、若い人の多くがネット上の機密保持に関してやや無防備となる傾向もある。しかし、だからといって、ネットを使ってデモを組織化するのが悪いこととは思わない。ツイッターに出した情報が、例えば非営利のウェブサイトにつながって、これを見て1万人がフォローするようになって、一体何が起きているのかと情報を交換するー。これは(SNS以前の世界と比較すれば)非常に重要な変化だと思う。


●チュニジア・ジャスミン革命の「意外」性
(Newsweek 中東徒然日記 2011年01月20日10時05分)http://p.tl/Ykmj

 チュニジアの政変には、驚いた。

 中東に長期独裁を問題視する声は多かれど、その崩壊劇がチュニジアで起きるとは、予想していた者は多くはなかったに違いない。

 報道では、フェースブックを始めとするメディアの役割に、今回の政変の意外性を見る分析が多い。だが、ネットが民衆運動に劇的な役割を果たしたのは今回が初めてではない。一昨年の六月、イランで大統領選挙の後、従来になく大規模な反政府デモが展開されたが、そこに集まった人々はツイッターやショートメールで情報交換した。2008年年末のイスラエルによるガザ攻撃の際、砲撃に晒されて家を出られないパレスチナ人がブログで伝えた「実況」は、世界を駆け巡った。

 中東は、近年ネットユーザー数の急増が、世界でも顕著な地域である。いまや国民の三人に一人はネットユーザーで、その数は十年前に比べて30倍以上に増えた。特にイランやシリアなど情報統制の厳しい国での増加率は100倍以上だ。同じように最新の通信手段を使いながら、イランでは政権交替まで行かず、チュニジアで大統領辞任まで発展したのはなぜか。情報通信手段の革新だけで説明できるものではない。

 むしろ今回の政変で意外なのは、反政府運動を主導するのにイスラーム主義系政党が前面に出ていない点だ。過去30年の間、中東で左派系、民族主義系の長期独裁政権に反旗を翻し、挑戦してきたのは、ほとんどがイスラーム主義系の政党だ。隣国アルジェリアで20年前に社会主義政権が崩壊したのは、総選挙でイスラーム勢力が勝利したことを契機とする。危機感を感じた当時のベンジャディード政権が、憲法停止など民主化に退行する手段をとり、イスラーム勢力と軍が衝突して凄惨な内戦が10年近く続いた。長年パレスチナの政治主流だったPLOに2006年に選挙で勝利したのは、イスラーム主義のハマースだ。独裁に反対し民衆運動を主導するのはイスラーム主義、と相場が決まっていた。

 一方で非イスラーム系のリベラル左派は、多くの国で力を失っていた。2005年エジプトでの総選挙は、左派系リベラル知識人が反ムバーラク市民運動を展開して注目されたが伸びず、イスラーム勢力の後塵を拝した。イラク戦争以降の数年は、米国の政策もあって中東の民主化が謳われた時期であるが、実際には思うように民主化は進まなかった。

 むしろ長期政権の統治手法は、どんどん巧妙になる。リベラル派のエリートは既存政権に取り込まれて、真っ向から挑戦する姿勢を失っていく。欧米諸国も最近は、民主化で不安定化したりイスラーム化したりするより、安定的な長期政権のほうが扱いやすい、というムードに逆戻りしつつあった。その矢先の、チュニジアの政変だ。

 崩壊した政権のあとが、どういう体制になるのかは、未知数だ。国外亡命していたイスラーム政党のリーダーも戻る。イラン革命のように後にイスラーム勢力が政権を左右することになるのか、それとも半世紀ぶりに左派系主導の「革命」になるのか。はたまたトップの挿げ替えで終わるか。権力の空白が略奪や無秩序を生んでいることは、戦後のイラクの混乱の再現をも予感させる。不安定と権力抗争という過去の繰り返しとなるのか。

 他山の石とハラハラしている周辺国の長期政権が、その教訓を「ベン・アリーは甘かった」と考えて一層統制を強めるのでは、との危惧もある。今後の展開に、目が離せない。



●アラブ世界で焼身自殺が流行?
(Newsweek 2011年01月18日 17時08分) http://p.tl/72N6
 エジプトで1月17日、首都カイロの議会の付近で男性が焼身自殺を図ったというニュースが流れた。AFP通信によれば「彼は下院議会前で自ら燃料をかぶって火をつけた」という。地元紙によれば、男性は「保安局の諸君、私の人権はこの国で失われた」と叫んでいたという。

 これは一種のトレンドなのか。昨年末からチュニジアで続いている暴動の発端も、モハメッド・ブウアジジという男性の焼身自殺だった。彼は大卒だが路上の物売りをしており、地元警察からの嫌がらせに耐え切れず、自らに火をつけて命を絶った。

 アルジェリアでも先週から、自国経済の劣悪さに抗議するために合計4人が焼身自殺を図った。17日にはモーリタニアでも同様の事件が発生した。

 こうした自殺の方法は恐ろしい反面、ある種の感動も呼び覚ます。命がけで人々の興味と嫌悪、さらには同情をかき立てるショッキングな方法だ。

 長年チュニジアで事実上の独裁政治を行い、1月14日に国外逃亡して「元」大統領となったゼイン・エル・アビディン・ベンアリですら、自殺を図った男性を案じて病院を訪れた。さらに国営メディアに命じて訪問の様子を伝えさせた(とはいえ、こうした行動もチュニジア国民の心には響かなかったようだが)。

 先ごろエジプトのアハマド・アブルゲイト外相は沈痛な口調で、チュニジアで起きているような抗議行動がエジプトにも広がるという憶測を否定した。「幻想を広め、混乱を拡大させようとする者は、目的を達することなく自らを傷つけるだけに終わるだろう」

 本当にそうだといいのだが。

──ブレイク・ハウンシェル



●チュニジア「ツイッター大臣」の正体
(Newsweek 2011年01月19日15時29分) http://p.tl/HNWV

 暴動によって23年以上に及んだ独裁政権が倒れた先週のチュニジアの一件が本当に「ツイッター革命」と呼べるかどうかは議論の余地がある。だが少なくとも1人のツイッター革命児がこの国の新政権に加わったことは確かだ。

 先週のデモの最中に逮捕され、その後釈放された民主化活動のブロガーでツイッタラティのスリム・アマモウが、新政権で青少年・スポーツ担当大臣として閣僚入りすることになった。アマモウは「海賊党」の党員であることを自称している。同党はスウェーデンで発足し、今では世界各国で政治活動を進める団体。インターネット上の透明性を推進し、知的財産権に反対することで知られている。

 ニュースブログのトーレント・フリークはこう伝えている。


 アマモウが若者・スポーツ担当大臣に任命されたのは、彼がインターネット上で築き上げてきた高い評判のおかげだといえるだろう。チュニジアで起こった今回の政権崩壊劇では、インターネットが重要な役割を果たした。

 ソフトウェア会社「アリクシス」で開発チームを率いるアマモウは、ツイッターで自らを「反・検閲、反・知的財産権の旗手」であり、「インターネットにおける中立性の賛同者」だと語っている。海賊党の主張に沿った発言だ。

 トーレント・フリークはアマモウとの接触に成功。彼は閣僚指名に興奮を隠せない様子だった。

 インターネット上の権利もそれ以外の権利も含め、自らの権利を守るために立ち上がったチュニジア人たちに祝福を送りたい。彼らの力が明るい未来につながることを祈ろう。

 
 スウェーデンとスイスの海賊党は、内部告発サイト「ウィキリークス」にとっての貴重な支援者でもある。彼らにサーバーやホスティングサービスを提供してくれているからだ。

■ネチズンの声を重大視した新政権

 アマモウが閣僚の立場から海賊党の主張を提言できるのかどうかは定かでない。そもそも、既に3人の閣僚が辞退したこの新政権がいつまでもつのかもわからない。だが彼が閣僚に任命されたことは、チュニジア政権がネット上での抗議運動を極めて真剣にとらえていることの表れのようだ。

 アマモウは今後、ネット上での影響力を失っていくかもしれない。彼が不人気な新政権に加わったことで、さっそく多くのチュニジア人がネット上で彼を攻撃し始めている。

 彼がどれほど長続きするにせよ、世界に散らばる海賊党の政治家の中で、今のところアマモウがナンバーワンであることは間違いない。

──ジョシュア・キーティング




●インターネットが国を変える日 -ジャスミン革命-
熊谷豪
(2011年1月21日 10:59) http://p.tl/5BrL

世界で6番目に出来た国家、カルタゴが前身の国、チュニジア。
先日この国で革命が起きました。その革命をジャスミン革命と呼びます。

この革命は今までの革命とは少し違いました。
Facebook、Youtube、twitter、WikiLeaksといったネットメディアによる情報交換が力を発揮した革命なのです。

チュニジアとは

恐らくサッカーが好きな人であればご存じかもしれませんが、日本は2002年に決勝トーナメント出場をかけチュニジアと対戦しています。この試合で勝った日本は、無傷でH組1位通過を決めました。日本の決勝トーナメント進出により日本中が歓喜に包まれ、トルシエ・ジャパンが新たな歴史を築き、日本サッカーが世界に新たな一歩を踏み出しました。

と、少し脱線してしまいました。サッカーの話はここまでにして。

チュニジアは、北アフリカのマグリブに位置する共和制国家。アフリカ連合とアラブ連盟と地中海連合とアラブ・マグレブ連合に加盟しており、最も早く「アフリカ」と呼ばれ、アフリカ大陸の名前の由来になった地域になります。

チュニジアは19世紀にヨーロッパに支配されていましたが、20世紀に独立します。
そして、独立直後に王政から共和制に変わり、30年間ブルギーバ大統領が政権を握り続けましたが、1987年ベン・アリーが新大統領になり現在に至ります。

こんな感じで、まずはざっくりと。

ベン・アリー大統領の手腕

ベン・アリーは大統領に就任した際に、最初の演説で国民に「信頼、安全、平穏な状況」での新体制への協力を呼びかけ、「祖国の独立、その進歩の維持」が全国民の責務であり、各人は「責任ある民主主義」の枠内において、「国民主権」を尊重して国家を統治しなければならないと表明しました。

例えば、1988年に憲法を改正して複数政党制を認め、経済面でも世界銀行の構造調整計画を受け入れて経済の再建を行い、1970年代半ばから続いていた政治的危機も克服します。

また、大統領選挙では、国民の圧倒的多数の支持を得て大統領に再選されています。同時に行われた議会選挙では、与党立憲民主連合は141議席を占めました。フランスの社会政治研究センターは、「民主主義・人権」国際賞を授与しています。以後、再選を重ね、2009年10月25日の大統領選挙では89.62%の票を獲得しているのです。

チュニジアの経済状況

チュニジアの経済状況ですが、国民1人当たりの収入は2000ドルと、アフリカ国家としては生活水準は悪くありません。また、他のアフリカ諸国と比べて貧富の差はひどくはなく、貧困ライン以下の者は20人に1人程度と言われています。財政赤字も小さく、児童の就学率は先進国並。女性の社会進出も各方面で見られ、アラブ諸国のうちでは最も進んでいます。
チュニジアの経済的成功を考えると、大統領としての手腕は素晴らしいと言えるでしょう。
なぜ、そんなチュニジアで革命が起きたのでしょうか。

ベン・アリー大統領の強権政治

一方で、政財界の癒着、警察の取締り強化、反対勢力狩りといった権威主義が蔓延っていました。警察官の数は数ヶ月の間に2万人から8万人に増え、政治結社は禁じられ、思想犯の監禁を認め、拷問は日常茶飯事だったと言われています。

外国の新聞は必ず検閲を受け、野党の党員は監視下に置かれ、ベン・アリー大統領の「民主憲法連合」の前には無力となっていました。「民主憲法連合」が国会議員の88%を占めていました。

チュニジア政権は、経済自由化の成功と無知蒙昧の撲滅を口実として、民主主義勢力に対する抑圧を続けていたのです。

ジャスミン革命の発端

2010年チュニジアでは、失業率の上昇や物価が高騰しました。経済の安定が救いだった国の安定基盤が崩れ始めました。そんな中、ある事件が起きます。
スィディ・アブー・ゼイド市でムハンマド・アル=ブーアズィーズィー青年が失業と警察の抑圧に絶望し自らの体に火を放ったのです。このニュースは同国で同じ境遇にある若者たちの同情を買いました。
そんな折、ウィキリークスでベン・アリー政権の外交文書が公表されてしまったのです。

ネットメディアの役割

チュニジアでは6歳から16歳までの初等教育と前期中等教育が無償の義務教育期間となり、15歳以上の国民の識字率は74.3%(男性:83.4% 女性:65.3%)と高い教育水準があります。

そして、チュニジア人のおよそ18%がFacebookユーザーと言われ、政府からはブロックされていませんでした。

このような事件が起き、多くのチュニジア人が抗議活動に関するアップデートをFacebook上で共有し始めます。Facebookやyoutubeが動画を広げ、twitterがメッセージを広げていったのです。この勢いはあっという間に国を覆い尽くします。

そして、反政府暴動が国内全土に拡大し、軍部の離反により、ベン・アリーはサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊しました。

これがジャスミン革命の内実です。
ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名されたのです。

最後に

今回の革命は、今まで弾圧されていた活動が、インターネットメディアにより組織化されて起きた革命と言えるでしょう。政権がいかに言論を統制しようとしても、草の根的なネットの情報網が統制を突破するのです。

そして、この革命はアラブ世界でデモが政府を転覆した最初の事例となります。チュニジアの様に、モロッコ、アルジェリア、エジプト、ヨルダンなどの国々が高失業率、食品インフレ、警察権力の過度の行使、人権侵害などの問題を抱えています。こういった国にも同じ動きが波及するとも限りません。厳しい情勢が続きそうです。

今回の革命から分かることは、インターネットが国を動かす時代が来ているといっても過言ではないということです。
しかし、間違えてはいけないのは、インターネットが革命の原因では無いということです。あくまでも国や人々の抱える問題があり、インターネットがそれを広げるツールになったに過ぎないということです。

逆に、行動を生み出す人々の心が平和であれば、草の根的なネットの情報網が平和を広げることもできると私は信じています。



●決して最先端ではない、けれど日常生活で人びとの役に立っているIT技術を探していきます。

チュニジアの「ジャスミン革命」は「ソーシャルメディア革命」と呼べるのか?
(シロクマ日報 2011/01/16) http://p.tl/cvBb

昨日も取り上げた、チュニジアの独裁政権崩壊。ネット上では「ジャスミン革命」と呼ばれるようになっているようです:

■ 【チュニジア政権崩壊】政変は「ジャスミン革命」 ネットで命名 (MSN産経ニュース)

 民衆蜂起により23年間続いた強権的なベンアリ政権が崩壊したチュニジアの政変が、インターネット上で「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。ジャスミンはチュニジアを代表する花。

 呼称が定着するかどうかは不明だが、今回の政変ではツイッターやユーチューブ、フェースブックといったネットメディアがデモ動員に大きな役割を果たしたことが特徴だ。

引用箇所でも解説されている通り、また昨日の記事でもテーマにした通り、今回の「革命」には各種ソーシャルメディアやリアルタイムウェブが重要な役割を果たしたと言われています。そんな理由から、ジャスミンならぬ「Twitter革命」「Facebook革命」などという呼び名も聞かれるようになってきました。

Internet World Statsのデータによれば、チュニジア国内のネットユーザーは約360万人で、人口全体の34%にあたります。Facebookユーザー数は約160万人で、人口比ではおよそ16%。各種メディアでもだいたい同じ数値が紹介されているようですね。いずれにしても、ネットやソーシャルメディアが影響力を発揮したとしても驚きではないでしょう。

その一方で、昨日の記事とは矛盾するような内容になるかもしれませんが、「本当にTwitter/Facebook革命と呼べるのか?」という声も出てきました。例えば:

■ Was What Happened in Tunisia a Twitter Revolution? (GigaOM)

The reality is that Twitter is an information-distribution network, not that different from the telephone or email or text messaging, except that it is real-time and massively distributed ? in the sense that a message posted by a Tunisian blogger can be re-published thousands of times and transmitted halfway around the world in the blink of an eye. That is a very powerful thing, in part because the more rapidly the news is distributed, the more it can create a sense of momentum, helping a revolution to “go viral,” as marketing types like to say. Tufekci noted that Twitter can “strengthen communities prior to unrest by allowing a parallel public(ish) sphere that is harder to censor.”

So was what happened in Tunisia a Twitter revolution? Not any more than what happened in Poland in 1989 was a telephone revolution. But the reality of modern media is that Twitter and Facebook and other social-media tools can be incredibly useful for spreading the news about revolutions ? because it gives everyone a voice, as founder Ev Williams has pointed out ? and that can help them expand and ultimately achieve some kind of effect. Whether that means the world will see more revolutions, or simply revolutions that happen more quickly or are better reported, remains to be seen.

現実はこうだ。Twitterは情報配信ネットワークであり、電話やメール、テキストメッセージなどと大差はない。しかしリアルタイムに無数の人々に情報が届けられるという点は別だ。チュニジア人ブロガーが投稿したメッセージは、何千回とリツイートされ、地球の反対側まで一瞬のうちに到達する。これは非常に強力な力となり得るだろう。なぜならば、ニュースが速く伝えられるようになればなるほど「勢い」が感じられるようになり、マーケティング系の人々が好きな言い回しで言えば、革命が「あっという間に広がる」ようになるからだ。Tufekci(Zeynep Tufekci、メリーランド大学の社会学者)は、Twitterは「検閲されにくい、新たな公共(的)空間をつくり出すことで、混乱に先立ってコミュニティをより強固なものにすることができる」とツイートしている。

それでは、チュニジアで起きたことはTwitter革命だったのだろうか?答えはノーだろう(1989年にポーランドで起きたことを「電話革命」と呼ぶだろうか?)。ただTwitterやFacebookなどのソーシャルメディアツールは、革命に関するニュースを広めることにおいては非常に役立つという点は事実だ。なぜならばTwitterの創業者、Ev Williamsが指摘したように、ソーシャルメディアは人々に声を上げる手段を与えるからである。そして人々が手を広げ、最終的に何らかのゴールを達成することを手助けする。それが何を意味するのか――今後より多くの革命を目にすることとなるのか、それとも単に革命のスピードが速まり、情報が外部へ伝わりやすくなるだけなのか――それはまだ分からない。

これは「ツールと原因を混同してはならない」という議論と言えるでしょうか。確かに今回、オンラインツールがあったおかげで、政府に対する抗議活動(これまでは弾圧されて終わりになってしまっていたもの)が組織化されるようになったことが指摘されています。だからといって、TwitterやFacebookが革命の「原因」をつくったわけではありません。それはあくまでも20年以上続いた独裁政権に対する不満や、直近に起きた焼身自殺事件への怒りなどでしょう。クレイ・シャーキーも著書『みんな集まれ!』の中で類似事例を分析した後、あくまでソーシャルメディアは状況を後押しするだけのツールであり、行動を生み出す原因は人々の側にあることを論じています。

■ Tunisia: Can We Please Stop Talking About 'Twitter Revolutions'? (Radio Free Europe/Radio Liberty)

First off, it looks like social media did have an important role to play here. An estimated 18 percent of Tunisia’s population is on Facebook and, left unblocked by the government, it was a place where many Tunisians shared updates pertaining to the protests. As Ethan Zuckerman has pointed out, the video-sharing sites Dailymotion and YouTube were also important. And with a paucity of on-the-ground media coverage, Twitter excelled as a medium in getting the message out, in driving mainstream media coverage, and in connecting activists on the ground with multipliers in the West.

Revolutions, of course, are notoriously slippery customers to evaluate. As Juan Cole writes, "Revolutions are always multiple revolutions happening simultaneously." It's difficult enough looking at revolutions from years ago and attributing relative importance to each of the many factors, let alone when people are still on the streets and chaos reigns. When you look at the complex mix of factors in Tunisia -- the economy, a frustrated over-educated, unemployed middle class, the trade unions, rampant censorship and government corruption, and, yes, social media -- establishing a single cause for the revolution, especially for something as marginal for most Tunisians as WikiLeaks, seems preposterous.

最初に、確かに今回のケースではソーシャルメディアが重要な役割を演じたように見える。チュニジア人のおよそ18%がFacebookユーザーと目されているが、政府からはブロックされておらず、多くのチュニジア人が抗議活動に関するアップデートをFacebook上で共有していた。Ethan Zuckermanが指摘したように、動画共有サイトのDailymotionやYouTubeも同様に重要だった。現地からの報道が不足している状況では、Twitterはメッセージを発信し、主要メディアの報道を促し、現地の活動家と西側の支持者を結びつける上で優れたメディアとなった。

ご存知の通り、革命を評価することは非常に難しい。Juan Coleが書いているように、「革命というものの中では、常にいくつかの革命が同時に発生しているのだ」。何年か経過した後であっても、革命を見直し、無数の要素がどの程度重要だったのかを評価することは非常に難しい。ましてやまだ通りに人々があふれ、混乱が支配しているような状況ではなおさらだ。チュニジアの中では、様々な要素――経済、知識層の不満、中流階級の失業、労働組合、検閲の蔓延、政府の腐敗、それからそう、ソーシャルメディア――が絡み合っている。その状況を見れば、たった1つの要素(特にウィキリークスのように、大部分のチュニジア人にとって些細なもの)を革命の原因と見なすことが、いかにばかげたことか分かるはずだ。

こちらは何か1つの要素で革命のすべてを語ることはできないという、改めてごく真っ当な指摘です。今回のケースでも、Wikileaksによる政府腐敗の暴露、青年の焼身自殺、そしてソーシャルメディアなど、象徴的な出来事がいくつか存在していますが、当然ながらそれらを切り離して考えることはできないでしょう。

しかし私たちの頭は、分かりやすい説明、そして自分が聞きたいと思っている説明を求めます。「私が日頃から重宝しているTwitterが、Facebookが、チュニジアで革命を起こした」――そう考えられればスッキリと満足できるでしょう。それを意識的に否定し、様々な角度から出来事を捉えること。それが私たちに求められていることだと、自戒の意味も込めて書いておきたいと思います。


●チュニジアの「ジャスミン革命」をどう読むか 宮崎正弘

(杜父魚文庫ブログ 2011.01.17) http://p.tl/UVfb

歴史上はじめての「インターネット・フリーダム」とアラブ世界。暴動から流血、国家元首逃亡。政権が転覆。北アフリカの独裁国家チュニジア。23年に亘るベンアリ大統領の独裁は「警察国家」と言われたが、それゆえ表面的には治安が良かった。

町のいたるところでベンアリ大統領の肖像が飾られ、あたりを睥睨していた。見えない監視の目がたえず国民を見張っていた。これはイラクのサダム・フセイン独裁下のバグダッドに酷似していた。

昨年師走からの騒擾、反政府デモは29日間にわたって繰り広げられ、血の弾圧が強化されていた。ところが反政府勢力がまたたくまに首都を席巻し、ベンアリは大統領機で国外へ逃げた。抗議デモに対して軍が発砲しなかったからだ。

ベンアリ独裁政治は終わりを告げた。西側はこれを「ジャスミン革命」と名付ける。アラブ世界は、「チュニジアのインティファーダはアラブ世界に拡大する」と歓迎した。

この政権転覆を明日の我が身と身構えるのはエジプト、リビア、イエーメンそしてスーダン。なかでも正月元旦にキリスト教徒がテロの犠牲となって治安が悪化しているエジプトが最悪の危機意識を抱いているだろう。

暴動を鎮圧できず、大統領の逃亡劇というのは、キルギスで二回繰り返された。その後、ネパールで国体が転覆した。

無血革命はチェコで起きた。中国とウズベキスタンは、権力側が発砲し、人民を血で弾圧し、体制はもとの独裁に戻った。

▼チュニジアの矛盾を指摘していたウィキリークス

じつはウィキリークスは、チュニジアの政変の可能性を予告していた。チュニスの米国大使館発公電は「ベンアリ政権の独裁と腐敗がますますすすみ、しかし貿易は自由であり、経済活動は活発。欧米はテロリスト対策から、この独裁政権を支援し、テロ戦争への協力を称賛するという二律背反」と指摘していた。

現実には04年に訪米したベンアリをブッシュ大統領(当時)はホワイトハウスに招き、テロ戦争への協力をほめ、08年サルコジ仏大統領も同様の外交を行った。

「チュニジアの世俗主義と自由貿易は独裁体制のごまかし。欧米の優柔不断な外交が、23年にもわたる独裁政治を許したのだ」とアラブ世界は手厳しく、一方西側のジャーナリストらも「2009年報告書では「チュニジアがもっとも危険」としてきた。

ベンアリ独裁政権はインターネットを監視してきた。05年に米国産のソフトを導入し、ネットの情報をモニターしてきた。OpenNetInitiative(ONI)と呼ばれる監視ソフトは中国やイランにも導入されており、その管理レベルは中国、イランと同じレベルと言われた。

そしてこれらの監視を突き破ったのはツィッターとフェイスブックの普及だと言われる。

独裁者は去っても旧独裁レジュームは温存、もう一度、流血劇か政治刷新か

首都のチュニスからベンアリ大統領はサウジアラビアへ亡命した。町は落ち着きを取り戻したかと言えば逆で、あちこちで銃撃戦が続いている。旧独裁システムのなかの内務省、警察らが、軍と対峙しており、反政府勢力も一本化しないため混乱は納まりそうにない。

チュニスには「権力の空白」という奇妙な空間が産まれている。政治空白は陰謀を産みやすく、次にやってくるのは、「希望か、それとも恐怖か」。チュニスは二千年前のいにしえ、貿易力国カルタゴが栄えた。

「希望」のシナリオは「この政変は北アフリカ(マグレブ)とアラブ世界へ民主化のドミノの基点となる」というものである。

抗議デモの発端は留学帰りの学生が中心となってツィッターとフェイスブックで呼びかけた。北アフリカのなかで、チュニジアは中産階級が比較的多く、教育水準も高いため、民主政治への移行も円滑に行われるだろうというのが希望シナリオの楽観的要素である。 

或いは「恐怖」のシナリオは、これまで行政を兼ねた独裁レジュームの崩壊は、「マグレブのアルカィーダ」の跳梁跋扈を産みやすい。

かれらは資金が潤沢とされ、騒擾の不安定状況につけこむのは容易である。しかしイェーメンやスーダンのような貧困と無知が社会を支配しておらず、世俗イスラムが圧倒的であり、このシナリオはやや実現に遠い。

もう一つのシナリオは旧レジュームを支配した秘密警察の見えない底力である。この為に混乱が長期化するという見通しがある。筆者はどちらかといえば、このシナリオの蓋然性が高いと予測している。

理由はチュニジアでは警察のほうが軍より強く、秘密のネットワークを広げて国民を監視してきた秘密警察はまだ温存されているからである。

かれらは、特権階級に繋がり、またベンアリ一族は銀行の半分を経営し、大学の半数をも支配してきた。この富の後継をかれらは狙う以上、簡単な政権移行には暴力的にでも抵抗するだろう。

▼亡命していたチュニジア指導者も帰ってくる

民主化の動きははじまったばかりである。労働組合とイスラム過激派、野党の三つが入り交じって次期政権確立への抗争を同時に始めており、メバザア暫定大統領(下院議長)は事態の収拾にガンヌーシ首相を任命、「60日以内の選挙」を謳った。

しかしこの不安定な現状ではとても60日以内の大統領選挙は無理であり、混乱は深まり、騒擾が悪化し、全土に暴動が拡がる怖れもある。

ベンアリ独裁の二十三年間のあいだに野党指導者ならびにインテリは数千人が英仏に亡命しており、このなかでも際だって指導者はヒジブ・アル・ナーダ(復興党党首)だが、93年にロンドンに定住後、国内との縁は薄いとされている。

ナーダは近く帰国すると表明している(ヘラルドトリビューン、1月17日付け)が、混乱となるか、夢が一気に拡がるか。ブッドのように、あるいはアキノのように帰国とともに暗殺されるか?



●「カーネーション」から「ジャスミン」まで、革命を彩る名前たち

(AFP BBNews 2011年01月18日 18:15) http://p.tl/U57x
 発信地:チュニス/チュニジア

【1月18日 AFP】チュニジアで23年間続いたジン・アビディン・ベンアリ(Zine El Abidine Ben Ali)大統領の強権体制を崩壊させた市民らによる運動は、同国を代表する花にちなみ「ジャスミン革命」と呼ばれる。

 世界にはこれまでにも象徴的な名前で呼ばれる市民革命があった。以下に、その代表的なものを挙げる。

■ ポルトガル:「カーネーション革命(Carnation Revolution)」

 1974年4月25日、軍部若手将校らが無血クーデターで、マルセロ・カエターノ(Marcello Caetano)首相の政権を倒し、48年間続いた軍事独裁体制に終止符を打った。

 将校たちは銃口にカーネーションを挿し、将校の無血革命を支持した市民たちもカーネーションを身につけたことから「カーネーション革命」と呼ばれるようになった。

■ 旧チェコスロバキア:「ビロード革命(Velvet Revolution)」

 1989年11月、共産主義体制下のチェコスロバキアで、劇作家バーツラフ・ハベル(Vaclav Havel)らの反体制派グループが主導する反政府デモが拡大し、共産党政権を崩壊に追い込んだ。流血もなくビロードのように滑らかに革命が進んだことから、「ビロード革命」と名づけられた。

 その1993年1月1日にチェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離して個々の独立国家となり、ハベルはチェコの初代大統領に就任した。

■ グルジア:「バラ革命(Rose Revolution)」

 2003年11月23日、3週間前に行われた議会選挙の無効を訴える野党支持者らが、ミハイル・サーカシビリ(Mikhail Saakashvili)らに率いられ議会を占拠。国際社会からの圧力もあり、エドゥアルド・シェワルナゼ(Eduard Shevardnadze)大統領は翌日、辞任を表明した。このとき、議会に乗り込んだ市民らが、バラの花を手にしていたことから「バラ革命」と呼ばれる。

 翌04年1月に行われた大統領選で、サーカシビリが96.2%の高得票率で大統領に当選した。

■ ウクライナ:「オレンジ革命(Orange Revolution)」

 2004年11月22日、親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)首相が勝利したとされた大統領選の決選投票で不正があったと主張する市民らが、首都キエフ(Kiev)で大規模な抗議行動を展開。決選投票のやり直しが決まり、翌05年1月の投票で野党候補ビクトル・ユーシェンコ(Viktor Yuschenko)元首相が大統領に当選した。

 ユーシェンコ陣営のシンボルカラーがオレンジ色だったことから「オレンジ革命」と呼ばれるようになった。

■ キルギス:「チューリップ革命(Tulip Revolution)」

 2005年3月24日、議会選での不正や政権腐敗に抗議する市民らの抗議運動が拡大し、市民らが政府庁舎を占拠。アスカル・アカエフ(Askar Akayev)大統領は国外へ逃れ、15年続いたアカエフ政権は崩壊した。

 4か月後の7月10日に行われた大統領選で、抗議運動の主導者の1人だったクルマンベク・バキエフ(Kurmanbek Bakiyev)元首相が当選した。

「チューリップ革命」という名称は、アカエフ大統領自身が、グルジアとウクライナで起きたような色の名前のついた革命(カラー革命)をキルギスで起こしてはならないと述べた演説の中で使ったもの。(c)AFP



●チュニジアで起きた史上初のサイバー発革命 ツイッターが広げた蜂起の波
(Forbes 2011/1/20 7:00) http://p.tl/QK4w

 2011年1月14日金曜日、約30日にわたって反政府デモ隊と治安部隊との激しい衝突が続いてきたチュニジアで、23年間独裁体制を敷いてきたジン・アビディン・ベンアリ大統領がとうとう政権を投げ出し、国外に亡命した。それを受け、モハメド・ガンヌーシ首相が政府を掌握し、非常事態宣言を出した。“ジャスミン革命”と名づけられたチュニジアの政変は、アラブ世界で初めて市民の蜂起、より正確に言えば“ネット市民”の蜂起によって国家指導者が放逐された例として、歴史に刻まれることになろう。それを可能にしたのは、チュニジアの近代的な通信インフラやインターネット接続の普及、完全デジタル化された携帯電話ネットワークである。

 ベンアリ大統領は長年にわたって言論を弾圧してきたが、今回の革命の発端となったのは昨年12月17日に起きた、路上で物売りをしていたモハメド・ボアジジ氏の抑圧体制に抗議する焼身自殺である。イーサン・ザッカーマン氏(ネットとメディアの米著名研究者)による、チュニジアでの一連の出来事を伝える優れた記事を以下にご紹介しよう。

 「ボアジジ氏の自殺は、同じように不満を募らせていた他のチュニジアの人々の共感を呼んだ。中部シディブジッドでは何千人もの群衆が失業のまん延や政府の汚職、機会の欠如に抗議する街頭デモに参加した。ここでもラシーン・ナジ氏という不満を抱えた若者が送電用の鉄塔によじ登り、『悲惨な生活に反対!失業に反対!』と叫んだ後、高圧線を握って自殺する事件が起きた」

 「それに対しチュニジア政府は、警棒や催涙ガスで武装した支援部隊をシディブジッドに送り込んだほか、経済発展につながる事業に取り組むことを約束した。だが暴動はシディブジッドからチュニジア全土に拡大、政府は高校や大学を封鎖し、首謀者と見られる学生を逮捕したり、夜間外出禁止令を出したりした。市民メディア『グローバル・ボイシズ』に寄稿するスリム・アマモウ氏も1月6日に逮捕された。その後のアマモウ氏の消息も、逮捕理由も分かっていない」

 実際の抗議行動やデモに加えて、多くのチュニジア人がソーシャルメディアを使って激しい怒りをあらわにした。それを受けてチュニジア政府は、唯一のインターネット接続業者(ISP)であるチュニジア・インターネット・エージェンシーを通じた検閲を一段と強化した。国家権力による言論弾圧を監視する国際組織IFEXによるとチュニジア政府は、SNS最大手のフェースブック、検索大手のグーグルやヤフーなどからユーザーネームやパスワードを盗もうと秘密裏にサイトを操作し、アカウント情報を消去したり、流出させたり、入手した情報を元にブロガーの居場所や接触相手を調べたりしたという。

 そこへ登場したのが、告発サイト「ウィキリークス」とその創始者であるジュリアン・アサンジ氏を支持する大規模なサイバー攻撃で注目を浴びたばかりのハッカー集団「アノニマス(匿名)」だ。新たな標的としたのは、チュニジアの大統領や首相のものを含む政府系ウェブサイトで、声明では「これはチュニジア政府への警告である。我々は検閲に関与したすべての機関を標的とし、チュニジア政府が自由を求める国民の声に耳を傾けるまで攻撃の手を緩めない」と述べた。

 1月6日にはカタールの衛星テレビ局アルジャズィーラが、「チュニジアの悲惨なサイバー戦争」と題した秀逸なリポート番組を放映した。そこでは政府が不穏分子やジャーナリストを発見したり、弾圧したりするため、“スピア・フィッシング”をはじめとする様々なハッキング行為を駆使している様子が明らかになった。グーグルの「Gメール」の個人アカウントや、フェースブックの個人アカウントの情報を盗んだり、消去したりする例もあった。

 チュニジア政府がアクセスを妨害できなかった唯一のソーシャルメディアが、ユーザーがウェブサイト経由ではなく、携帯端末を通じて利用するツイッターだ。

 エジプト出身のコラムニスト、モナ・エルタハウィ氏は「チュニジアの蜂起はハッシュタグされていた(編集部注:特定の話題について検索しやすくするため、言葉の前に『♯』マークをつけること)」と指摘する。「私のツイッターには毎日、『♯シディブジッド』を含むアラビア語、英語、フランス語のツイートが大量に送られてきた。どれもチュニジア人のブログやデモの参加者が撮影した動画へのリンクを貼ったものや、他のアラブ諸国での支援デモに関する最新情報に関するものだった」

■多面的戦争

 チュニジアで今まさに起きているのは、サイバー上の攻撃行為から多面的戦争という段階への変化である。私が最初にこのテーマを論じたのは、昨年5月にTTIバンガードが主催したサイバー危機に関する会議で、それ以降も軍や企業への講演では必ず取り上げてきた。“多面的戦争(Multi-Modal Warfare)”を定義すると「サイバー戦略をあらゆる段階に組み込みながら、個人もしくは集団を標的とする物理的攻撃を計画・実行すること」となる。その成功のカギを握るのは、ソーシャル・ネットワークが普及し、攻撃を企てる人間が以下の目的に沿った個人情報を容易に集められる状況が存在することだ。

(1)標的を特定する

(2)標的のネットワークか端末に侵入する

(3)適切な攻撃方法を考える

(4)攻撃を実行する

 多面的戦争の最近の事例としては、次のようなものがある。

(1)キルギスの諜報(ちょうほう)機関によるゲナディ・パブリュークの暗殺(2009年12月)

(2)イラン革命防衛隊による、反体制派活動家の逮捕・投獄(2010年4月)

 今回のチュニジアのジャスミン革命も、このリストに追加できるだろう。
(2011年1月15日 Forbes.com)