あの悪夢の金曜日から

今日で2週間である。


M9という

過去体験のない

大地震に見舞われ

我々は2週間前の今日


地面も心も

揺さぶられた。


さらに

追い打ちをかけるように

起きた原発事故による

放射線物質汚染問題。


我々は

未だ深い霧の中にいて

しかも質が悪いことに

その霧は白ではなく

目には見えない。


そんな中

福島第一原発から

半径20キロ圏内の

避難勧告が続いていたところ


今日になって国は


「20キロから30キロ内の

人は”自主退避”という手段もある」


と促し始めた。


『自主退避』


とはいったい何なのか?


僕は初めて聞いた言葉だった。


福島第一原発から

20キロから30キロの地域は

必要な物資もなかなか

届かないこともあるので

その地域は”自主退避”も

いいのではないかという

おとといの東京都の

水摂取制限発表と同じような

あまりにも突然突き放した

発表だった。


ところで

この『自主退避』とは

一体何なのだろうか?


『自主退避』ということは

逆に言えば

自主的にその場に

危険を承知で残るなら残ってもいい


ということだろうか。


退避が宣告されるのであれば

その時は強制的な退避命令が

必要ではないのだろうか。


僕はこの『自主退避』という言葉を

聞いた時につい思い出したのが

小泉元総理時代の


『自己責任』


という言葉だ。


イラクに行って

処刑されようが

自己責任。


あの時の青年は

処刑されるまでのことは

していなかったはずだが


それでも

国は自己責任と見放した。


これと同様に

国民が生きるか死ぬか瀬戸際

という命が懸かった局面でも

国は『自主退避』と

退避するかしないかという

最大の問題を

それぞれに任すと言っているのか。


もちろん個人個人が

決断することも大事だ。


しかし

そこには

自己判断するにも

情報が少ない年配者も

いるかもしれない。


今回の自主退避発表は

ある種

「国は危ないとは言いましたよ。

あとはどうぞ御勝手に」感が

この自主退避という言葉から

伝わって来てしまった気がする。


一方

2週間経った東京はと言うと

相変わらず空気は重い。


その大きな要因は未だ

謎が多い放射線物質汚染。


海外のメディアと

日本政府から発表される情報が

違うこともネットで一目瞭然の中

自分たちを誤魔化し誤魔化し

それぞれが生活している。


しかし

これまた相変わらずの

自粛ムード。


確かに放射線物質は怖い。


だけども

大震災が直撃した

被災者の方々よりは

我々は仕事をできる

健康と環境がある。


だからこそ

どんどん働いて

経済を回さなければならない。


そうしなければ

結果被災地の復興に

悪影響を及ぼすのでは

ということはこのブログにも書いた


なぜ何度も

このことを言うかと言えば

もともと日本を

『未曾有の大不況』が

襲っている時期だからだ。


これがバブルや

景気がいい時であれば

落ち込んで

経済を停止したって

多少は何ともない。


落ち込んでて

いい時間があるなら

何週間か

落ち込んでいたいぐらいだ。


今回は

大前提が

『未曾有の大不況』


そんな時に

くよくよはしていられない。


例えばドラマ『海猿』とかで

どこかの救助に向かっている中

隊員の一人が大怪我で負傷した

としたら

多少自分も怪我していたとしても

その大怪我をしたメンバーに

嘘でも笑顔を作り


「大丈夫か!俺たちのことは気にすんな!」


と気遣い

実際は足に傷があろうとも

そのメンバーを休ませながら

そのメンバーの分まで

前進あるのみだろう。


これが

同じシチュエーションで

誰かが大怪我をして

他の擦り傷のメンバー達が


「大丈夫か!大丈夫?ホント大丈夫?

いや何か俺も擦り傷痛いし」


「俺も痛い。

ていうか休もうよ」


「・・・だな」


となってしまったら


コント『海猿』


ではないか。


大体

警察官や消防隊の多くが

被災地に行ってるから

夏の東京のイベントは中止

などと聞いて

なぜそんな5ヶ月先の状況を

今ピシッと言えるのだろうか。

それとも8月に何かあることを

知ってるのだろうか。

だとしたら何があるか

教えて欲しい。


じゃあ

他では実行される

同じようなイベントは

なぜ行えて

また行うということは

不謹慎というのであろうか。


さらにそんなことを聞いて

果たして被災地の方々が

喜ぶであろうか。


被災地の方々に

聞いてみなければ

分からないが

何か恩着せがましいというか

思いやりの押し売りというか

こっちのせいにしないでくれと

思うのではないだろうか。


これと似ているかも知れないが

金額を競うように発表される募金。


高額の募金は

素晴らしいことだとは思う。


だが

こちらも報道が

エスカレートし過ぎではないのか。


何だか今となっては

「1万円募金しました」

と言ったら

顰蹙を買いそうだ。


だけど

1万円を募金するって

本来はとてもすごいことではないか。


しかし

それも段々と情報によって

麻痺をして来ているのではないか。


誤解を恐れず書くのであれば

著名人が

駅前や繁華街に冬空の下

募金箱を持って立たないと

救済活動をしていない

ような空気もなくないだろうか。


今回は

ここから30年クラスの

『長期救済』が被災者には

必要になってくる気がする。


駅前に急遽

募金箱を持って立つ著名人も

素晴らしいと思う。

しかし

その方法をとるならば

来週も来月も来年も

5年後も10年後も

やり続けるぐらいでないと

その時の勢いやパフォーマンス

だけになってしまう。


被災者救済には

いろいろな方法がある。


そして

30年クラスの

持続性のあることを

していかなければ


その時の勢いだけでの

著名人街頭募金では

その人が寒い空の下

一生懸命やりましたという

その方のメリットが勝ってしまう

のではないだろうか。


例えばだが

僕が役員を務めている

企業の一つで

『フェアトレード』という

仕組みで

長年発展途上国を

救済している会社がある。


『フェアトレード』は

その発展途上国の

得意な仕事を依頼することで

こちらは原価のコスト削減ができる

というお互いwinwinの仕組みだ。


お金を送ることも

一つの重要な方法だが

仕事を渡すということは

とても永続的持続的であり

しかもこちらが与えたという

おごりもない。


今回

津波などによる

被災地の

漁港や農地の壊滅的な現状や

放射物質汚染による

農作物の被害や

風評被害による漁業などを

簡単に考えても

その額は計り知れない。


国も国民も

今目の前の救済を考える一方で

永続的持続的な

『フェアトレード』的発想の仕事を

考えることも救済なのでは

ないだろうか。


映画『もののけ姫』のエンディングで

アシタカはもののけ姫に


「サン、君は山に帰れ、私はあの村に残る」


というセリフがあるが

あれは自然と文明の共生の

メッセージだと僕は勝手に

捉えている。


あのセリフではないが

放射性物質は

どれだけ飛来しているか

わからないが


まだ働ける人間は経済を回し

被災者の方々には

何とかこの困難を越えていただき

新たな未来を提供する

仕組み作りを共に考える

というそれぞれの役割の中で

生きて行くことが

今は

今日の時点では

大事なのではないだろうか。


「救済とは何か。」


それを考え続けることが

長期救済への第一歩となる

かもしれない。


果たして


国からの

『自主退避』は

救済なのだろうか。

それも考えてみたい。


僕は約4年近く

毎日走り、トレーニングを

続けいていて

この2週間も

できるだけ平常心でいたいと

続けている。


地震があろうと

放射能が降ろうと


もしも

トレーニングをしなければ

体脂肪はついていく。


こういう時だからとか

体の摂理は容赦しない。


これと同じように

地震だからと

未曾有の不景気も

容赦しない。


過剰な自粛で

経済が停滞すれば


『日本に悪玉コレステロール』


は当然ついていく。


ある日

原発問題もおさまり

少し安堵感を得た時

日本が停止していたら

いったいどうするのだろうか。


我々働ける人間たちが

怪我をしたメンバーの分まで

働いて帰る家を

その日まで守り続ける。

それしかないと

働き続けるしかない。


そして

明日は休む。


あさっては

日曜日だが

仕事だ。


おちまさと


電力は電池の様に

電気を蓄えておく事ができない。


深夜の節電

深夜のコンビニも閉店しろ

という意見を聞くが

同時にどれだけ

多くの電気量が使われるかが

ポイントであるとも聞くので

もし深夜の節電は意味がない

という結果が出たとしたら


深夜のお仕事関係の方々は

深夜に電気を使い

経済を回した方が

結果被災地の救済に

繋がるのではないのか。


さすがに

ここまで

ある種みんなで命懸け状態

なのだから

合理的効率的な

方法を模索したらどうか。


それはなんとなく不謹慎


というのは

もうそれこそ不謹慎。


僕は

枝野官房長官が

『カピバラ』にしか見えない。


これは

14日のブログで

書こうと思ったが

妻に止められ自粛した。


今も自粛している。


と言いながら

書いてしまった。