国を護る兵を『暴力装置』と呼んだ男を、私は絶対に許さぬ。
参院で問責決議を可決された仙谷大臣。その去就が注目されているが、本年11月18日、参議院予算委員会で自衛隊を「暴力装置」と表現し、地方議会をはじめ多くの批判を浴びた。暴力装置という表現自体、前近代においては私有されていた「暴力」(マフィア、暴力団とかに)が、近現代では国家権力が警察・軍隊で合法的に「暴力」を所有し管理(シビリアン・コントロール)している・・・という文脈で必ずしも仙谷大臣の発言は否定されない・・・このような意見もあることを承知している。
この発言に関して、私にとって意外な方が「国土を護る兵(つわもの)を『暴力装置』と呼んだ男を、私は絶対に許さぬ。」と発言しておられた。
その意外な方とは、短歌絶叫で著名な歌人、福島泰樹氏である。正論1月号で氏が連載中の「日本よ!」でその発言と出会った。私は20代に幾度か福島氏の短歌絶叫のステージを見ていた。吉祥寺の曼荼羅で友川カズキのコンサートにゲスト出演しておられたと記憶している。今の私には、遠い過去の記憶の彼方に眠っていた断片だが、仙谷大臣の発言が縁でよみがえった。
学生運動に身を投じておられた福島氏の政治信条と私のそれとは決して相容れないと思うが、氏が、「『暴力装置』と呼んだ男を、絶対に許さぬ。」と云う、その「情念」の「絶叫」には心動かされた。
政治学者風情のものからすれば、権力がコントロールする「暴力」云々と仙谷氏の発言を擁護することもできるかもしれないが、私も「絶対に許さぬ」とする歌人の情念に共感するのである。
仙谷氏は自分を日本国民とは云わない。地球市民と云う。おそらく「暴力装置」を合法的に使って(戦争)アジアの人々を苦しめた日本という国家(仙谷氏の解釈)を憎んでおられるのであろう。先の戦争で散華していった日本の若者たちに、涙とともに弔うような「情念」はお持ちでないのであろう。
歌人・福島泰樹氏は、特攻隊で散った若者をテーマに一冊の本を書いておられる。
「祖国よ!~特攻に散った穴沢少尉の恋~(幻戯書房)」がタイトルです。
23歳の若さで往った穴沢利夫氏の恋と、最期を、恋人に送った手紙を軸に綴ったノンフィクションである。
福島氏は、知覧特攻平和祈念館の展示室で出会った、黄ばんだ切り抜きの一文(穴沢少尉が出撃を目前にして書いたもの)に釘付けになった。
夕べ、大平、寺沢と月見亭に会す。
憶良の「酒を讃える歌」を思い出す。たまにはよきものなり。
春雨が降るからとて何もセンチになる必要はないぢゃないか
今更センチになるお前でもあるまい
明日、明後日のいのちぢゃないか
愚かな、もの思いはよせ
心の隅でいくらこのような声がきこえても、やっぱり俺は感傷の子さ。
しっとりと雨に濡れる若葉の道を一人歩いてみれば、
本燃の性格が心の中で頭をもたげてくる。
忘れて了ふには余りにも惜しい思い出の多くが俺の性格のかげから一つ一つ覗き出る。
過去のない男、世の中にそんな男があれば春雨も降りはしまい。
若葉も南国の春を伝へまい。
福島氏は感動した。その感動をこう書き記した。
「爽やかな感性が降らす豊饒の雨だ。出撃を前に、悲愴感の欠片もありはしない。せめて感傷の雨となってわが身を存分に濡らそうというのか」
このように、二十歳そこそこの青年が、爽やかな感性が降らす豊饒の雨に魂を濡らし、国のため、銃後の恋人のため、郷土の人々のため、散華していったのだ。
これらの青年たちを、暴力装置と呼ぶ男を、福島泰樹という「詩人」は絶対に許さないのである。
※写真は、穴沢利夫少尉。現代の日本の指導者たち(菅総理等)のうつろな目、腐った魚の目と比べてみよ。
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この発言に関して、私にとって意外な方が「国土を護る兵(つわもの)を『暴力装置』と呼んだ男を、私は絶対に許さぬ。」と発言しておられた。
その意外な方とは、短歌絶叫で著名な歌人、福島泰樹氏である。正論1月号で氏が連載中の「日本よ!」でその発言と出会った。私は20代に幾度か福島氏の短歌絶叫のステージを見ていた。吉祥寺の曼荼羅で友川カズキのコンサートにゲスト出演しておられたと記憶している。今の私には、遠い過去の記憶の彼方に眠っていた断片だが、仙谷大臣の発言が縁でよみがえった。
学生運動に身を投じておられた福島氏の政治信条と私のそれとは決して相容れないと思うが、氏が、「『暴力装置』と呼んだ男を、絶対に許さぬ。」と云う、その「情念」の「絶叫」には心動かされた。
政治学者風情のものからすれば、権力がコントロールする「暴力」云々と仙谷氏の発言を擁護することもできるかもしれないが、私も「絶対に許さぬ」とする歌人の情念に共感するのである。
仙谷氏は自分を日本国民とは云わない。地球市民と云う。おそらく「暴力装置」を合法的に使って(戦争)アジアの人々を苦しめた日本という国家(仙谷氏の解釈)を憎んでおられるのであろう。先の戦争で散華していった日本の若者たちに、涙とともに弔うような「情念」はお持ちでないのであろう。
歌人・福島泰樹氏は、特攻隊で散った若者をテーマに一冊の本を書いておられる。
「祖国よ!~特攻に散った穴沢少尉の恋~(幻戯書房)」がタイトルです。
23歳の若さで往った穴沢利夫氏の恋と、最期を、恋人に送った手紙を軸に綴ったノンフィクションである。
福島氏は、知覧特攻平和祈念館の展示室で出会った、黄ばんだ切り抜きの一文(穴沢少尉が出撃を目前にして書いたもの)に釘付けになった。
夕べ、大平、寺沢と月見亭に会す。
憶良の「酒を讃える歌」を思い出す。たまにはよきものなり。
春雨が降るからとて何もセンチになる必要はないぢゃないか
今更センチになるお前でもあるまい
明日、明後日のいのちぢゃないか
愚かな、もの思いはよせ
心の隅でいくらこのような声がきこえても、やっぱり俺は感傷の子さ。
しっとりと雨に濡れる若葉の道を一人歩いてみれば、
本燃の性格が心の中で頭をもたげてくる。
忘れて了ふには余りにも惜しい思い出の多くが俺の性格のかげから一つ一つ覗き出る。
過去のない男、世の中にそんな男があれば春雨も降りはしまい。
若葉も南国の春を伝へまい。
福島氏は感動した。その感動をこう書き記した。
「爽やかな感性が降らす豊饒の雨だ。出撃を前に、悲愴感の欠片もありはしない。せめて感傷の雨となってわが身を存分に濡らそうというのか」
このように、二十歳そこそこの青年が、爽やかな感性が降らす豊饒の雨に魂を濡らし、国のため、銃後の恋人のため、郷土の人々のため、散華していったのだ。
これらの青年たちを、暴力装置と呼ぶ男を、福島泰樹という「詩人」は絶対に許さないのである。
※写真は、穴沢利夫少尉。現代の日本の指導者たち(菅総理等)のうつろな目、腐った魚の目と比べてみよ。
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