$ゲンキポリタン|愛と勇気の生活ブログ


恋人と約束をしたのに、一時間も待たされた。
こんなとき待たせた相手が悪いに決まっています。えっ

だからといって気分を害したままで、過ごしてどうなるのでしょう。
一緒にいる間に楽しくなるだろうと考えて過ごすのはマイナスのストローク。
主体性を自ら投げ出して、その後はどうなるの?

楽しく暮らそうとしたら、自分の責任を引き受けることがポイントです。

物事の見方、判断は自分の選択で決めること。決められること。

待たされた一時間、相手を責めてイライラ、ネガティブになるのは、自分を傷つけるるのと同じこと。相手に原因があるといって他人のせいにするのはカンタン。でも、それってバカバカしくはありませんか?裁判しているわけではないのだから。

待たせた人が、なぜそんな行動をするのか、それは相手の問題。
待たされた自分の問題ではないのです。

待たせたら悪いと考えている人なら、待たせたりしません。
つまり待たせてもいいと考えるワケがあるのです。
大人だったら忙しいのは当たり前です。
それなのに待たせる非常識の裏にあるワケまで考えていられない。

ところが怒る人は自分の問題にしてしまうのです。つまり従属的になってしまう。
「待たせていいと考えているのか」「自分を低く見ているのか」・・・イライラが高まります。いつの間にか相手のゴミを引き受けている。

「アレ?自分はどこに行ったの?なんでそんなことしてるの?」

僕ならこう考えます。
「なんで、僕が相手のゴミを引き受けないといけないの」
バカバカしいから、ポジティブに過ごす工夫をします。自分を大事にします。待たされる一時間を有意義に過ごす。読みたい本がいつも山積みだから、万一に備えていつも数冊を持ち歩いている。待ち合わせには、リラックスして読める場所を使う。
イライラすることもない。

一時間待たせた相手が現れたら、「さあ、これから楽しもう」にスイッチが入ります。アップ

それは許すとか、許せないとかの問題ではないのです。
待たせて平気な人とはつきあわない。それはそれでいいけれど、あんまりシビアにやってるとおもしろくない。いろんな人がいますからね。
幼稚なまま大人のふりして生きている人もたくさん」います。キリがない。

人のゴミまで引き受けるのは、公私同じく、大切な人に限ります。
「この人の抱えているゴミはきれいに掃除してあげたい」と思ったときは、ポジティブに掃除にかかる。ドキドキ
なぜなら、人生はもっともっとすてきにできるのだから。

もっとすてきにするために、
いいことしながら、悪いことしているときもある。
悪いことしながら、いいことしているときもある。

僕の場合に限定したら、
悪いことしながら、悪いことしていることはない。

加害者は昔は被害者だったのだから、ずっとがんばってきた人ほど、どんどんゴミが出てきます。それに向き合うことはとっても難しいことだけど、やれるだけはやって後悔を残さない。その後は本人次第。

自分は自分の人生の主人公だから、いつだって主体的に生きていく。それが自分のハッピーのDNA。ドキドキ

Elvis vs JXL - A Little Less Conversation -

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自分を好きになる作法 一生懸命書いた本です。
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