原因は歴史に勉強でも有名な「サラエボ事件」
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1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の世継、フランツ・フェルディナント大公が、ボスニアの首都、サラエヴォでセルビア人民族主義者ガヴリロ・プリンツィプにより暗殺された。
オーストリアのレオポルト・フォン・ベルヒトルト外相は懲罰的な対セルビア戦を目論み、7月23日セルビア政府に10箇条のいわゆるオーストリア最後通牒を送付して48時間以内の無条件受け入れを要求した。
セルビア政府はオーストリア官憲を事件の容疑者の司法手続きに参加させることを除き、要求に同意したが、オーストリアはセルビアの条件付き承諾に対し納得せず、7月25日に国交断絶に踏み切った。
躊躇するイシュトヴァーン・ティサ首相と皇帝の反対を押し切る形で、7月28日にセルビアに対する宣戦布告が行われた。
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しかし予兆はそもそも、当時のドイツとフランスの対立にあったわけ。
しかもこの大戦で、オスマン帝国は滅亡するわけだね。
日本はどうかかわったのか?
当時、日本は連合国側だったので、連合国の勝利に大きく貢献した功績により、日本も連合国5大国の一国としてパリ講和会議に参加し、ヴェルサイユ条約によりドイツの山東省権益と、パラオやマーシャル諸島などの赤道以北の南洋諸島を委任統治領として譲り受けるとともに、国際連盟の常任理事国となったんだ。
大戦の概要はこの映像が面白く解説されてるね。
世界史アニメ「第1次世界大戦」by WEB玉塾