広島原子爆弾
アメリカ軍のどこまでが知っていただろうか?
ここまで破壊力のある爆弾が存在することを。
広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。
これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。
爆心地から500メートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約90パーセントを越え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及んだ。さらに生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡していった。
11月までの集計では、爆心地から500メートル以内での被爆者は98から99パーセントが死亡し、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、約90パーセントが死亡した。1945年(昭和20年)の8月から12月の間の被爆死亡者は、9万人ないし12万人と推定されている。
原爆が投下された際に広島市内には米軍捕虜十数名が収容されていたが全員が被爆死している。