Rory Gallagher
Too Much Alcohol
模索の時代~不遇の晩年
1982年に発表した『ジンクス』は、クリサリスとの契約最後のアルバムとなった。これをリリースし、ツアーを終えると、彼の活動は緩やかなものになっていく。ヤードバーズの元メンバーが結集したボックス・オブ・フロッグスの2枚のアルバムにゲスト参加したり、東欧の国々をツアーしたり、チャーリー・ワッツやジャック・ブルースらと共にエチオピア難民救済コンサートに出演したり、単発のライヴを行ったりなどはしていたが、決してこれまでのように精力的とは言い難い状況だった。
何よりも、彼はどこのレコード会社とも契約しておらず、そのため作品のリリースがなかった。 そのような状況が数年間続いたが、その結果として、自らレコード・レーベル、カポを設立した。
1987年に、カポから初めての、そして彼にとって5年ぶりとなるアルバム、『ディフェンダー』を発表した。その後、ヨーロッパ・ツアーにも出かけた。 翌年にも、アイルランド、イギリス・ツアーを敢行。1989年にも何組かのアーティストのアルバムに参加したほか、ヨーロッパ数ヵ国でもライヴを行なった。
1990年には、『フレッシュ・エヴィデンス』を発表。イギリス・ツアーも行なった。また、モントルー・ジャズ・フェスティバルではジャック・ブルースとセッションもしている。そして、1991年には4度目の来日を果たし、その後オーストラリア、アメリカにも足を伸ばした。
1992年にはバンド・メンバーを一新。そのメンバーでのアルバム製作は行われなかったが、ライヴ活動は続けられた。とは言うものの、彼の活動はまた緩やかなものになっていった。この頃には、長年の飲酒癖のせいで、ロリーの体調はかなり悪くなっていった。 しかし、彼は1994年にヨーロッパ・ツアーを始めた。
そして1995年、ツアー先のオランダ、ロッテルダムで倒れた。彼の肝臓は限界まで来ていたのだろう。4月に肝臓移植手術を受けたが、6月14日、その手術が原因となり合併症のため逝去した。47歳だった。