米国金融業界の変遷 | マーケットの今を掴め!FX・CFD東岳ライブ情報

米国金融業界の変遷

前回のNYダウのコラムはいかがでしたでしょうか?本日はゴールドマンサックスや80年代から現在までの米国の金融について書いてみたいと思いますので、お付き合い頂ければと思います。


サブプライムが起きる前までは、ウォールストリート(米国証券業界)は5大投資銀行が大きなウェートを占めていました。この5社とはゴールドマンサックス(以下GS)、モルガンスタンレー(以下MS)、メリルリンチ、リーマンブラザーズ、ベアスターンズを指します。この5社に商業銀行で米国大手のシティグループ、JPモルガンチェース、バンクオブアメリカ(以下バンカメ)を加えた8社は別名バルジブランケットと呼ばれていました。


まず、この8社をグループ分けしてみたいと思います。最初の5社は日本でいうところの証券会社のカテゴリーに属し、後半の3社は銀行セクターに分類できます。ここで最初の5社を、もう少し細かく分類してみたいと思います。もともとGSMS2社は投資銀行業務がメインの会社であるのに対して、メリルリンチ、リーマンブラザーズ、ベアスターンズは株式のブローカレッジが母体の会社であることです。


投資銀行は仲介手数料業務で、企業の財務全般のアドバイスを担当したり、ファイナンスのために引受先となる投資家を確保したりするなど、伝統的な良質な顧客とのリレーションシップ関係に基づいた業務です。一方で、株式ブローカレッジは自身のキャピタルをかけて相場を張り、そのポジションを様々な投資家に販売していく業務です。このように5大投資銀行でも、二つの系統がありました。


投資銀行業務は顧客とのリレーションシップ関係に基づいて行われる業務であるがゆえに、ある意味で非常に閉鎖的な世界ともいえます。GE(ゼネラルエレクトリック)やGM(ゼネラルモーター)などは重要なファイナンスではGSMSの2社にしか案件を下さなかったそうです。つまり一旦食い込んでしまえば、長期にわたって安定的な収益の見込める事業ともいえます。


ところが80年代に、この世界に風穴を開けた会社がありました。それはソロモンブラザーズという会社です。この会社は今では当たり前の2ウェイプライスというシステムを初めて債券の流通市場に導入した会社であり、また社債引受業務において、自社で発行企業の社債を一旦引き受け、その後、さまざまな投資家に販売していく手法を導入しました。


伝統的な手法では、社債引き受けは販売先を100%決めてから引き受けるのに対して、ソロモンの手法では、自社で一旦抱え込んでから、販売していきます。どちらの手法がリスクが高いかは明白ですが、発行体企業サイドからすると、迅速に資金調達が可能なソロモンの手法は大変魅力的な手法に映り、これまでGSMSだけが指名されていた社債発行の案件を次々とソロモンが奪っていくことになります。


これに対して、GSMSは同様の手法を引受業務で展開し、逆にソロモンの得意とするトレーディング業務に本格的に参入していくことになります。ソロモンはそれに対抗しようとしますが、うまく成果を残すことができず、最終的には米国債の相場操縦疑惑で訴えられ、今では会社そのものがシティに吸収されてしまい、現在では名前さえ残っていません。


同様の事は他の株式ブローカー出身の会社でも当てはまり、80年代半ばから90年代初頭にかけて、スミス・バーニー、ファーストボストン、バンカース・トラストなど中堅の金融機関は、ことごとく消えました。スミスバーニーはソロモンと合併するもシティに、バンカーストラストはドイツ銀行に、ファーストボストンはクレディスイスに吸収されました。この時代、欧州系の金融機関や日本勢が米国市場で躍進しました。不況期の米国でグラススティーガル法の下で商業銀行と投資銀行の兼業が禁止されていて、それが可能だった欧州系が次々と米系の金融機関を飲み込んでいました。ちなみに当時の日本勢は三菱地所のロックフェラーセンター買収に代表されるように、米国の不動産投資に精を出していました。


この欧州勢の進出に対して、クリントン政権で財務長官に就任したロバート・ルービンは同法を有名無実化させ、商業銀行による投資銀行の兼業を認めました。その結果、シティバンクやJPモルガンなどの商業銀行が積極的に投資銀行業務に参入しました。しかし、米欧の商業銀行は投資銀行に参入したものの、思いのほか収益を上げることができず、次第にハイイールドなジャンクボンドの引き受けや証券化商品、特にCDO(債務担保証券)の組成・引き受け・販売に傾注していきました。その結果は直近のサブプライム危機から始まった一連の米国株式市場の混乱が如実に物語っています。GSMSが株価をほぼ健全な水準にまで回復させている一方で、シティやバンカメがいまだに低空飛行を続けているのは、ある意味で当然の帰結と言える気がします。


先程、商業銀行の投資銀行への参入について書きましたが、そのような環境を投資銀行サイドは傍観していたわけではありません。GSはヘンリー・ポールソン(前米国財務長官)がCEOの時代、 同氏はGSを引受業務やアドバイザリー業務を中心とした伝統的な投資銀行(証券会社)から、自らのバランスシートを用いてリスク投資を行う「投資会社」へと変貌させました。JPモルガンやシティバンクと言った銀行系が投資銀行業務に本格的に乗り込んできた時代の変化に見事に対応してゴールドマンの黄金期を築いた功績が称えられることが多いようです。

ポールソンがGSのトップになった99年以降、同社はトレーディング業務やプライベートエクイティ投資などを拡大して来て、その為の資金源として自己資本やさらにはレバレッジも積極的に活用してきたと言われます。その積極ぶりは90年代後半の日本での不良債権投資や三井住友銀行などへの出資などでも知られていると思いますが、同氏は「投資銀行が案件をアドバイスする際には積極的に自己資本をコミットすべきである」と強く主張して来たと言われています。

元来はアドバイザーや引受業者として、いわば仲介役に徹してきた投資銀行業界では、そのようなGSのスタンス(ここでは特にプライベートエクイティへの積極的な投資スタンス)を、他の投資銀行の経営陣は「リスキー過ぎる」、「自分たちのやるべき範囲を逸脱している」などと批判するケースもよく見受けましたが、それでもポールソンは、そのようなリスクを取ることで会社が傾くことのないよう徹底したリスク管理を行って来たと評されています。


そしてリーマン破産から始まった一連の金融危機を通して、現在、GSMSは銀行持ち株会社として、体制を変更しています。ウォールストリートジャーナル紙をはじめ多くの経済紙は、銀行持ち株会社へ転換したことでFRBの監督下に入り、それまでのようなリスキーな業務の縮小を余儀なくされGSMSの時代は終わる、という論調が金融危機以降は盛んに言われていましたが、よく考えると、GSMSは元来リスクを取らないビジネスが本業で、リスキーなビジネスを始めたのは比較的に最近の事です。両社は上場したことで、株主からの圧力でリスクをとって収益を極大化させる事業を始めましたが、銀行持ち株会社化で、そういった株主の圧力を暗に抑え込める環境ができているのが、現在の状況ともいえます。世界の金融当局は基本的にはリスクを取らない、もしくはそれに応じた自己資本を積むことを求めており、それが金融機関の経営を圧迫される懸念がありますが、この2社はリスクを取らないビジネスにおいて一日の長があり、GSMSにとって有利な経営環境が作られている、ともいえます。


現在のウォールストリートは、まだまだ完全復活と言える状況ではありませんが、少なくとも、この2社が金融機関の次の時代のあるべき姿を作り出し、米国をはじめ世界各地の金融市場で引き続き大きなプレゼンスを発揮するのではないか、と私は考えています。



Ken