Rory Gallagher
Tattoo'd Lady
ソロ時代~絶頂期
1971年、『ロリー・ギャラガー』でソロ・デビューを飾った彼は、同年、早くも2作目『デュース』を発表した。これ以降、毎年恒例のようにヨーロッパとアメリカ・ツアーを行い、また、恩師アレクシス・コーナーからの推薦もあり、マディ・ウォーターズの『ロンドン・セッションズ』にも参加した。
翌年、ライヴ・アルバム『ライヴ・イン・ヨーロッパ』を発表、イギリスでトップ10に入るヒットとなった。この年には、メロディーメイカー誌こトップ・ミュージシャン・オブ・ジ・イヤーに選出された。
1973年には『ブルー・プリント』と『タトゥー』を発表。この2作からキーボードが導入されている。また、この年にはジェリー・リー・ルイスの『ザ・ロンドン・セッション』にも参加している。
1974年にはアイルランド・ツアーを行い、その様子はトニー・パーマー監督によってフィルムに収められた。このツアーから、『ライヴ・イン・アイルランド』が生まれた。これは、世界で200万枚以上のセールスを上げる大ヒットとなった。そして、この年には初めて来日、東京、名古屋、大阪で公演が行われている。
翌年には、ポリドールからクリサリスに移籍し、『アゲインスト・ザ・グレイン』を発表。再び来日ツアーを行なった。スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージで、アルバート・キングと共演したのもこの年のことだ。 この頃、ミック・テイラーの後任としてザ・ローリング・ストーンズに加入する話が持ち上がった。ロリーがそれを断った説、オーディションで落ちた説、契約寸前までいっていたとする説、また一緒にレコーディングをしたとする説など、一体どれが真実なのかわからないが、少なくともロリーに対してストーンズが強い興味を示し、しかしながらバンドへの加入は実現しなかった、ということだけは確かだ。 ちなみに同じ頃、ディープ・パープルを抜けたリッチー・ブラックモアの後釜に、デイヴィッド・カヴァデールは第一候補にジェフ・ベック、第二候補にロリーを考えていたという話もある(結局バンドにはトミー・ボーリンが加入した)。
1976年には、そのディープ・パープルのベーシスト、ロジャー・グローヴァーを共同プロデュースに迎えた『コーリング・カード』を発表。
翌年には、ドイツのテレビ番組、『ロックパラスト』に出演、その模様はヨーロッパ全土にオンエアされた。また、3度目の来日公演も行なった。その後、再びトリオ編成に戻って、1978年には『フォト・フィニッシュ』、1979年には『トップ・プライオリティ』、1980年には『ステージ・ストラック』をリリース。また、ヨーロッパやアメリカ・ツアーなど、ライヴ活動も変わらず精力的に行っていた。