こんな時に「競馬開催」することの意味とは? | さかなくんのパカパカ日記

さかなくんのパカパカ日記

『談話室「さかなくん&ブサ雄」』の競馬版です。競馬に関する話を主に書いています。

先ほどのお話に関連するのですが、明日から中央競馬が2週ぶりに行われますが、今回の競馬開催に関しては、他のスポーツやイベントが相次いで中止や延期になることにつられて『不謹慎』だとか、『被災者心情を逆なでるものだ!』といった批判が上がっています。


しかし、私は今回の競馬再開に関しては、「競馬は他のスポーツとは異なり、『馬券』を購入する行為が入るので、経済的な『被災者支援』にもなり、むしろ開催するべきだ!」と考えます。


かつて1995年に発生した阪神・淡路大震災のときにでも、競馬開催は被災した阪神競馬場の替わりに京都競馬場を連続開催で使って行ってましたし、それの売り上げの一部を「義援金」に当てることもありました。

(今回の『東北・関東大震災(東北地方太平洋沖地震)』についても「被災者支援競馬」として行うことになっておち、阪神・淡路大震災のときを同じように、売り上げなどの一部を「義援金」として寄付することも決定しています。)


これにかんしまして、ある方のツイッターでこんな呟きがありました。(原文のまま)


岩手の母に「今競馬開催するのは不謹慎なのかな?」と尋ねたら「働ける人たちが働かなきゃ、復興なんかしないわよ!」と一喝。やはり私の母、同じ考えだ。だから、頑張るんだ!やるぞ、開催!!


この呟きを見まして、私も「そうだ、そうだ!」と感じました。



また、別の方のツイッターでは、この時期の競馬開催に批判的な呟きが見受けられることに対してこう批判しています。(原文のまま)

「競馬の開催に苦情を言う方には、火曜日の帯広・笠松・園田競馬場でどのようなことが行われていたのか是非見て頂きたいですね。開催する当事者やファンが、何も思わずに競馬場に来ているわけではないと言うことを。」


恐らく、私が推測するには、当日競馬場に行っていた人たちは、「確かに地震が起こって、競馬どころではないことは承知している。でも、競馬を開催しないと経済も回らないし、お金だって被災地には回ってこない。それに阪神・淡路大震災のときに地方競馬の中で一時的に競馬開催を中止したところは、その後の『失われた10年』によって、次々に廃止に追い込まれた。私たちはその二の舞を繰り返したくないんだ。」といった気持ちで競馬場へ足を運んだことだと思うのです。


それと、あの『カリスマ予想師』の清水成駿さんもご自身のメルマガの中で、「個人個人の勝った負けたではない。勝ったファンも負けたファンも一律25%ずつ国に税金を納めている。復興競馬であれば、賞金諸々もあってその全部が全部ではないが1000円の馬券一枚で250円が被災地の復興にあてられる。開催を含めた道義的な善悪より、競馬自体が開催可能であれば、当然、開催すべきであり、まずはそこをよく理解していただきたい。競馬に限らず、およそ「公」が束ねるすべてのギャンブルは、こういう未曽有の非常時にこそ、もう一つの存在意義がある。」と述べていますとおり、感情に任せて競馬を開催しないより、「被災者」のために競馬を開催する、としたほうが結局はそれが『支援』になると考えています。



皆さんもお金に余裕があるならば、明日からの3連休、是非競馬場へ足を運んでください。(ただし、関東・東北・甲信越・静岡県の方は発売をしていませんので、電話投票でお願いします。)


追記:JRAの「A-PAT」会員で、『みずほ銀行』に口座をお持ちの方へお願いします。昨日(3/18)発生したシステムトラブルの影響で今週は電話投票が全く出来ない状態になっています。ご注意ください。