田の浦の現場 | 脱原発の日のブログ

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12月8日は1995年、もんじゅが事故を起こして止まった日。この時、核燃料サイクルと全ての原発を白紙から見直すべきだった。そんな想いでつながる市民の情報共有ブログです。内部被ばくを最低限に抑え原発のない未来をつくろう。(脱原発の日実行委員会 Since 2010年10月)


朝6時過ぎに浜に着つきました。
6ラプにあるみたいな自衛隊いっぱいではないが、警備員(アルソック)が三百人以上(正確には聞き出せなかった)が浜に陣取っていた。
4時頃から動いていたとの事。

現場にはらんぼうくんや鎌仲監督の姿があった。

警備隊は二手に別れて浜の両端に陣取り、人と青いシートで柵をつくていた。
浜全体をフェンスで囲う予定らしい。

7時過ぎに「作業開始します」の合図でフェンスの中で作業が始まった。柵の中からつち音が聞こえる。
私は百人以上の警備員の柵の中に入り込んだ。
中には6人位が入り込めた。
何人かは警備に囲まれ、フェンスシートに抑え込まれ「痛い痛い」と聞こえる。

中に入った人間に対しては腕を捕まれる事は無いが、警備員の人間バリケードで中から弾き出そうと追い立てられる。

中では座り込みが始まった。
しかし多勢に無勢、座り込み以外の所で工事が進む。
私は体をはって、杭を打ち込む場所で寝転んだ。もうここから動かないつもりだ。

明らかに工事の邪魔な私に対し、気せいの荒い作業員が、私の上に乗り掛かってくる。
じべたにいる私は周りからは見えない。 10数人が足を使ってプレッシャーを掛けてくる。一時は背骨や腕、足が折れるかと思った。

中にいる漁民のお母さんが、「背骨の一本や二本が折れても動かんけんね」と言う声が聞こえる。 よし私も覚悟を決めた。

別の抗議メンバーが私の窮状を声に出してくれて、警備員の安全委員が場を弛めるてくれた。 私は怪我はまぬがれた。


私は寝転びを続行。
この時までに、更に数人の抗議メンバーが人間柵の中に突入し 人が増えたが、数人は逆にバリケードから弾き出されていた。

その後、場は膠着。

工事エリアの何箇所かで、時おりやり取りがある(突入とバリケード)

今日は10時40分が満潮だ。
段々と潮が満ちてきて、工事用の資材が海に浸かる。
警備員が慌てて資材を片付け始めた。
人間バリケードの柵もだんだんと小さくなってきた。

中では小さな抵抗が続く。
打ち込まれた杭が目の前にある。
私はこっそり穴を堀った。杭を無きものにできる。
見つかった。また10数人に囲まれ(ずっと囲まれている)、穴を埋められる。 掘っては埋めるの攻防が暫く続いたが、次のチャンスを狙って、一旦静かにすることにした。


警備員が減ってきた。杭はぐらついている。
私たちは杭を揺らしにかかった。
これを気に、抗議メンバーが次々にバリケードに突入。警備員もかけよって来て、杭の揺らす/守るの攻防となる。 段々と騒動が大きくなり パニック状態の現場となった。

今はこの状態。


その他は、抗議の人は「海を守らにゃいかん」とか、警備員に訴える。
浜全体は、工事側が「直ぐに立ち退きなさい」とスピーカーが響き、抗議側は「海は大事、中電は帰れ」と スピーカーが響く。

浜から10分離れた小屋でもスピーカーの声が聞こえる。
既に静かな海は無く、騒然とした浜だ。
次に静かになるのは、原発が建った時か、元の静かな海か、今別れ道にいる。


私もとうとう警備員バリケードから弾き出されてしまった。
潮が引いたらまた工事が再開する。明日は更に杭が打ち込まれ、浜が無くなってしまうかも知れない。
一本でも、杭を打つのを阻止出来るのは、体だと分かった。
もっと人がいて、浜で座り込みしたら工事は進まない。

私は今から再度、バリケードに突入を試みる。 工事を止めたい。浜が消える瞬間を見たくない。

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めぐる<みどりの未来ML>