エジプトは、圧力釜のような状態だった。ここ何十年か立ち止まったままで経済はちっともよくならないし、貧富の差は広がる一方だったからだ。これにチュニジアの政変から火が移り爆発した。民主主義の国ならば、経済がこれだけ悪ければ、政治が変わる。だがエジプトは、強権体質で警察が強く、治安当局が変化を求める声を押さえこんできた。政治が変わらないから圧力の抜け穴がなかった。


ナセル元大統領はスエズ運河を国有化した。サダト前大統領はイスラエルと第4次中東戦争を戦い、そして平和条約を結んだ。だがムバラク大統領は30年間何もしなかった、という評価だ。


これまでのエジプトの政治の選択肢は、ムバラク政権かムスリム同胞団かとされてきた。国民にも、そして米国にも、支持できる真ん中には組織はなかった。その真ん中にいた孤独な群集がネットでつながり孤独でなくなった。ネットを使える世代がまず動きだし、ほかの人々がついてきた。新しい展開だ。新しい現象だ。メディアを政府が独占した時代では考えられなかった。この運動をアルジャジーラなどの衛星テレビが24時間中継していることも大きい。


ムバラク大統領は米国の強い圧力を受けて政権移行を始めることになった。エジプト軍幹部からも「あなたでは、もう持たない」と言われたのだろう。出動した兵士が街でデモの大衆と一緒にお茶を飲んでいる風景を見れば、ムバラク氏はこの軍は大衆に対して銃を撃てないだろうと判断したのだろう。


ムバラク氏のシナリオは彼が任命した副大統領らに政治を任せるものだが、これでは「ムバラク・パート2」にしかすぎず、住民は納得しない。ムバラク氏は住民が疲れるのを待っているし、国民は内外の圧力でムバラク氏が外国に出るのを待っている。


突然の親ムバラクの「群集」の出現は、恐らく副大統領のスレイマンの戦術だろう。警察では抑えきれず、軍隊が発砲しないとなると、「民間人」の支持派を使うしか手が残されていないとの認識ではないか。スレイマンは諜報機関の責任者だったので、情報提供者などの「その筋」の関係者を動員したのではないか。


ムスリム同胞団 の動向に関心が集まっている。同胞団はデモへの参加は遅かった。1日のデモが100万人を集めたとみられる。デモは日を追って髭を生やしたイスラム主義の信望者のような人が参加しだしており、同胞団の力だろう。ただ、エジプトでは自由選挙の経験がないので、同胞団がどれだけ強いか分からない。いきなり過半数の票をとるようなことはないだろう。だが早期に選挙が行われれば、既に組織をもっている同胞団に有利に働くだろう。この同胞団による権力掌握が、隣国イスラエルにとっての悪夢である。


いずれにしろエジプトの混乱から、イスラエルは孤立感を深めているだろう。イスラエル世論はさらに右に触れ、これまで以上に和平交渉は難しくなるのではないか。イスラエルの進歩的な層は民主主義政権のエジプトと付き合いたいのかもしれないが、エジプト人はイスラエルを嫌っており、新政権はムバラク時代ほどイスラエルと協力できない。


どんな政権ができても日本は経済援助を続けなければならない。貧困をなくすような賢い援助をして欲しい。


※2011年2月6日(日)に共同通信社から加盟各社に配信された文章です。


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