落日 | うちのとらまる

落日




私が 初めて牛舎を訪れたのが 4月9日


震災から 約1ヶ月 経っていました












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原発の水素爆発などの事故で


立ち入りが制限された20km圏内にある 浪江町の牛舎




約50頭ほどいた 肥育用ホルスタイン雄牛たちは


事故以降 飲まず食わず状態になってしまいました









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この時すでに3分の1は餓死


残った牛たちが死ぬのも時間の問題














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しかし この惨状を知った


ボランティア団体さんや個人の方々が動いてくださいました



皆で協力し情報交換しながら


給餌給水をして


なんとか生きながらえさせようとする活動が始まりました


牛の餌 数百キロを南相馬に送りつけた 滋賀県のボランティア団体


そしてその餌を2トントラックで牛舎まで運んでくれた千葉の若者


実家が南相馬だということで協力してくれた埼玉の主婦


皆がそれぞれの役目を果たし活動したのでした


みんな牛たちを助けたい一心で活動しました


もちろん他の方々で世話をされた方は絶対いらっしゃったと思います


が・・・


全頭の 牛たちのお腹を継続して満たすには


餌も水も 圧倒的に足りなかったのでした















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少しずつ数を減らしながらも


なんとかぎりぎり生き延びている牛たちがいました


生きていれば必ずチャンスが来る


それを信じて・・・

 











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5月に入ってから


私が訪れた時に見た光景



誰かが牛舎の柵を開放してくれたのです



これで牛たちは自由に草を食み 水のあるところにも行ける


私は喜びました















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しかし このことによって悲惨な状態も引き起こしました


用水路に水を求めた牛たちが落下し


出られなくなっていたのでした



これを心配くださった個人の方が


神奈川県からわざわざいらっしゃって


重機で救出してくださったり















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またある方は用水路の水門を閉めて


水位を上げて水を飲みやすいようにしてくださいましたが



渇ききった牛たちには こちらの思いなど通じるはずもなく


どんどんと用水路に落下していきました














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結局


家畜という種類の生き物たちは


犬や猫と違い


あまりにも大きく


1箇所に あまりにもたくさんいて


私たち個人では


どうにもならなかったのでした















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このやせ細った牛


この子 一匹すら助けることはできませんでした



餓死という 一番辛い死に方をさせてしまった


本当にかわいそうな事をしてしまいました












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6月19日



4月22日に警戒区域に指定されてから


なかなか訪れることができなかった牛舎に


やっと来ることができました


前回から1ヵ月半も間が開いています



時間は夕方6時半













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中を覗くと


生きているものは何もいません



前回 大量発生していた蛆さえもすでにいなくなっています



夕日に照らし出されているのは毛と骨のみ


あれだけ必死に鳴いていた牛たちは


こんな姿になってしまいました














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牛舎の裏にある用水路にも白骨化した牛たちがいました


食べるものがいなくなった 用水路のふちの草が生い茂って


ここに落ちてしまった牛たちが もう生きていないことを物語っています
















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この牛舎を見つめた3ヶ月間



牛たちの悲劇の責任を


私たち人間は とらなくてはいけないと思い


必死で写真に記録しました



こんな牛たちがいたことを


皆さんに知って頂きたかったのです






山に日が落ちて


私はここを去ることにしました