3月11日の揺れた日。 | 坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life!

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No Bnuddhism , No Lifeをテーマにして面白いことを画策してます。

さて、3月11日の前後をまとめときます。
僕自身にとっても、貴重な体験だったので。

※まずもって注意。
1.ここから先の文については、「お坊さんって、みんな素晴らしい!」って思っている人には不向きです。生々しい坊主の表現があります。
まぁ、坊主にそんな理想を抱く人はいないと思いますが(笑)
2.メッチャ長文です。僕自身も「ウザッ」と思いました(笑)

さて11日。
前日はなぜか横浜の「関内」にまで飲みに行き、築地に戻ったのは「朝」。
当然、ボロボロ(笑)
午前中は「誰のせいでもない頭痛」と「理由が良くわかる気怠さ」にやられていました。
で、お昼は近所の、
「ピラミッド」という名の「ドイツ料理店」の「カレー」ランチを食べに行きました。
前から気にはなっていたのですが、満足度は大。
今回はチキンカレーでしたが、他のソーセージカレーなども今度試してみようと思いました。
築地の仲間5人と行った、いつものお昼の光景でした。

で、築地本願寺に戻って、いろいろ仕事。
カレーパワーは絶大です。いつのまにやら、メッチャ元気になっていました。
で、15時ぐらいから、部内でミーティング。4月の「はなまつり」について、色々と打合せをしました。ミーティングが終わると、家族のいる自坊がある山梨県大月市にもどる予定でした。
そんな時、事務所にある地震予知機が
「震度3。50秒前」
とのお知らせ。

数日前も「震度3」のお知らせを受けました。
その時は予報があっても、なにも出来なかったね!と笑いあいました。
ちゃんと、しなきゃねって。
ま、揺れもほとんどわからない程度だったので。

で、今回。
ミーティングの途中で、
「お、またきた」
「え、どうすれば良いんだっけ」
「一緒にカウントダウンする」
なんて、本当に甘くみて、軽口をたたき合っていました。

で、来ましたあの「揺れ」が。

最初揺れ始めた時は、
「感じる?」
という感じでしたが、すぐにその「うねり」がいつもと違う感じであることがわかりました。
大きく動き始めるロッカー。
壁にかけた賞状が跳ねる。
そして、震える建物。
みんなの顔が変わる。

とりあえず、外に出ようとなりました。
けど、でる時に参拝者の誘導をしたの者がいたのは、さすが!だと思いました。

で、境内。
みなさん、外に出てきている。
近隣の方も境内に避難してきている。
駐車中の車が揺れている。
駐車中のバスが揺れている。
前のビルが揺れ居ている。
そして、本堂が揺れている。

幸い、3月1日からの改修工事で、御本尊様は本堂から出されていました。
でも、本堂のあちこちからガラス窓がはじける音。
もの凄く長い時間に感じました。

揺れが治まって、とりあえず、他の職員と現場の確認。
仮本堂の様子を見に行ったり、と過ごしました。気持ちのうえでは、もう全ては終わって、日常に戻る前の確認作業。
確認作業もおわり、事務所に戻って、片付け始めたところ第2波。

とりあえず、表に出る。
境内は近隣の会社の方々や、様々な方の不安な顔。
灯籠や、建物の近くには行かないように呼びかけを始める。
境内にいる沢山の避難してきた人。
僕ら自身も、火災訓練などしていたけど、こういった事態はまったく考えていなかった。

いろいろな意見がでる。
「別になんかする必要はないんじゃないの」
「あくまでここは一時的な避難所だし、ちゃんとした公的な所にいってもらったら」
実際、浜離宮に行くようにとの案内をした僧侶がいたという話も聞いた。僕自身は聞いていないので、本当かどうかは判らないけど。

逆に、
「こういう時こそ、なんかしようよ」
「ここでなんかするのが坊主だろ!布施行だろ!」
と、いう意見も出る。

想像もされなかった事態。
当然、指揮系統やマニュアルなんてものはない。
それぞれ個人の思いが勝手に錯綜する。
いつまでも「築地本願寺」としての意志は定まることはない。

いつのまにやら、境内ではお年寄りが冷たい地面に腰を下ろしはじめる。
子どもたち。
赤ん坊。
女性。

そして男?うん、それは大丈夫。男は僕の経験上、どこで、なにをしても問題ない。

あちこちで疲れた顔。
でも、正式な指示はどこからもでない。
なにもできない。
どうしていいかわからない。
ただ立っている坊主たち。

ジレンマ。

30分たった。
そこで、Iさんという僧侶が、他に強引といってもよい同意を得て、動き始める。
堰を切ったように「なにかするべき」という考えの僧侶たちが動き始める。

まずは、堂内のイスを片っ端から出して境内に置き、足腰の悪い方などに座っていただく。
事務所からラジオを持ち出して、情報を流しはじめる。

エレベーターがとまっていたので、イスは人海戦術で運ぶ。気が付くと、境内に避難してきていた、近隣のサラリーマンらしき方もいっしょに運んで下さる。

そんな流れとは別に事務所に戻る僧侶もいた。
どちらが正しいとかはない。
想定されなかった事態に際して、各人の考えの違いがもろに出た状況となった。
決して事務所に戻った僧侶は悪くない。彼らは自己の信念のもとに「今、自分がやるべきことに従ったのだから」
だから、彼らは彼らとして、あの状況下において、頑張ったのかもしれない。

あとは「思い」を軸に、物事が動き始めた。

日が暮れるにつれて寒くなる境内。
2度の大きな揺れと、治まることのない余震。
家に帰りたくとも、交通機関のすべてが停止。
境内では沢山の人が、どうして良いかわからず佇む。
そのなかには、赤ちゃんを連れた家族連れの姿があちらこちら。
寒さは、ドンドンましてゆく。

いろいろな僧侶から、
「会館に避難してもらおう」
という意見が出た。

築地本願寺の会館は200名以上の収容が可能。
建物自体も鉄筋コンクリート製の丈夫なつくりで、暖房も完備している。
しかし通常では、そこを使用する際、他部署の同意と、上長の許可を書類で求める。
いわゆる、稟議書で伺い、最高上長の決裁を得て、やっと使用ができる。

でも、Iさんという、僕らの中では一番先輩の僧侶が動いた。
そのうえの責任者にも許可はとったとはいえ、あくまで口頭。
でも、Iさんの「なんとかしたい」という気持ちが、物事を動かした。
いわば「その時歴史が動いた(笑)」
まぁ、そんなたいしたもんじゃないけど。

「どうぞ、寒いので、あちらの会館でお休みください」
こんな当たり前の言葉をいうのに、色んなしがらみで、しばらく出来なかった。
境内に避難していた人たちはが、会館へと動き始める。

そこで、問題が。
会館に誘導して以上、誰かがちゃんと当番をしないといけない。
しかも本堂が改修工事中なので、会館が現在、仮本堂として機能しているので尚更。

とりあえず2時間毎に2人ずつ、当番として、会館に詰めることになった。
ちなみに僕は当番に入らなかった。
実は翌日は要務により自坊に帰る必要があり、なるべく当番ではなく、会館で従事するが、「番」という形は、時間によっては責任を果たせない可能性があるので。
その分、携わることが出来る時間帯は手伝うということにした。

事務所に戻る。
そうやった受け入れる事への批判的な意見を受ける。
「受け入れる体制もなく、マニュアルも、物資もないのに受け入れてどうするんだ」
「別にうちがやらなくても、宿泊施設を紹介してやれば」
「帰れるんじゃないの」
と、いった意見があった。

結局最初の当番2人と、有志の者が会館に向かう。
僕は愛用のmacを小脇に抱えて、会館へ。僕が出来ることって、たぶんPCがらみなので。

会館の中は沢山の人。ロビーに溢れかえる。
ここから物事が動き始める。
まず、あたたかいお茶を用意しようということになった。
何百人もの人にあたたかいお茶を、事前の用意もなく出すのは至難の業。
でも、彼女たちが動いた。
築地本願寺に勤める女性職員。
全員、僧侶でもある。
夕刻、16時30分の時点で、女性職員に対しては、「業務終了。自宅に帰っても良し」という通達が出ていた。
そんな彼女たちが、誰に言われるまでもなく、凄まじいスピードであたたかい「お茶」を作り、皆さんに振る舞っていく。
もう、家に帰って、余震に備えて色々と準備をしていても良い彼女たちが、先頭にたつ。
男性僧侶たちは、イスをだし、地震情報が伝わるように準備をして行く。
その会館には、テレビのアンテナ線が来ていないので、LANケーブルを無理矢理引っ張りだして、Ustream経由で、情報をプロジェクターを使った、流す。

どこにもマニュアルはない。
とりあえず思いつくことをして行く。
二人の当番と有志の僧侶だけで、動く。
その時点で会館には人がドンドンくる。
都内の交通手段が絶望的となり、いままで聞いたことしかなかった言葉、
「帰宅困難者」
が現実のものとなる。

そこで、ある偉い人Yさんが動き始める。
近隣から食料をあつめて、ふるまう。
声をかけてくれる。
その人の動きのお陰で、「なにかしたい」と思う坊主たちにとってはかなりの支えとなる。

ある女性職員Yから、
「お下がりのお米でオニギリをつくります」
すぐさま、偉いYさんの同意を得て、行動に移される。
そこには、仕事だからといった論理ではなく、僧侶として、困っている人を前にしてなにをするかというレベルの話となってきた。

僕はおにぎりは握れないので、とりあえず、17時30分の段階で築地本願寺で用意できるもをツイッターを使って流す。
実は僕は、ツイッターをかなり愛用しています。また、先月末に、「築地本願寺のHTMLソースわろたw」についての一件もあったので、そういったSNSサービスの威力は感じていたので。
ま、地震に関してはまず最初に築地本願寺の前の「幼稚園と小学校が目視するかぎりでは無事」という情報を、流しました。
僕も6歳の双子がいる身なので、災害の際に一番気に掛かるのが、子どもの安否なのです。
どんな未定情報でも、とりあえず、被災しているか、どうかが気になるのです。

そこから、築地本願寺の受け入れ体制を、ツイッターでつぶやきはじめました。
ぼくは大阪出身で阪神大震災の時は大学生。
大阪でも、となりの街は尼崎という、かなり阪神な環境でした。
ですので、あの時の思い出は、いまでも忘れることはできません。
直接の被災は幸いながらありませんでしたが、混乱を肌で感じるぐらい近くの場所にいました。
あとで聞いたり、僕自身も思ったのが「情報」の大切さ。
どこに何があるのか、ないのか。
あそこ一体、何があるのか、ないのか。

そんな記憶があったせいか、今の築地本願寺の会館にあるもの、ないものをつぶやきはじめました。
そして、ありがたいのがフォロワーの皆さま。
恐いぐらいの勢いでRTされて、情報が拡散されていきます。
それに比して増える帰宅困難の方々。直接聞くことは出来ませんでしたが、ひょっとしたらツイッターからの情報できてくれた方がいるやもしれません。
そして嬉しいのが「チヨダ」さん。
築地本願寺が受け入れ先になったということで、電源の延長コードと、携帯の充電器を持ってきてくれました。
ものこれが活躍しました。
携帯の充電って、現代人にとては食事と同レベルなのかも。

そして、女性職員のオニギリや、境内にある日本料理紫水スタッフによるオニギリが振る舞われます。
前述の女性職員Yが、自宅にある材料でコンソメスープを作り、振る舞いまってくれました。
21時を過ぎた段階で、とりあえず一回僕は部屋に帰ることにしました。休憩して、また真夜中ぐらいにでてこようかと。同じく女性職員のYも帰宅。
部屋に帰って、冷蔵庫を開けたらビールを筆頭にアルコールの行列。いますぐ食べられるのは納豆のみという素晴らしいラインナップでした。
自分の悲惨な冷蔵庫に笑っていると、女性職員のYからメール。
テレビで築地本願寺が避難所として紹介されたとのこと。

それって、帰宅困難な方による築地本願寺への避難が増えるってこと?
僕も先輩として、ちょっと格好付けて、
「わかった。今すぐ準備して、会館に行く」
と、めっちゃ男前メールをだしました。
女性職員のYから、返信が、
「私はもう、います」

はいっ、すいませーん。すぐ行きます。いやぁカッコわる(笑)

そして、どんどん人は来ます。
部屋の準備もどんどんすすめられ、受け入れていきます。
でもオニギリはもうありません。
近隣のコンビ二にも食糧はありません。
僕らが持ってきた私物の食料もなくなりました。

でも、疲れて、やっと築地本願寺までお越しになった方もおられます。

そこで、またツイッターで皆さまにお願いをしました。
帰宅困難の方を受け入れているが、食糧が底を突きそうなこと。
でも、体制的に食材を頂戴しても、調理ができないので、すぐ食べられるものが有り難いという贅沢なお願いなこと。
ネットの話にどれだけの人が、リアルな対応をしてくれるかは、まったくわかりませんでした。
僕からすれば一縷の希望にかけた感じです。

そのちょっとあとから、僕あての返信で、
「なにが必要?」
「おにぎりを一時間後に」
「カップスープと、ジュースだけど……。」
と、ありがたい申し出を頂戴いたしました。

そして、会館で待っていると、
まず、一番、最初にもってきてくれたのは、なんと、お茶のふるまいや、スープの準備などで、かなり遅くまで奉仕してくれた女性職員のOさんと、Hさん。
「部屋にあるものしかないですが……。ツイッターを見て」と、持ってきてくれ、そして、疲れているのに、再度スタッフとして、参加してくれました。
あと、Mくんなども「家でガスが出なかったので、ここで喰おうかと……。」と、カップラーメンを持ってきてくれました。
自分が喰うだけなら一個でよいのに……。どんだけツンデレ(笑)

でも、全然足りません。

しかし、そんな、こんなしていると、どんどん善意が届きます。僕が直接お礼を言えた方、他の職員に預けて去られた方と様々ですが。
本当に、本当に沢山の善意が届きました。
正直、僕はちょっと控室に隠れて泣きました。
あまりにも、素晴らしい、まさに「布施行」と呼びたい善意が、寒く、余震が続くなか、寄せられ来るということに。
有り難くて、もったいなくて、嬉しくて。

まぁ、おっさんの涙になんの価値もないので、さっさと、避難をされている方にお配りしていきます。
このやり方があっているのか、どうかはまったくわかりません。
でも、とりあえず、できるとこはしたい。
その思いだけで、有志の職員は動きました。

僕はひたすらツイッターで、今、築地本願寺にできることをつぶやきつづけました。

食材が底をつきそうになると、「じゃあ、次は”わかめ玉子スープ”」とアイデア満点で場を助けてくれた女性職員のY。←そういえば、なぜかこの子だけ{さん}がなし。デコスケ野郎といわれるな。小ネタ。
色々なことがらに対応するOZCさん、Uポンをはじめとする当番のみなさん。

陣頭指揮をとって、指示を出すIさん。

何も言わず手伝ってくれたIくん、Mくん。

細やかな対応のOさん。

また、女性職員で、信じられない量のお湯とお茶を用意しながらも、スープ作りまでした、Iさん、Oさん、Hさん。

帰ってよいっていうのに、準備しまくる女性職員のKさん。

結局、自分も帰られなくなってしまうぐらい、従事した女性職員Aさん。

また、この避難所の運営に直接関わらずとも、被災寺院の対応で、たぶん僕以上に寝ていない教務所の皆さん。

なんか、僕は、この一件で人が好きなりました。
世の中、捨てたもんじゃないって!
まぁ、前からそう思っていたのですが(笑)

そして、ツイートの中に、築地本願寺への感謝の言葉が……。
おいおい、俺を泣かせてどうしようっていうんだい!?

途中、新聞記者さんの取材や、なんやかんやがあり、僕は3時すぎにダウン。
さすがに当日の朝5時まで飲んでたからね。
ってか、寝てないし。
つーことは、軽く40時間ぐらい起きてたわけやね(笑)

で、仮眠とって復帰。
やっぱり気になるので。

そして、いつもとかわることなく、お晨朝の勤行が勤まりました。
こんな状況でも、変わらないことがあっても良いかと思います。
で、晨朝勤行も終わり。

時間も8時、9時となるころには、JRも復帰し始め、築地本願寺で待機していた方も、帰路に着き始めます。

その中で、
初めて築地本願寺にきたであろう若い女性が、仏様に頭を下げて、帰って行きました。
妙齢の女性が、「むきだしで悪いね」って、お金を納めようとしていました(←さすがに、これは受け取れません。また、あらためてお参りいたければ)
ある男性は、握手をして出て行かれました。
ある女性は、あらためてお礼に来ます!といって、帰路に。
ある外国人の方は手紙を置いて。
あるご婦人も手紙を置いて。
そしてツイッターで謝意を述べる方も。

そして、避難されている方でも、
「iphoneの充電器もってますから使って下さい!」
「僕もdocomoあるので、どうぞ」
「一緒にイス片付けます」
と、申し出る方もあり。

決して、僕らは見返りを求めたわけではありません。
でも、ちょっとだけ、喜んで良いよね?

僕らも会館をドンドン片付けて、いつもの状態に戻しました。
で、避難所体制を解散。

一部の職員はそのまま、昼間の勤務に入ります。たぶん、無茶苦茶しんどいと思います。

結局僕は、土曜日の要務は住職がしてくれるということらしいので、あせることなく自坊に帰宅。
と、いうことで、とりあえず倒れてから、大月市に向かう中央線に乗りました。

電車のなかで、みょうにまぶしい日差しに照らされて思いました。

やっぱ人間って最高!

次はこの思いが、被災地へ届けばと、念願してやみません。
称念合掌。