チェルノブイリの教訓を!ナターシャさんの天使の歌声と皆さんへの感謝。 | 清水国明オフィシャルブログ「清水国明のブログ」 Powered by Ameba

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瀬戸内海のど真ん中
岩国と松山の中間あたりに無人島「ありが島」があります。
清水国明が日本一わくわくする無人島キャンプ場を造りました。
これまでの集大成、これからの希望です。
どうぞ遊びに来てください。
http://arigatou.p-kit.com/

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生きるチカラボランティアフェスティバル
2日目。


ナターシャ・グジ―さんのコンサートが
大変好評でした。


ウクライナで生まれで
チェルノブイリ原発の3.5キロ地点で
暮らしていたのだそうです。


その日、
とりあえず避難してください、
3日で帰れますから、

荷物も持たないでいいです、


と言われ、


でも3日たっても、
一か月たっても、


今も故郷には帰ることが出来ない。


とても多くの人が亡くなり、
今も苦しんでいる人たちがいる。


子どもたちは次々と病気になり、
結婚して生んだ子どもには
障害があって・・・。


日本にやってきて
もう11年になるそうです。


チェルノブイリの教訓を
生かさなければならないのに、


人は大切なことでも
時間とともに忘れてしまう。


子どもたちや女性を
一刻も早く
避難させるべきだと
ナターシャさんは思っていて、


まだ動かない政府、
まだ国の発表を信じている
人たちに、


自分の体験を聞いてもらうために、
歌い続けているのだそうです。


被災地へ出かけて行き、
何とか親や関係者を説得して、
子どもたちを安全安心な
場所へ避難させている
私たちの取り組みを知って、


ナターシャさんは
河口湖に駆けつけてくれたのです。


ウクライナの民族楽器と
澄んだ歌声が
森の中に気持ち良く
響き渡りました。


みんなの心を
キュッと掴んでしまう、
不思議な魅力いっぱいの
美しい女性です。


そのあとCDのサイン会。
行列が出来たのですが、
その売り上げの全てを
支援金として寄付!


そして子どもたちへのプレゼント!


今後何回も、子どもたちのために、
夕食の後の食堂ででもいいですから、
歌いにきますね、


と約束してくれました。


みんなが、とてもとても感動しました。
素晴らしい人です。



そういえば、
比べるのも何なんですが、


友人の嘉門達夫からも、
食堂でいいから歌いに行くよ、
と電話がありました。


ナターシャさんとは全く
異質の、爆弾みたいな男ですが、


子どもたちの爆笑、
はじける笑顔も
きっと楽しいでしょう。


連休中には来ることが出来ない
嘉門達夫は、


5月7日の午後7時から


「森と湖の楽園」の食堂で、
生歌生ギターで、


一時間ぐらいやってくれることになりました。


キャンプフレンズだけでは
もったいないので、


よかったら、
ご近所の皆さんも見に来てください、
とのこと。


達夫の歌もムチャ面白いですが、
楽しげな子どもたちの雰囲気が、
きっと和むと思いますよ。


このフェスティバルで、


歌うことや、踊ること、
物を売ること、チェーンソーで彫刻を掘ること、
肉を焼くこと、ピザを作ること、
押し花アートを教えること、などなど。


色々なことで支援しようと
沢山の人たちが集まってくれました。


これも新しいボランティアの形です。


駐車場で、ずっと頑張ってくれていた人、
釣掘りで、朝からずっと魚をさばき、焼き続けてくれた人、
厨房で、食器を洗い、子どもたちの食事を作り続けてくれた人、
寒い受付で、にこにこしてくれていた人、
事務所にこもって、電話番してくれていた人、


みんなみんな、有難う。


歌や踊りのような
華やかさはないけれど、


皆さんの働きのお陰で
このイベントが成立している。


そのことはしっかり
心に刻んでいます。



さて、
清水国明とその家族は、
このイベントで
どんな貢献が出来るのか。


ずっとウロウロしているだけで、
これといって
お役にたててない家族です。


見せられるほどのものではありませんが、
夜のステージで
歌と踊りを、3日と4日と、
大胆にも披露することにしました。


恥ずかしいから、照れくさいから、
なんて言っていると
積極的に舞台に立ってくれている人たちに
申し訳ない。


妻と3歳の国太郎を説得するのは
少し大変でしたね。


妻の敬子は
ハウステンボスの「スイセイミュージカル劇団」
で踊っていて、パレードにも出演していました。


妻は震災後、避難してきた人の中で
希望する人たちを、


自分が知っている富士山周辺のパワースポットに
車であちこち案内したら意外と好評で、


調子にのって毎日連続で案内しているうちに、
疲れが溜まって倒れてしまったドジ子です。


今は、地元の神社やあちこちの神社で、
友人たちと神様に捧げる奉納舞をやっています。


で、みんなの幸せを祈るそんな踊りや、
私の歌のコーラスをやってもらったのですが、


ミュージカルのときの歌の先生のところで
レッスンしてもらった時には完ぺきだったのですが、

緊張なのか、寒さなのか、


これがなかなかの出来で、


私は脂汗をかきながら歌い終えました。


どうかどうか、笑って許して、
と祈りつつ。


でもやっぱり許してくれない人がいて、
妻のブログに、けっこう辛辣なコメントが、
夕べ、入ったのだそうです。


あっちゃー、こりゃえらいことになるぞ、
との予測通り、


「あなたが無理やり誘うから!私は出たくなかったんだからね!」
と、朝から大荒れでした。


2日目のステージには絶対出ない!と言い張る妻を
説得してくれたのは、息子の国太郎でした。


「ママ、うたお。ママ、でよ」


と私と一緒にお願いしてくれたおかげで、


「あと一回だけだからね・・・」と、何とか。


出演してくれた人たち、出店してくれた人たち、
フェスティバルに参加してくれた人たちへの
感謝の気持ちで、清水家総出の歌と踊り。


でも、国太郎はせっかく持っているオカリナも
吹かず、舞台袖から飛び出して、踊っている
ママのお尻にタッチしてくるパフォーマンスを
3回繰り返しただけでしたが・・。


ナターシャさんの素晴らしい歌声で
心が洗われた後のステージを、


とんでもない雰囲気にしてしまった
反省を、十分しています。



そんな中でも一曲だけ。


フェスティバルの朝に完成した新曲の

「愛が見えますか」を歌っている時、


福島から避難してきているお母さんが
ぽろぽろ泣いているのが目に入り、


そのせいだけではないのですが、
3か所も間違えてしまいました。


この歌は、
これからも、
大切に歌ってゆこうと思っています。


でも、もっと練習しなければ・・・。