皆さま、こんばんは。

 私どもの被災地支援活動を通じてご縁ができ、先日、気仙沼にお住いの方からメッセージをいただきました。
まだ現地では大変な状況が続いております。
ぜひ皆さまもこのメッセージをお読みいただきたく思い、ここに掲載させていただきます。
そしてぜひ、この方へのメッセージや感想などをお書き込みください。


~被災地・宮城県気仙沼市の一個人より 全国の皆さんへ~

 私は宮城県の北端に位置する気仙沼市在住の者です。震災当日は自宅にて大地震に遭い高台に避難、そこから街が津波に飲まれるところを目のあたりにしました。幸い自宅は津波被害をギリギリ免れたものの、瓦礫や浸水により道路は寸断され、あらゆる地域が孤立しました。そして大火災。黒煙に覆われ真っ赤に染まる空は今でも鮮明に覚えています。震災により『日常』はあっさりと奪われ、あらゆる事が変わってしまいました。

 そんな被災地にいる私が感じていることの一つに、『被災地の現実や事実はちゃんと報道されているのか?』というものがあります。関東に住む兄によれば、報道はほとんどが美談ばかりとの事。しかし現実は違います。私は全国の皆さんに、被災地の良い事も悪い事も、事実をちゃんと知って欲しいと願っています。知って頂く事で、何か感じて頂ければと思います。

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 例えば犯罪行為について。震災直後から被災地は治安が悪化し犯罪が横行しています。住民が避難し留守となった家屋の空き巣被害は数えきれない程にのぼりました。私の家にも震災翌日に空き巣が入りかけました。その時私は家に居たので、見知らぬ男性が窓から入ろうとしているのに遭遇した時は本当に驚きました。それ以来あまり家を留守にできず、就寝する際には枕元に護身用のものを置いています。空き巣の他にも、万引き窃盗、津波により流出した自動販売機を破壊し飲み物や金銭を取り出す人、被災した店舗から商品を山のように運び出す人など、略奪行為も起きました。

 生きる為に必死だったのかもしれません。でも明らかにそうではないただの火事場泥棒も居ました。そして生きる為とはいえ、犯罪は犯罪です。震災により心の箍(たが)が外れ手を染めてしまう人が多数いた、という事実もあるのです。

 避難所と避難所以外の被災者の問題もあります。『家があるか否か』という大きな違いは、両者の間に深い溝を作る原因となってしまいました。避難所に山積みになっている物資と、全く物資が届かず困窮する自宅生活者。被災範囲が広範過ぎる為に行政の手はなかなか回りません。また、市町村合併により行政の目が届きにくくなってしまった地域も多数存在します。気仙沼では続々と店舗が再開し、商品も安定して供給されるようになりました。しかし仕事や車を失い、以前のようにまだ買い物できない人がいるのも事実なのです。

 そんな中、遠方より被災地に駆けつけてくれた自衛隊消防隊の皆さんの勇姿は本当に頼もしく被災者の目に映りました。危険を承知で救助や消火活動、物資輸送をしてくれた皆さんには、感謝してもしきれないほどに感謝しています。

 そして私が今回の震災で最も驚き、そして感謝しているのは全国の皆さんの善意です。義援金や寄付金を寄せてくださる方はもちろん、大量の物資を寄付してくださる企業様、全国から駆け付け汗を流してくださるボランティアの皆さん、そして物資をお送りくださる個人様の多い事!本当に驚きました。

 私は自宅の電気が復旧してからインターネットを通し物資を募集、避難所や被害のひどい家屋で生活する方へお届けする活動をしています。初めは半信半疑で始めました。本当に支援してくれる人なんているのだろうか?と。

 ところが私の予想に反し、全国のたくさんの方々が物資を提供してくださったのです。

 支援してくださる皆さんが仰います。『被災地に行く事はできないけれど、何かしたいんです』と。このように思ってくださっている方々が多数いらっしゃるという事実に、私は感動し感謝しています。被災地外に住む方が被災地を支援しなくてはならない、なんて決まりはありません。義務もありません。それでも支援くださる方がたくさんいるのです。

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 しかしながら、その皆さんの善意に必要以上に甘えてしまっている被災者がいるのも事実です。次第に要求はエスカレートし、モンスター被災者という呼称が聞かれるようにまでなってしまいました。突然の震災により奪われた日常。生活水準を下げるというのは確かに耐えがたいものです。しかし、だからといって善意に甘えワガママ放題というのは人としてどうかと思うのです。自力で頑張れない理由として挙げられるのが、『頼めば物資として送って貰えるんだから買わなくてもいい』『ネットで頼めば誰かに買って貰える』という考えが広がってしまっていること。完全なる甘えです。支援というものの本質ってなんでしょう?復興の手助けだと私は思っていますが、行き過ぎた支援は時にそれを妨げてしまう。

 そんな事もあり、また、生きていくのに最低限のものは供給され始めた今、今後の支援活動はこれまでと違ったものにしていこうと考えています。『もう、新たに買ったものを送って頂くのはやめよう』というものです。詳しい内容については割愛させて頂きますが、多くの方が賛同し支援してくださっています。

 震災により変わった事はまだまだたくさんあります。その中で特に印象的なのは、母が事ある毎に涙を流す事です。新聞やテレビを見て何気ない出来事に涙し、久方ぶりのファストフード店での食事に涙し、知人との再会にする。震災以前ならば『当たり前』だった事が、今はそうではなくなってしまった。いかに『日常』が有難く大切で、そして何も感じず過ごしてきたのかを思い知りました。

 買いたい物を買えない、着たい服を着れない、行きたい場所に行けない。数えればキリがありません。しかし街は日々着実に復旧していっています。次第に少なくなる報道に不安は感じますが、それでも被災地を思ってくださっている全国の皆さんがいらっしゃる事が支えになっています。

先はまだまだ長いですが、確実に前へと進んでいきます。

長くなりましたが、御拝読頂きありがとうございました。
全国の皆さんに、心からの感謝と尊敬の念を込めて。
そして今回の機会をくださった、『ガルボ』のヴィオラ奏者沖西様に多大なる感謝を込めて。

ありがとうございました!



2011年5月某日
気仙沼の一個人より
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