説教題 「平安な心」

聖句 旧約聖書イザヤ書30章15~16節

主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、

「あなたがたは立ち返って、

落ち着いているならば救われ、

穏やかにして信頼しているならば力を得る」。

しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。

かえって、あなたがたは言った、

「否、われわれは馬に乗って、とんで行こう」と。

それゆえ、あなたがたはとんで帰る。

また言った、「われわれは速い馬に乗ろう」と。

それゆえ、あなたがたはとんで帰る。

また言った、「われらは早い馬に乗ろう」と。

それゆえ、あなたがたを追うものは速い。


ぱっと、この聖句を聞いたとき、意味が分かりませんでした。

この聖句の言わんとするところとは・・・

日々、忙しさに忙しさを重ねてそれが良いことのように感じられる現代。

しかし、ふと神様が作られた自然の中に身を置いたとき私自身を振り返り、立ち返る。

「穏やかに信頼しているならば力を得る」

礼拝を神に捧げる場も、そうでありたい。とH牧師は立ち返ったということを告白してくださいました。

説教者であるから、礼拝参加者に良いことを伝えなければいけない・・・。そのように思うあまり、自らが神様にそっぽを向いてしまっていた時があったのではないか・・・。
責任ある立場であればあるほど、このように考えると思います。

しかし、語る側も礼拝の一参加者として、心穏やかに神様を信頼するという姿勢を改めてもっていくべきと気付きがあった、と仰ってくださいました。

礼拝において語る責任を持つことの、その重みをなかなか感ずることは出来ません。
しかし、私の生活の中においても、あわただしく過ごし、神様を意識しているようでも、気が付くと神様に背を向けている、そのような瞬間があるのではないかと、立ち返らされました。


まず深く呼吸して、神様の愛を受けていることに感謝する。ふんだんに神様を感じていく。
神様が自然を作られて、わたしもその一部にいる。

その大きな循環の中に身を委ねて・・・・。




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