もうすぐ震災から2カ月になる。


仮設住宅の準備が進み始め、児童に校舎を返すために閉鎖される避難所も。

世界中から寄せられた義捐金の分配は進まない。

TVでもネットでも、震災や原発に関するニュースがどんどん減っていく。


でも被災した人々が日常生活を取り戻すにはまだ何年もかかるだろう。

余震は一向に鎮まる様子がない。数年以内にもう一度マグニチュード7クラスの地震が来るという予想もある。

福島はまだくすぶっていて、ロボットもイマイチ役に立たず、燃焼棒の温度は上がったり下がったり。


私たちはこれからどうするべきなんだろう。




自粛を”自粛”しようという動きが進んで、TVのCMもバラエティ番組もほぼ震災前と同じ通常放送に戻っている。津軽お囃子歳時記 特にGWは委縮せずに行楽をしてもらわないと、日本経済が失速してしまう。


青森県も観光に頼っているので、弘前城桜祭りに例年通りお客さんが来てくれるかすごく気をもんだ。

連日、天気が悪く寒いにもかかわらず、たくさんの見物客で賑わってほっと胸をなで下ろしたものだ。



津軽お囃子歳時記


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だから多分、意図的にマスメディアは最近、被災地や原発に関するニュースを減らしているのだろうと思う。

震災について忘れて、経済を回してもらうために。


でも一方で、大事な情報が隠されているのではという不安が頭をもたげる。

震災直後の停電のこと、原発事故のことを忘れて、いつの間にかエネルギーを節約すべきことも忘れてしまうんじゃないだろうか。



津軽お囃子歳時記


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そして、どうしても震災や原発のことを忘れるわけにいかない人がいる。


被災して家を追われた人、家族を失った人、収入の方法を断たれた人。

直接被害を受けなくても、余震や放射線への恐怖で精神的に不調をきたしている人も多い。


上に上げた写真は岩手県野田村の様子。

一番整備の進んだ村役場の裏から、周囲を写したものだ。


野田村は三陸海岸でも一番北部で、釜石や宮古に比べると比較的被害規模が小さかった。青森県からアクセスしやすいことも手伝って、連日数百人の市民ボランティアが訪れているし、三沢基地からの支援も早かった。

なのに、震災から40日後でこんな状態だ。


連休中、ボランティアの人手が足りなくなるのではと調べて見たら、連休を利用して全国からたくさんの人が応募したため、新規のボランティア受け入れを断っている自治体もあるとか。

ひとまず、よかった。


一方、支援物資はダブついてその処理が被災地の負担になったりしている。


必要な時、必要な支援をするって難しい。

物質的なことはもちろんだけど、精神的なケアもこれから何年も必要など思う。



津軽お囃子歳時記

上の写真は、4月29日に弘前城で行われたキャンドル・イベント。


照明を落とし、手に手にキャンドルを持って震災のことを考えよう、という催しだ。

私も裏方でちょっとお手伝いした。

市長さんと実行委員長のスピーチ、ローカルのアップルウェーブというラジオ局のアナウンスが流れて、みな雨にもかかわらず静かに20分ほど立っていた。


特に募金を集めるでもなく、何かチャリティーを行うわけでもない。

でもこのイベントのために多くの人が集まった。天守閣まで入るためには300円の入場料を払わなくてはならない。この入場料の3分の1が被災地支援に送られるのだ。


弘前城桜祭りの支援事業



特別なことをしなくても、ボランティアで現地に行けなくても、こういうムリのない支援も長続きするコツかもしれない。


”忘れないよ”という効果があるかも、という人もいる。

まだ1カ月かそこらで忘れている人がいる方が問題では、と言いたいが、忘れないと行楽なんかできない。


自分の日常生活をしっかりやる。できることをムリせずやる。

普通の生活を送りながら、エネルギーの問題を考える。


そんな感じで、長い目で復興を支えていくのがいいのかもしれない。