2泊2日で宮城県石巻~北上地区(十三浜)で
ボランティア活動をしてきました。
このブログは基本的に
『画家のツマ日記』なので
わたしの個人的な活動を書くことに
迷いもあったのですが
被災地や支援に関心を寄せている方に
すこしでも参考になればと思い、アップします。
(文中に写真を貼っています。)
(ご自身の判断で閲覧してください。)
わたしが参加したのは、鎌倉とどけ隊 第3便
https://kamakuratodoketai.jimdo.com/
記録係さん(パワーチーム)による写真@facebook
(ログインが必要です。登録は無料)
http://goo.gl/GXEic
2tトラックやワゴン、3台の車に13人が乗って
現地では、炊き出しと瓦礫撤去などの
パワーチームに分かれて作業しました。
中央が麻心オーナーで隊長「行き当たりばっちり」しんじさん
わたしは今回現地に行くまで
三陸あたりがどんな地形で
どんな暮らしをしているところなのか
知りませんでした。
リアス式海岸だとか養殖が盛んだとか
言葉では知っていたのですが
それがどんなことなのか
津波によってどう影響を受けたのか…
イメージできなかったからこそ
自分なりに思う被災地支援や“これから”に
絵空事のような薄っぺらさを感じていたし
漠然とした懸念があったのだと思います。
大指生活改善センターで仕込み。
子どもたちが手伝ってくれました。
中学生は毎日通学、小学生はセンターに
週に何度か先生たちが来る出張授業です。
そこに暮らしているのは
みんなで肩を寄せ合い協力しながら
日々をただ精一杯いきている人たち。
横浜よりも原発に近いけれど
放射能のことなんてまったく言及がないくらい。
そして地元にも、いままでの暮らしのことも、
すごく愛着をもっていて。
復興も、一時疎開も、
合理性だけではすすめられないこと。
あのひとたちがあそこに暮らしていくならば
必ず早い段階で復興していくだろうし
それを支援することもできるということ。
ただし、必要な支援は地区によって異なり
また、日々刻々と、変わっていくこと。
「顔の見える支援」は現地の人にとって
こちらの思う以上の応援になること。
わたしは現地に入ったことで
こうしたことがやっと分かったのでした。
1日目の夕方、小室地区で炊き出し。
支援物資として持参した食器類も大変喜ばれました。
一番山側に残った家屋3軒で
100名近くが共同生活をしていますが
避難所ではないため物資や炊き出しは滅多にきません。
2日目は小滝地区の公民館。
津波被害は1軒だけのため支援が手薄とのこと。
電気は時間限定、水は給水車です。
わたしは企業のシステム担当していた時も
現場主義で、ぜんぶを自分の目でみて体験して
そこから体系化を考えるのが好きだし得意だと思ってるから、
わたしがわたしらしく関わるために、
現地入りは必須だったと思っています。
これを物見遊山に終わらせるかどうかは、
これからのわたし次第。
貴重なエネルギーを使って現地に入り
あそこで見たもの感じたものを、
今後どうしていくか。どんなふうにつなげていくか。
石巻市内から大指へ向かう海岸沿線
鉄筋コンクリの小学校も役場も壊滅的様相…
誰もが現地に行く必要はないし
いまいる場所で出来ることはたくさんあります。
でも、とにかく人手が必要なことも事実。
道路、ビル、一般家屋、工場…
どこから手をつけたらいいのかわからないほど
見渡す限り、片付けを待っている状態。
行政でやりきれる量とは思えません。
石巻市内は全体的に魚臭く感じました。
パワーチームの人から聞いた話では
汚泥を片付けていると魚の死骸が出てくるそうです。
ウィルス感染も増えているし、これから暑くなり
衛生面は悪化しやすくなります。
パワーチームが片付けに入った車整備屋さん。
簡易防毒マスクとゴムつなぎ着用
一見ふつうにみえる家も土台がめちゃくちゃで
全壊認定されているものの、
建て直せるだけの補償はないだろうから、
使える部分だけ使ってのリフォームを目指して
1階部分の徹底掃除、壁紙をはがし、
床板をはがして汚泥除去しなきゃならない。
そんな状態が千葉~岩手の沿岸
数百キロにわたっている。
現地の人を雇用しての瓦礫撤去なども
始まっているけれど
自治体が「給料を支払う」のでは
追いつかないでしょう。
津波と原発の二重被害をうけている福島は
ボランティアも忌避するため、さらに困難です。
では、どうするか?
わたしごときが考えてどうなるものでもないとしても
「いま」を見据えたうえで、ちょっと先、そしてかなり先の
望ましい状況、在り方、システムを、
自分なりに探っていこうと思います。
同時に、鎌倉とどけ隊や他の団体の活動をチェックして
その時々にできることをやっていきます
この先、いつかは、
被災地でなにかしたいと考えている方へ
被災地支援は長く続くことです。
求められる支援内容もいろいろ変わってきます。
現時点でも、瓦礫撤去はもちろん、
物資の仕分け、炊き出し、
子どもたちのケアや整体や美容、
いろいろと幅が出てきています。
自分の気力体力と、現地の諸条件、
いろんなタイミングがあったところで
ぽーんと行ける機会がきっとあります。
あせらずにいきましょう
ボランティア活動をしてきました。
このブログは基本的に
『画家のツマ日記』なので
わたしの個人的な活動を書くことに
迷いもあったのですが
被災地や支援に関心を寄せている方に
すこしでも参考になればと思い、アップします。
(文中に写真を貼っています。)
(ご自身の判断で閲覧してください。)
わたしが参加したのは、鎌倉とどけ隊 第3便
https://kamakuratodoketai.jimdo.com/
記録係さん(パワーチーム)による写真@facebook
(ログインが必要です。登録は無料)
http://goo.gl/GXEic
2tトラックやワゴン、3台の車に13人が乗って
現地では、炊き出しと瓦礫撤去などの
パワーチームに分かれて作業しました。
中央が麻心オーナーで隊長「行き当たりばっちり」しんじさん
わたしは今回現地に行くまで
三陸あたりがどんな地形で
どんな暮らしをしているところなのか
知りませんでした。
リアス式海岸だとか養殖が盛んだとか
言葉では知っていたのですが
それがどんなことなのか
津波によってどう影響を受けたのか…
イメージできなかったからこそ
自分なりに思う被災地支援や“これから”に
絵空事のような薄っぺらさを感じていたし
漠然とした懸念があったのだと思います。
大指生活改善センターで仕込み。
子どもたちが手伝ってくれました。
中学生は毎日通学、小学生はセンターに
週に何度か先生たちが来る出張授業です。
そこに暮らしているのは
みんなで肩を寄せ合い協力しながら
日々をただ精一杯いきている人たち。
横浜よりも原発に近いけれど
放射能のことなんてまったく言及がないくらい。
そして地元にも、いままでの暮らしのことも、
すごく愛着をもっていて。
復興も、一時疎開も、
合理性だけではすすめられないこと。
あのひとたちがあそこに暮らしていくならば
必ず早い段階で復興していくだろうし
それを支援することもできるということ。
ただし、必要な支援は地区によって異なり
また、日々刻々と、変わっていくこと。
「顔の見える支援」は現地の人にとって
こちらの思う以上の応援になること。
わたしは現地に入ったことで
こうしたことがやっと分かったのでした。
1日目の夕方、小室地区で炊き出し。
支援物資として持参した食器類も大変喜ばれました。
一番山側に残った家屋3軒で
100名近くが共同生活をしていますが
避難所ではないため物資や炊き出しは滅多にきません。
2日目は小滝地区の公民館。
津波被害は1軒だけのため支援が手薄とのこと。
電気は時間限定、水は給水車です。
わたしは企業のシステム担当していた時も
現場主義で、ぜんぶを自分の目でみて体験して
そこから体系化を考えるのが好きだし得意だと思ってるから、
わたしがわたしらしく関わるために、
現地入りは必須だったと思っています。
これを物見遊山に終わらせるかどうかは、
これからのわたし次第。
貴重なエネルギーを使って現地に入り
あそこで見たもの感じたものを、
今後どうしていくか。どんなふうにつなげていくか。
石巻市内から大指へ向かう海岸沿線
鉄筋コンクリの小学校も役場も壊滅的様相…
誰もが現地に行く必要はないし
いまいる場所で出来ることはたくさんあります。
でも、とにかく人手が必要なことも事実。
道路、ビル、一般家屋、工場…
どこから手をつけたらいいのかわからないほど
見渡す限り、片付けを待っている状態。
行政でやりきれる量とは思えません。
石巻市内は全体的に魚臭く感じました。
パワーチームの人から聞いた話では
汚泥を片付けていると魚の死骸が出てくるそうです。
ウィルス感染も増えているし、これから暑くなり
衛生面は悪化しやすくなります。
パワーチームが片付けに入った車整備屋さん。
簡易防毒マスクとゴムつなぎ着用
一見ふつうにみえる家も土台がめちゃくちゃで
全壊認定されているものの、
建て直せるだけの補償はないだろうから、
使える部分だけ使ってのリフォームを目指して
1階部分の徹底掃除、壁紙をはがし、
床板をはがして汚泥除去しなきゃならない。
そんな状態が千葉~岩手の沿岸
数百キロにわたっている。
現地の人を雇用しての瓦礫撤去なども
始まっているけれど
自治体が「給料を支払う」のでは
追いつかないでしょう。
津波と原発の二重被害をうけている福島は
ボランティアも忌避するため、さらに困難です。
では、どうするか?
わたしごときが考えてどうなるものでもないとしても
「いま」を見据えたうえで、ちょっと先、そしてかなり先の
望ましい状況、在り方、システムを、
自分なりに探っていこうと思います。
同時に、鎌倉とどけ隊や他の団体の活動をチェックして
その時々にできることをやっていきます
この先、いつかは、
被災地でなにかしたいと考えている方へ
被災地支援は長く続くことです。
求められる支援内容もいろいろ変わってきます。
現時点でも、瓦礫撤去はもちろん、
物資の仕分け、炊き出し、
子どもたちのケアや整体や美容、
いろいろと幅が出てきています。
自分の気力体力と、現地の諸条件、
いろんなタイミングがあったところで
ぽーんと行ける機会がきっとあります。
あせらずにいきましょう