今回は久々にまたベトナムの話題。そして以前にも「中国がベトナムに学ぶ!?(その2)―中国からみたベトナム国会、政治指導者、メディア」で取り上げた、「中国から見たベトナム」といった視点です。その記事とも少し内容は重なりますが、ご紹介するのは鳳凰週刊2011第11期号の特集「ベトナム共産党の革新・コントロール可能な民主」です。何と22ページもの長編特集で、1月に行われたベトナム共産党第11回大会からベトナム政治リーダーの変動とその背景などを詳細に紹介。そのトピックの一つとして「コントロール可能な民主-ボトムライン上でのベトナム党外民主実験」と題して、この共産党国家における民主化という、明らかに中国にとってもセンシティブ(「敏感」)なテーマを取り上げています。

 「こんなにベトナム政治を熱く、長く語って読む人がいるのかな?」と思いつつ、そこには、中国のことには一言も触れないままに、でも中国もこうあって欲しいという意味で若干美化されたベトナム政治・民主化の姿が描かれているように思えるのが興味深いです。ある人に言わせればこれは「指桑罵槐」 (桑を指さして槐(えんじゅ)を罵る。桑の木を指しながら、全く似ても似つかない槐(えんじゅ)の木を罵る。つまり、本当の怒りの対象とは全く違うものを攻撃する、という意味。)であり、確かにその通りと感じます。今回はベトナム国会に関する主として内容を簡単に紹介します。それぞれを中国に置き換えて考えてみると・・・、指桑罵槐と感じられるでしょうか?

$北京で考えたこと
ホーチミン市人民評議会の建物、ここに入る人たちはどのように選ばれているのでしょうか?


「言うことを聞かない」国会議員

 ベトナム国会第13期選挙(任期2011-2016年)は5月22日、1月に行われた共産党大会に4ヶ月遅れて行われる。ベトナムの国会議員選挙、そして地方議会選挙は差額選挙(訳注:信任投票ではなく、議席を複数名で争う)で行われ、これはベトナムの党外に対する民主化の度合を測る物差しの一つと見られている。現在の国会議員中、共産党員は91.1%、しかし高速鉄道建設案、ボーキサイト開発(訳注:これらについては以前のブログ記事「中国がベトナムに学ぶ!?(その2)」をご参考下さい)を否決するなど、その役割に関する名声は高まっており、党の命に完全には従わなくても良いと公認されている。これらは「原則としては党と国家機関の職能を分離していくという方向であることを示している」例であると、白石昌也・早稲田大学教授は分析する。

党のコントロールか、自由意思か?

 前回の国会選挙を例に取れば、祖国戦線(訳注:同誌では中国の政治協商会議に類似の組織と紹介され、確かに設立の歴史的背景は似ていますが、政治プロセスなどへの関わりはより深く、類似とは言い難いです)などにより選抜された候補者リストは876名に上り、それが182選挙区に割り当てられる。一選挙区に4-5人が立候補し、2-3人が当選する形となる。党の要職にあるような重鎮が「当選確実」なのを除くと、それ以外の候補にとっては侮れない倍率である。現在ベトナムでは選挙活動は許されていないが、例えば候補者とは名乗らずに新聞に自らの文章を載せるなどの活動をする候補もいる。選挙運動禁止が選挙が盛り上がらない原因だと、意識の高い裴民さん(訳注:ベトナムの市民の声の例として出てきますが、こんなに政治参加意識の高い人あんまりいないと思う・・・)。そのため、選挙運動解禁を期待する声もある。

$北京で考えたこと
共産党のプロパガンダ・宣伝によるコントロールはどこまで効いているのか?


 選挙の当日、住民及び住民の代表は有望候補者の「紹介会議」に出席し、暗に投票行動が誘導される。しかし、その効果には限界があり、言うことを聞く人もいれば、資料を良く読んで自らの選択をする人もいる。候補者リスト上位には学歴の高い、党が当選させたい候補を置いて「意中の人」を暗示するが、裴民さんは「それには惑わされない」と言う。43.6%という淘汰率は、共産党が大局をコントロールしつつも、個別には選挙民に選択を委ねていると言える。

どこがボトムラインか、民主化と揺り戻しの間で

 ベトナムのリーダーに言わせれば、ベトナムにおける民主拡大、プロセス公開の取組は成功しており、これからも続けていくとしているが「どこまで民主を拡大するかは現在模索しているところ」と言う。民主化はベトナム共産党執政の合法性を傷つけるものではなく、むしろ強化している。海外で民主化運動を行っている反共産党政党・勢力は多党制を常に要求しているが、ベトナム共産党はそれに対して反撃を始めている;ベトナムにはもう多様な勢力と意見が存在する、だから多党制は必要ないよ、と。

 共産党第11回大会の政治報告には「公民社会」という言葉が入るかと期待されたが、総書記の差額選挙などと共に、実際には実現しなかった。2月26日には、中東・北アフリカでの民主化運動に呼応してベトナムでも「街に出て、共産党中央政治局を廃止し」若者は「中東とアフリカの民主運動の勢いに乗り、集まって抗議をしよう」という宣伝資料が押収された医師が逮捕された。2009年をピークとして、共産党の動きに反対する活動家の逮捕が続いた。それ以外にも諸々の反体制運動はあり、それらについては厳しい態度が取られ続けている。

 経済運営でも諸々脆弱な部分が存在する中、「2011-2020年経済社会発展戦略」では経済改革と同時に政治改革も必要とは謳われた。しかし、全ては「ゆっくりと」(慢慢来)行われるのであろう。

【考えたこと】
 以前の記事でも感じたことですが、多少ベトナムのことを美化され過ぎている感がある気がします。上述した国会選挙への投票プロセスなんかでは、実際には(特に農村では)長老にあたるようなおじいさんが一族の票全てを代理投票するようなことが普通に行われており、その長老には当然共産党組織の「指導」が入っているわけですから、党のコントロールの方が強いのは明らかです。「共産党が大局をコントロールしつつも、個別には選挙民に選択を委ねている」は言い過ぎなのかなと感じます。

 ベトナムから中国にやってきた個人的感想では、中国と対比させてベトナムが(過剰に)良く見えると言うのは、分野を問わずわりと中国に関わっている多くの方に見られる現象で、中国のイメージが強すぎるからかなあとも思う次第です。まあこういった他国の共産党を議論する記事では、中国との比較を引き立たせるためになのか少し改革の側面が強く書かれるのかもしれません。でも、なかなか中国共産党のことをストレートに語れない中国メディアにとっては、他の社会主義・共産党独裁国(まあ数少ないですが)を語ると言うのは、引き続き一つの言論のあり方として続いていきそうです。