日本人の精神の「近代化」とは:「自己」の国家への同一性力学について:国家同化から自己差異化へ | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

日本人の精神の「近代化」とは:「自己」の国家への同一性力学について:国家同化から自己差異化へ

自己の鏡像とは、精神的フィルターにおいて形成されるものだろう。
 凸i*凹iにおいて、凸i⇒凹iの志向性が生じる。しかし、既述したように、凸iは反射像を形成する。これが鏡像である。
 この鏡像=反射像の力学の解明が重要である。
 当然、凸iに拠るものではなく、凹iが強く関与しているのである。差異共振ではなく、連続的同一性が作用するのである。他者凹iは凸iに同化(同一性化)されるのである。
 しかし、この同化は他者凹iの否定である。ここでは、他者凸iを引き寄せつつ、排除する力学がある。他者凹iの二分化と言ってもいいだろう。
 この二分化(同化と排除の力学)において、(排他的)ナショナリズムが形成されると考えられる。
 つまり、国家への同化とは実は他者でありつつ、同時に、他者の排除である。
 そして、国家という鏡像は凸iの面で形成されるだろう。これは、media pointの両面と言えるかもしれない。
 つまり、同化作用によって、media pointは不連続から連続化されているのであり、この連続化されたmedia pointの凸iの面に国家鏡像、そして、凹iの面に排除すべき他者像があるのではないだろうか。つまり、国家鏡像と他者像は裏表である。
 とまれ、この連続的癒着のナショナリズムを解体するには、当然、不連続化が必要である。
 不連続化によって、国民国家の国民は、個へと進展するだろう。国家権力と同化した国民から、それとは切断された個民とへと変容するだろう。
 

tomo san

ドイツ在住の方からメール:ドイツの新聞には、日本のマスメディアは政府の発表を伝えることを主な仕事にしている。政府を批判するジャーナリストは育たない仕組みになっている。といった記事がちゃんと掲載されているそうな・・・恥ずかしいニッポンの私(汗)