6月に入りましたね。
この1日、2日は、岩手県の釜石市、大槌町、山田町にリスニングボランディアということで
支援に行ってきました。
先に支援に行かれている方から、人の支援をするためには実際に何が起こったか自分の目で確かめた方が良いから大槌町にまず行ってみなさいと言われ、仲間たちとそちらに向かいました。
街が壊滅的する、というのは言葉以上に圧倒された感覚に襲われました。
大分瓦礫の整理はされたとはいうものの、まだ震災の状況は生々しく残っており、
高い場所からは海側の街がほとんど何もないことや建物の3階まで津波が襲ったあとがあり
テレビでは自分の目線が下でテレビの箱の外は今いる現実世界を見ていましたが、
実際の場所では目線が上になり、すべてが荒廃した戦争の爆撃を落とされたような感じで
圧倒されました。
自分にはこんな体験をした方々に何もできない、というのが正直な感想でした。
本当に、「ゼロ」からのスタート。
私自身も経験があるため、今はただそばに居て、その人に付き添ってあげることしかできないことを肝に銘じていきました。
次の日は、山田町の方にごあいさつした後に大槌町の避難地に行くことになります。
こちらの街は町長さんはじめ街の中心で活躍されていた方が津波に飲み込まれてしまい
他の地域と比較して行政などの機能が遅れています。
震災後の状況は、避難地から仮設住居に移行する段階に入りました。
山田町は抽選も終わっていますが、大槌町は、今まだ仮設住宅を建てている段階で抽選さえ行われていません。(それでも大槌の方は頑張っていると思います。)
そして避難地のなかでも先に進んでいる部分と、後手に回ってしまっているところがあります。
私たちが訪れたところはどちらかというと後手に回っている場所のように感じました。
ボランティアの方も少ない状況です。
学校の中で特に仕切られていることもなく、みんなで肩を寄せ合って暮らしていました。
いろいろとお話しを伺っていると
冬の毛布や服装はあるんだけれども、これから夏に向けてブランケットやTシャツなど涼しく過ごせるものが必要となりそうです。
また、いきなりお話を伺うのも急にはできないため、ハンドマッサージや身体のマッサージはどうですか?というような関わり方で関係性を構築していくことも大切です。ボランティアの人たちもさまざまな選択肢を持っておいた方が良いようです。
私の友人などは、おじい様に「何しに来た!」という感じで対応されたそうです。始めはそのように対応されるとこちらも構えてしまいますので、あたりさわりのない感じだったのですが、徐々に心を開いてくれたようで、私たちが帰る頃には涙を流して別れを惜しんでくれました。
特に私たちの訪れた学校の避難所は、目の前で仮設住居が立っていて、復興が目に見える形で進んではいるのですが、そこに入居できるのは同じ地域の他の避難所の方とも平等に抽選が行われるため、できた暁には目の前の仮説住居を見ていた人が中に入れず、でも一緒に過さなくてはいけないという環境が訪れてきます。
このときに、そこに住む人たちの深い心の中でやりきれない気持ちもきっとでてくるように思います。
また、仮設住居に入った人は光熱費や食費などは自前になるため、どのように自立していくかに不安を抱いています。
生活が安定してくるからこそ、心の問題がいよいよこれからクローズアップされてくるときかもしれません。