4月11日。

震災からちょうど1か月のこの日、仕事で宮城に入った。


仙台市の街の中は、想像していた以上に普通だった。

お湯は出るし、コンビニに行けば食べ物が並んでる。


なんだか、思っていたほどひどくはないのかも…。

そんな第一印象は、すぐにひっくり返されることになった。

津波が到達したところと、そうでないところ。

その境界線を一歩越えると、その先は…

テレビで見た「被災地」の様子が360度広がっていた。

骨格しか残っていない家、瓦礫の山、見渡す限りの荒野、

「捜索済」と書かれた白い旗…。

よくテレビがそうであるように、

ひどいところだけを切り取って流しているのかと思っていたら、

今回ばかりは違った。

被災現場が広すぎて、テレビはそのほんの一部分を流しているにすぎなかった。


戦後にタイムスリップしたか、発展途上の東南アジアにきたか、

そんな感覚を覚えた。


でも、そこで出会った人たちは、間違いなく、今を生きる、東北の人たちだった。

避難所で出会った人も、被災した役場の職員も、この期に及んで、温かい。

話を聞くと、必ずといっていいほど

「ご苦労さま」「ありがとう」の言葉をかけてくれる。

自分の分を確保するので精一杯のはずなのに、

「食べなさい」「飲みなさい」って、おにぎりやコーヒーをくれようとする。

連絡先を交換した被災者から届いたメールには、

「がんばっぺ」と励ましの文字が並んでいる。

語られる経験や失ったものは、とてつもなく耐え難いものなのに、

それでも思いやりを忘れないその心に何度涙をこらえたか分からない。


被災地には、失われたものを補うように、人の強さや優しさが集結しているような気がした。

お金が価値を持たず、身を寄せ合わなくては生きていけない社会は、

人の絆や温かさを引き出すのかもしれない。


「神様はその人に乗り越えられない試練は与えない」

昔から大切にしている言葉。

大切な人を失ったり、住む場所や職がなくなったり…

そんなことが万単位の人たちに一瞬にして起きたこの震災は、

そんなことを言えるレベルじゃないって思った。

だけど、それでもやっぱり、生き残った人たちは、乗り越えていかなくてはいけない。

この世で一番辛いであろうことが同時に起きて、

想像を絶する苦しみ、悲しみが押し寄せても、

地球はいつもと変わらず動き、生きていかなくてはいけない。

そんなこの世の無常を受け入れるかのように、

みんな想像以上に穏やかに生きているのが印象的だった。

こうして人は困難も乗り越えていくんだ、と心が震えた。


まだ、乗り越えるまでの果てしない道のりのほんのスタート地点に過ぎないけれど、

それでもきっと、みんなで「乗り越えられる試練」なんだと、

そこに立ってみて初めて、信じられる気がした。

そのために、私も、微力を尽くそうと誓った。


今回の震災は人ごとじゃない。

誰もが突然、何もかもを失う可能性を持っている。

突然死んじゃうことだって、ありえないことじゃない。

だからこそ、今というときを精一杯生きなくちゃ。

何かを失うことが怖くてやりたいことをやらないなんてもったいないし、

ゼロから再起しようとしている人たちに顔向けできない。

それから、大切な人を思いっきり大切にしなくちゃ。

物がなくても、お金がなくても、避難所の小さなスペースでも、

隣りにその人さえいれば、生きていける。

そんな風に思える相手が一番なんだな…なんてことを、

身を寄せ合う夫婦を前に、思ったりもした。


宮城に滞在した貴重な9日間。

社会レベルでも、個人レベルでも、絶対に風化させないように、

あの日々の中で感じ、考えたことを心に刻んで大切にしていきたい。