説教題 「神様と共なる生活」


聖句 新約聖書 ヨハネによる福音書第1章1節~5節

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言ははじめに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。

できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。

光は やみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。



6月12日、この日は聖霊降臨節(ペンテコステ)で、キリスト教会では重要視される日の一つです。

H牧師が以前に通っていたキリスト教会は「どうしたらクリスチャンになれますか?」と問うと「あなたには聖霊体験はありますか?」という程に聖霊体験を重視する教会だったそうです。

それを聞いて、私は、聖霊体験があるだろうか…?いや、あるからこの場にいるんだけれども、最近、祈祷をしていても神様の霊に満たされて涙を流す体験があっただろうか…?

と我に返ったのです。


人が成人する期間に聞く言葉というものは8割がマイナスな言葉だということです。


言葉がその人の習慣をつくり、習慣が人生になるということを思う時、私達は誰もが良い言葉に触れていきたいと思うでしょう。

礼拝において、神様(親)に委ねる幼子のような心情でみ言葉を私の生活に根付かせていきたいと思わされました。


神様は、祈れば御心にかなって与えて下さり、与えて下さる方だとよくよく知っております。

肌で、五感で、神様を感じて生きたいです。



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