$ゲンキポリタン|愛と勇気の生活ブログ-福井

「水急不流月」は、茶道の禅語で、その解釈には裏表があって、一筋縄ではいかない。

「水急不流月」とは、
川に流れる水はとても急な流れで、どんなものも簡単に流され、大きく尖った岩さえも水に削られ丸くなる。水面に写る月は激しい流れに関係なく穏やかだ。
このように激しい流れの川にあって、月が形を変えずに写っている風景を意味する。

ところが世の中に暮らすおおかたの人は、絶え間のない時の流れに、感情的になり、すぐに自分を見失いがちになる。

そこでだ。さてさて、世の中が主人公か、自分が主人公なのか?
・・・・主体性をどちらに置くかで、川に映る自分の見方も随分変わる。

自分が主人公であれば、世の中に映える自分は鏡に映った自分に似て、本当の自分ではない。
川に写る月に似て、流れが急でも穏やでも自分はいつも変わらずに、世の中を照らしている自分である。

ところがたいていの人は、自分が世の中に従属しているように感じている。自分が川を流れていく塵のような存在だと勘違いしているために、感情に溺れて自分を見失うことも度々だ。

ここからは余談だが、アメリカ流にとらえれば、月が主人公であり、ゆえに自由なのだ。国旗に示された星こそが人であり、州はその集合体にすぎない。
ライジングサン・・・国旗に示された日の丸はもちろん世の中ではなく、自然な自分なのだ。神とは自然のことであり、そのことは神社にも、風習にも読みとれる。

$ゲンキポリタン|愛と勇気の生活ブログ