日本のジャスミン革命4─悲しいほどお天気 | イージー・ゴーイング 山川健一

日本のジャスミン革命4─悲しいほどお天気

 山形は快晴だった。東北芸術工科大学の教員仲間であり高校時代からの友達でもある斎藤潤がしみじみ言っていた。
「経済なんて人間がいてこそのシステムなのに、なんであんなに必死に経済のことだけ考えるのかねぇ」
  放射性物質による汚染の賠償金を増やさないがための安全基準の話だ。
 3月15日と21日の放射線量が凄かったと今頃になって言われ、慌ててカレンダーと見て当日の行動を思い出し……でも、そんなことをしても意味は無いのだからと気持ちを切り替える。皆そうだと思う。しかし、人間というものは、そう何度も気持ちの切り替えができるわけではないのだ。
 今やまさに、国民総被曝という状況だと思う。京都大学の小出裕章氏は参議院で「失われる土地というのはもし、現在の日本の法律を厳密に適応するのなら福島県全域といってもいいくらいの広大な土地を放棄しなければならないと思います」と言っている。
 それを避けたいから、政府は住民の被曝限度を引き上げている。
 枝野官房長官はメルトダウンを認めた今になっても「今のところ問題はない」と言っているが、どこがどれだけ汚染されているのかさっぱり分からない。データが少ない上に意図的に少なく見積もっているからだ。こんなものを信じろというほうが無理だろう。気持ちの切り替えも限界に達しつつある。
 例の工程表も、おそらく絵に描いた餅だろう。今の福島原発はメルトダウンで圧力容器と格納容器の底に穴が空いて建屋に落ちており、どう考えても循環回路式の冷却を回復するのは不可能だろう。シビアな状況が今も、そして今後も続くのだ。首都圏の汚染も進んでいる。
 ぼく自身もそうだし、他の多くの皆さんもそうだと思うが、今回の原発事故で生き方そのものを見直す必要があるのだと思う。覚悟を決めるか、脱出するかだ。子供がいるかいないか、今後子供を持つ予定があるかどうかで、それは変わってくるだろう。新しい哲学の模索が必要なのだ。
 今までの農産物被爆は、空中からのものだった。よく洗えばかなり改善できたのだ。しかし今後は、土壌の汚染による被爆になる。これは、洗っただけでは落ちずに体内被爆になる。魚も同じことだ。
 ストーンズの「悲しきインディアン・ガール」に「人生はハードになりながらただ続いていくのさ(Life just goes on and on getting harder and harder…)」という歌詞がにあったが、今、このフレーズがリアルに胸に迫ってくる。だがこの世界は、やはり、続いていくのだ。これまでにも世界には酷いことがたくさん起こった。しかし世界はまだ存在している。
 ローリング・ストーンズの音楽と歌詞は、最悪の事態、もっとも惨いこの世界の有様を描いている。希望まで凍るような世界だ。だが、音楽そのものに膨大なエネルギーを注ぎ込むことによって、突破口を開こうとする。
 こんな時、毎日聴かずににはいられない。
 
 娘が小学生の頃、学校で環境汚染の話を聞いてきて、オゾンホールなどの具体的な内容をぼくに詳しく説明をし「たいへんなんだよ!」と言ったことがあった。
 ぼくは咄嗟に「わかった。俺がなんとかしてやる」と答えたのだった。
 娘はもう大人になり、そういう嘘も通用しない。
 そう言えばストーンズの「悲しきインディアン・ガール」には、「私のお父さんはチェ・ゲバラじゃないのMy father he ain't no Che Guevara…)」というフレーズもあった。まったく、その通りだ──。
 娘や家族や、学生達や会社の子達や大切な友人達や、そういう人達を誰1人守ってあげることができない。そう考えると、無力だ。ぼくの年代の人々は、もう自分のことはいいんだと多くの人が思っているにちがいない。しかし、子供達や若い女性達の未来を守ってあげられないことに、涙がこぼれそうだ。
 しかし、希望はある。それには「東電福島第一原発」を何とかできるなら、という条件がつく。しかし、あの魔物を押さえ込むことができたなら、「2050年までに段階的に日本の原発のすべてを止める」こと、そして「新しい血の通った日本の体制を作り直す」ことを実現するのだ。
 これは神が人間に与えてくれた、最後のチャンスなのかもしれない。
 今回の事故で、いろいろなことがはっきりした。誰が腹黒く薄っぺらな人間で、誰が思慮深く温かい人間なのか。その企業にポリシーがあり、どの企業にないのか。誰が忍耐強く、誰がキレやすいのか。
 ネットのコミュニケーションの力によって原発を止める。それが「日本のジャスミン革命」なのだ。これはもはや、イデオロギーの問題でも経済効率の問題でもない。それは、ぼくらの生命の問題なのだ。
 原発をストップする日本のジャスミン革命を、多くのロック世代が担っているのだとぼくは思う。原発を止めよう──その一点に向けて、力を合わせていくべきだと思う。

 十字架を負い刑場へ向かうキリストをはずかしめたユダヤ人の靴職人は、キリスト再臨まで死ぬことを許されず永久に世界をさまよい歩くと言われる。放射性物質によって地球をはずかしめたぼくらは、いつの日かさまよえる日本人として世界各地をさまよい歩くことになるのかもしれない。
 日本が犯した罪はじつはそれぐらい深く重い。
 そういうことが、政府首脳や経産省、文科省、東電の人々にはわかっているのだろうか? 

 だが風は、少しずつだが変わりつつある。
 連合が原発推進の方針を凍結した。連合は民主党の有力な支持団体だから、政権のエネルギー政策に影響を与えるのは必至だろう。http://bit.ly/mdJ66P 
 経営側も、日立、東芝、三菱重工が原子力から環境にシフトさせていくと表明した。風力や蓄電池など原発以外の幅広い分野にも力を入れる考えだ。 http://bit.ly/kFt5Fv
 文部科学大臣の高木義明氏は、人権擁護法案と永住外国人への地方参政権付与の推進派であり、「整備新幹線を推進する議員の会」幹事長を務め、事業仕分けで国庫返納を求められた約1兆3500億円の利益剰余金を鉄道整備に充てるよう、国土交通省に働きかけた。
「自主避難をしている世帯もいるが」と言うインタビュアーに、高木義明大臣は「そんなデータあるんですか?」と逆ギレして食ってかかった。こういう輩が、日本の教育と科学のトップに居座っているって、どう考えてもおかしい。
 その高木義明文科相はフジの「とくダネ!」にが出てきてインタビューに答えた。先日福島県の親 たちが、バス2台をつらねて文部科学省前へ行き面会を求めた時には出てこなかったくせにね。そして、20ミリシーベルトを撤回する気はないと明言。
 しかし、ここへ来て文科省が、暫定基準は当面撤回しないとしながらも、子供への年間放射線物質の被曝限度を20ミリシーベルトから年間1ミリシーベルト以下に変更した。
「1マイクロシーベルト/h以上の学校の校庭の土壌は国家予算で除去作業をする」と、高木文科大臣が先ごろ記者発表した。
 方向を変えられれば、もしも福島第一やもんじゅを押さえ込むことに失敗したとしても、ぼくらは前を向いて死んでいくことができる。
 日本人は愚かだとしか言いようがない。子供達はぼくら全員の宝物なのに。そういう愚か人間達の営みが築き上げた、国家という名の制度をあざ笑うかのように、今日は快晴だった。悲しいほどお天気──というユーミンの歌があったのを思い出す。