岩馬るべ!東北プロジェクトの事務局をしております森川駿平と申します。
 私は、生まれも育ちも宮城県気仙沼市。
 水沢競馬場には赤子の頃から連れて行かれて、物心ついた時から一家団らんの場所でした。
 そんな岩手競馬を少しでも盛り上げようと始めたブログ「岩手競馬に注目!」は、今年の3月で6年目を迎えました。

 東日本大震災当日は、勤務先である気仙沼市内の診療所で被災しました。
 診療所は魚市場前にあり、地震発生直後に歩けない患者さん達を送迎車に乗せ、高台への避難を試みました。
 しかし、市内は渋滞で全く動けない状態となっており、車中のワンセグで津波の第一波を確認。
 急いで診療所に引き返し患者さん達を背負うなどして2階に上げ、車に置いていた荷物を取りに1階へ戻った瞬間、真っ黒な津波がどっと押し寄せてきました。
 引き返してから僅か10分後のことでした。

 凄まじい勢いで水嵩が増し、2階でも危険だと判断して最上階へと避難。
 最終的に津波は2階の半分ほど6mの高さにまで達し、周辺の家屋は見る間に激しい音とともに倒壊し流されていきました。
 「気仙沼は全滅だ……」
 取り返しがつかない事になった絶望感に包まれながら、故郷が海に沈む光景をただ呆然と眺めておりました。

 夕方には、石油コンビナートの方から火の手が上がり流れ出ていた重油に引火。
 幾度となく押し寄せる津波の上を燃える重油が流れ、気仙沼市内は火の海に包まれました。
 津波と火災で完全に孤立してしまった患者とスタッフ・上階の住人の20名で肩を寄せ合い、不安な一夜を過ごしました。

 翌日の夕方には、自衛隊の救助ヘリで患者さん達を先に救出させ、院長を始め我々スタッフは翌朝に航空自衛隊の救助ヘリで助け出されました。
 幸いにも私の実家と家族は無事でしたが、叔父や多くの友人・知人がなくなりました。小学校からの親友で年末年始に水沢競馬に行くのが恒例となっていた大親友も行方不明のままです。

 変わり果てた故郷の景色を見ていると、この先どうなるのだろう…と途方にくれたくなる気持ちは隠せません。
 それでも震災から2ヶ月が過ぎようとしている市内は、ライフラインも復旧しつつあり、少しずつ瓦礫撤去も行われ、復興に向けての息吹を感じられるようになってきました。
 復興には数十年単位にも渡る長い年月がかかることは間違いありませんが、地域の経済活動を促す事が早急に求められていると感じます。
 その為にも東北の内陸部が元気にならないことには、沿岸部の復興は進みません
 
被災地では、レジャー施設も流失してしまいました。
先日、久々に同級生が集まった席で岩手競馬の話になり
 「久しぶりに水沢競馬場に行きたい」
 「水沢(競馬場)のホルモン食べたい」
 「競馬場で、子どもを伸び伸びと遊ばせたい」
などの声を聞きました。
 気仙沼にも多くの競馬ファンが居りますし、これまでも週末には多くの方が水沢競馬場などへ足を運んできました。
 岩手競馬を愉しむことでストレスを軽減させる効果が期待できます。

 5月14日(土)から盛岡競馬場で岩手競馬が始まります。
 再び岩手競馬を愉しめる喜びを噛み締めて、家族や友人たちとホルモンを食べながら水沢競馬場で競馬を楽しめる日が来ることを心待ちにしております。

 岩手競馬の開催が、経済的にも精神的にも復興の活力に繋がる大きな力になると信じてます。
 前向いて岩馬るべ!東北!!

$岩馬るべ!東北プロジェクトのブログ