フェイ・ウォン
伝説
シネポリー・レコードとの契約が1枚残っていた彼女は、1992年香港に戻り、アルバム "Coming Home" を制作、発表。この時、英語名を本名に近いFaye Wongと改名。"Coming Home" の収録曲 '容易受傷的女人' (邦題:「傷つきやすい女」、中島みゆきの「ルージュ」のカヴァー)は爆発的ヒットを記録、その年の香港の音楽賞を総なめにした。1994年には初めて母語である北京語のアルバム "’迷"(邦題:恋のパズル)を発表、台湾、東南アジアへの進出を果たした。同年に中文名を本名の王菲にし、それ以降本名で活動している。
主な活動拠点は香港で、ギネスブックにも「広東語のアルバム累計売り上げ」で世界一と認定されている。 中国語圏のみならずアジア圏を代表する歌手の一人ともいわれ、香港では第二のテレサ・テンとも呼ばれる。