近年、ずっと気になっている事があって、

僕は仕事上、多くのドラマーと関わっているのだが、

30ちょいから下のドラマー連中が、一様に楽しくなさげで

何だか、考え込んでしまっている。という事である。

んで、この感じがドラマー特有なのである。


なんというのか、ドラマーだけが演奏を楽しめていない。

という状況が、非常に多いのである。


ま、その辺に関して、「こういう事かな?」

という事を、ちょっと思いついたので、

僕の経験も含めて、少し書いてみたいと思う。


実は、5月にルースターズのワンマンのリハに入る前に、

僕は、ある結論を持っていた。

それは、「ドラマーだけが必死になってリズムキープせんでヨロシイ。」

という事で、これはドラマーには意外に思われるはずである。


普通ドラマーは、「タイムキープ頑張らなきゃ・・・・。」

というプレッシャーを常に持っていて、

タイムやコンビネーションに関するトラブルが起きると、

この視点で、物事を考えてしまう。

「もっとキープを頑張らなきゃ・・・。」

という風に考えてしまうのである。


そう考えたドラマーは、例えばハットを踏んでいる左足を

ガチガチに8分で踏み始め、そこにキック、スネアをシンクロさせる事で、

問題を解決しようとする。ま、これは間違いなので、

んで、僕もそういう場合には個別の症状に対して対応して来たのだが、

どうやら、問題の中心は、

「ドラマーがタイムをキープしなきゃ。」

という発想そのものにあるような気がして来た。

ゆえに、ひとりで頑張りすぎて、リズム的に他の演奏者、観客から

孤立してしまう。


のではないか?

1人だけで頑張り過ぎじゃねえか?という。


「三原さん、上手いですねえ。」と、言われても、

ワシャ、5分間BPM123を1人でキープするなんて出来んゾ。

ま、何人かはそういう事を出来る人も知っているが、

そこまで行くと、もう完全に「才能」の世界で、

努力ウンヌンではない。

ほとんどの人は、僕同様、そういう才能には恵まれてはいない。

でもまあドラマーとしてはやって来たし、

こないだのライブも評判は良かった。


どうやって来たかというと、あるシチュエーションでは、

無意識のうちに多分「人を利用して来た」んだよね。

ま、いっしょに、あるリズムに乗ってた。


ドラマーが1人でタイムをキープしなきゃいけない場面なんてほとんどない。

通常誰か、あるいは同期など何かと一緒に演奏する。

ま、ある程度はこちらもキープ力は身に付けるとしても

足りない分は、そのほぼ必ず居る共演者に頼って良い。

いや、半分頼る事で、むしろコンビネーションの緻密さが

作られるのである。


実際に5月に福岡でやったROOSTERZのワンマンでは、

そのように、意識的にやってみた。

ま、周りもみんな上手いし。

あとになって、資料用の映像ももらって観たが、

曲によっては僕自身は、まったく左足でリズムを取っていない。

でも演奏も、コンビネーションもバッチリ。


その代わりにモニターにはこだわった。というのは、

そのライブについて、当ブログに書いたとおりである。

聞こえなきゃ、そもそも頼れないからね。


僕はドラム内のコンビネーションにだけ気を使い、

他はほとんど、全体の流れに乗り、合いの手を入れ、

全体が乗ったら、一緒に乗った。

全体が早くなるなら一緒に早くなり、

まったりするなら、一緒にマッタリした。

僕が「オルァ!てめえら行くぞー!」と先陣を切った曲もある。


他の楽器が早くなって、拍の間の休符が詰まってきたら、

いかに訓練を積んでいてもそれに釣られて早くなる。

間延びしたら遅くなる。それでも良いのである。

音楽は立派に成り立つ。


下山君の16はスクエアで、花田君は少しハネる。

下山君のリズムがメインの曲では、それに付き合い、

花田君のリズムがメインの曲では、それに付き合った。

映像では、それぞれに完成度が違い、んで非常に良く、

僕的には、非常に楽。

楽というより、ひたすら楽しかった。


「あー、やっぱこれで良いんだ。」と、確信した。

1人で頑張る必要など、元々無かったのである。

クリックが入るなら、クリックに頼れば良い。


こういう風に考え方が変わってみると、

若い頃によくフロントに言われた文句の意味が良く分かる。

要は、ほとんど「おいおい、流れ無視すんなよ。」だったのである。

それは、皮肉な事にドラマーが頑張った結果そうなる。

ゆえに精神的にもガーンと来て、

「僕は言われたとおりやったのに・・・。」

んで、さらに1人の頑張りの世界に深入りしていく。

そうなっていくと「タイムキープ」は巨大な理解不能の敵になってしまう。


ドラマー諸氏に言っておくと、

実はフロントもスタッフもドラマーに

それほど過大な要求をしている訳ではないんだよね。

極論すれば「あの、普通にやってくんない?」

その「普通」が、ドラマーにはなかなか分からない。


ラウドネスの樋口さんがクリニックで、

ここぞとばかりにタタキまくる受講者に

「あのね、もっとフツーに淡々と叩け。」

と、おっしゃったそうである。

ま、言われた方は「エー・・・・。」だよね。

でも、僕もパーカッションやる時は、ドラマーによくそう感じた。

「頼むから普通にやってくれ・・・。」


あのね、ドラマーよりフロントで立っている方が、

リズムって簡単に取れるんだよね。踊ってられるから。

ゆえにフロントにはドラマーが思うよりタイムがよく見えていて、

安定もしている。

だから「フロントと一緒に、このリズムで踊る。」

という感覚になれば、全然ダイジョブなんだよね。

別に全体として早くなるなら全然かまわない。


乗って来たのに、ドラムだけが意地になって乗ってこない。

これも、ドラマーだけが感じている「キープしなきゃ・・・。」ゆえである。

どんどん孤立する。2年もやるとバンド全体がドンヨリ。


ドラマー向けには「拍をユッタリ取ろう」と硬く書いてしまうが、

これは「みんなと一緒に踊ろう」と、同義である。

観客もフロントも「ドンドンドンドン」で乗りたいだけなのに、

ドラマーだけが必死になって孤立している。

こういう場面は、そういう目で見ると多いはずである。


生演奏のタイムはバンド全員で作るもので、

ドラマー1人で作るものではない。

多くのバンドでフロントがドラマーに持っている不満の本質も

ここに有りそうな気がする。

「なんで、お前だけつまんなそうにしてんの?」

しかし、ドラマーは一生懸命やっているのである。

少し勘違いして、少しマジメすぎるのである。

しかし、それがフロントには分からないので、

「お前、なんか文句あんのか?」

という風にも感じてしまう。そうじゃないんだよね。


ドラマー=キープという考え方は、

僕が見る限り特にYMO以降である。

僕もその世代で、そういうプレッシャーはずっと感じて来た。

ドラマーが正確に打ち続ける。

ま、そういう手法、質感も良いもので、僕は好き。

こういう場合はクリックを使って、「タイムの良い頼れるオッサンの叩くカウベル」

とでも考えて、そいつに頼って良い。

頼らないから、追い越したり乗り遅れたりするのである。


それ以外の場合は、周りと一緒に踊ってりゃ良いのだが、

多くの場合、この違う手法が混同されてしまい、

人と踊ってりゃ良い場面でも、「キープ、キープ・・・。」になってしまう。

んでまあ、今の若者はマジメで一点突破主義だから、

強力にしがみついちゃう。

事態はさらに深刻化・・・。


タイムは全員で作るもので、それが良くないなら、

全員の問題である。

ドラマーにしても「みんなが前にダーっと行っちゃったから釣られた。」

と思っているのだが、「ドラマー=キープ」と責任を感じすぎているので、

笑って「お前らハシりすぎ!」とか言えない。

それを言えずに抱え込む。

混乱する。


混乱すると体も萎縮してゆったり筋肉が使えなくなり、

出来た事まで出来なくなってしまう。

さらに問題は、深刻化・・・・。


僕自身は、そこを整理して考える事が出来るようになって、

特に人と生でやる演奏が楽しく感じられるようになった。

楽しんで良いのだし、上手く行かなくても俺だけのせいじゃない。


いかがなもんでしょう?