野菜や肉を

それぞれの家庭が

吟味して購入している。


一気に

外食を控えている人が

急増している。


食べたいものが

自由に食べれない時代。


一方で


猛暑と言われ

節電にエキセントリックに

なっていたにも拘らず

意外にも涼しい夏となり

昼間の電力使用率も

東電はYAHOO!で見る限り

70%台。


東電から関電に電力を譲渡する

などという不思議な噂も

聞こえてきている。


それでも

東京のビルの照明は暗く

エアコン温度設定は高くされ

エレベーターは稼動を減らされ

トイレのエアータオルは

止められている。


一体何のためにだろうか。


涼しいが

ジメジメした夏。


そんな中

にわか雨が降れば

去年までは

その雨に多少あたることが

気持ちよく

ひと時の清涼剤となり

気にもしなかったものだが

傘を必死に持つ自分に

気付く。


特に

ベビーカーを押している時は

雨に恐怖さえ感じる。


食物は何を食べ

何を買ったらいいか

わからず


涼しいにも拘らず

節電という決まりを


目的と手段


を完全に履き違え見失いながら

ただただ突き進み


雨や風が怖い


という国である。


しかし

この世にも奇妙な物語は

こんなものでは終わらない

はずである。


中でも

内部被爆である


野菜

牛肉


と来たのであれば


冷静に考えた時


次なる不安な食材が

現れる可能性はある。


例えば


『米』はどうだろう。


東北は日本の米所。


9月になれば

新米の季節である。


もし

この新米までもが

放射性物質汚染されていた場合


日本人は

一体何を食べればいいのであろうか。


それは特にデフォルメしたことではなく

十分に想定内に考えられること

ではないだろうか。


だが

野菜・肉そして米までも

「自己責任で選んで食べてね」的なことしか

国からは伝わってこない。


それよりも

シンポジウムで

原発賛成派を仕込むことに

忙しいのだろうか。


あの問題も

昔から何度も

同じ繰り返しである。


これだけの危機を迎えようが

またまたいつもの


「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」


という言葉でお茶を濁すのだろうか。


大人には問題なない。


子供には影響がある。


最もダメではないか。


なぜここで

ホッとしている大人が

いるのだろうか。


「ああ、よかった、大人で」


どういうことだ。


野菜

そして

日本人の主食たる米


までも

もしも厳しい状況になったら


その放射性物質汚染を

くぐり抜けたそれらの

奪い合いになることは

火を見るより明らかである。


そして

それらは高騰していくだろう。


それ以前に


野菜

が食べさせられなくて

子供に一体何を食べさせれば

いいというのであろうか。


子供はもちろん体も小さく

さらに成長ホルモンが活発。


大人が食した時とは

訳が違う。


奇妙な物語は食物だけでは

収まらない。


そんな中の円高である。


今週は1ドル77円台で

終わった。


わからないが

歴史的に見れば

円高だって

ここからずっと続くとは

思えない。


恐ろしいのは

ここからやって来る

近未来の円安の世界。


一気にドルが高騰し

もしも1ドル180円などという

時代がすぐそこに迫っているしたら


いくら国民の貯蓄が

ありあまっているとは言っても

インフレにより

それぞれの資産価値を

個々が相当意識的に管理せねば

¥の価値も崩壊しかねない。


皮肉にも

こちらも

次は


『米(べい)』か。


野菜

そして

という

家庭直撃型の逆フル装備状態。


そうなれば

そこには

もちろん


年金崩壊

雇用率低下

自殺率増加


などまだまだ

国力低下の

ロイヤルストレートフラッシュは

汚くも揃っていく。


まあ

もう3.10までにも

揃っていたのだが

一体何をやっているのだろうか。


そして

なぜその一寸先さえ照らそうという

意識やリーダーシップ


また

現在の日本を楽観するだけでなく

近未来の日本を

疑問視することを

政治も役所もメディアも


そして


国民もしないのだろうか。


あの

3.11直後の

ひとつになろうは

どこにいったのか。


これから

年末にかけて

具体的な

野菜や肉や¥問題は

置いておいて


生ぬるい

感動秘話方向だけに

うまく大震災は使われていく場面が

増えていくことは

容易に想像できる。


まるで

中国の鉄道事故の

「感動話にしろ」などの

鉄道省マニュアルみたいに。


結局

みんな同じような

ことをしているのか。


しかし

他人のふり見て

輪がふり直せじゃないが

他人がやってると

ひどいとか思うだけで

自分たちだって

同じようなことをしている

のではないだろうか。


そんなことを

続けていては

何も変化も進化も

そして

すぐそこにある危機回避は

難しいと思う。


フラットに考えよう。


野菜

が食べれず

さらに

米が食べれず

¥が信じられなくなったら


絶対まずい。


一気にたくさん言ってもあれか。


ならば


次は『米』か。


こればかりは

「今日から太陽がやばい」

と言われるぐらい

相当きつい気がする。


おちまさと


今日

六本木ヒルズを歩く

高校生のカップルが

手にヒルズの地図を

持ちながら歩いていて

彼氏が相当イライラしながら

舌を鳴らし


「ったく、エストネーションどこだよ!!」


とぶちギレていた。笑


エストネーションはすぐそこだ。


あと少しだ!


エストネーションが見つかったら

エストネーションの場所が

わからなかった勢いで

今の野菜や肉の状況に

同じように立ち向かって欲しい。


君らが主軸となる時代は

もうすぐそこに来ているのだ。


エストネーションは

そこにある訳で

必ず見つかることだろう。


先を生きる大人たちは

このように

必ず見つかるであろう

未来の明かりを灯さなければならない。


放射性物質汚染は

大人には影響がない

ということでホッとしてどうする。


子供や

すぐ10年後に未来を担う10代に

何かは明るい材料を

作り上げ残さなければならない。


彼は

エストネーションに

辿り着けただろうか。


隣の彼女は

悲しげな表情で

エストネーションが見つからないことに

キレる彼氏の横を歩いていた。


今の国民は

まさに彼女の気持ちである。


誰か

エストネーションを

見つけてほしい。


とか言いながら

3.11から

4ヶ月以上も経ち

何も変わらないどころか

退行している現在の空気感に

数ヶ月前から呆れ果て


僕はもはや

勝手に見つけて

家族を連れて

エストネーションに行く。


そして

新作の中から

自分のレーダーで

掘り出し物を買う。