今日は、私の故郷、新潟・長岡の誇る日本一の長岡大花火
の初日でした。
残念ながら、今年は仕事で帰郷できず・・・。
代わりに、USTRESMのインターネット中継で、バッチリ
見させてもらいました。すごい時代になりましたね~。
3日前まで、新潟県内は記録的な集中豪雨に見舞われた
影響で、打ち上げ場所の信濃川河川敷は増水して水に
つかりました。
観覧席も洪水で被害に合うなど一時は開催が危ぶまれま
したが、関係者やボランティアの徹夜での作業により
何とか開催することができたそうです。
こうした地元の方々のご苦労には頭が下がる思いです。
実は、長岡の花火は単なる花火大会ではありません。
昭和20年8月1日、長岡は空襲に遭いました。
街の8割が焼け野原と化し、1480名が犠牲となりました。
翌年その鎮魂を込めて「長岡復興祭」を開催した
ことが契機となり、花火大会が復活したのがはじまり
です。
歴史の中に、長岡人の花火に対する特別な想いが眠って
います。
そんな長岡の花火も、7年前に起こった中越大震災に
よって転機が訪れます。
震災後、全国からの多くの義捐金や援助、ボランティア
の方による多大なご支援を頂きました。
当時、一日も早い復興を祈願し世界一として誇れるような
壮大な花火を上げる、震災からの復興を祈願して、「何度、
被害に遭っても、不死鳥のように甦る」というメッセージ
を込め、「フェニックス花火」を打ち上げました。
今では、長岡大花火の人気花火となり、全国から多くの
観光客に感動と勇気を与え、多くの方に支えられています。
そして、長岡が東日本大震災の被災地へ、復興へのバトン
を渡すための贈りものをしました。
1日、石巻市では「川開き祭り」が開催され、「祈り」と「希望」
をテーマにした花火大会が行われ、その花火大会の最後、
長岡から寄贈された「フェニックス花火」が打ち上げられ
ました。
石巻市民は、夜空に浮かぶ花火を見上げ思わず涙ぐむ方が
多かったそうです。被災地を少しでも励ますことができた
のではないかと思います。
今回、石巻市の亀山市長も長岡花火にお越しになり、冒頭に
ご挨拶と感謝を述べておられました。
長岡人として、こうした長岡市民の意地と誇りを頼もしく
感じます。
そして、花火を通じて地域を越えた絆をつくること、
まさに何事にも変え難い、長岡にとっての大きな財産として、
かけがえのない「ブランド」を手にしているんだと痛感
しました。