1972年1月26日の朝日新聞の記事 | メタメタの日

 たぶんこの議論が初めて公に問題になった1972年1月26日の朝日新聞の記事を引用します。

 主要な論点は初めからほぼ出つくしていたようですが、この記事でいくつか分かったこともあります。

 先ず、文科省(当時は文部省)は、このような教え方は否定はしないが、積極的に指導しているわけでもないこと。文科省も困惑している様子がうかがえる。当時だけでなく現在も、でしょう。積分定数さんの文科省への電話での質問に対する回答からも(226番発言)。 学校の先生は、文科省のせいにするのではなく、自己責任を自覚してほしい。

 2つに、当時は、かけ算の指導は小2で、かけ算の交換法則の指導は小3だった。これは記事からではなく、下記サイトの過去の学習指導要領から。

http://www.nicer.go.jp/guideline/old/s43e/chap2-3.htm

このテストは、この先生がかけ算の指導を始めたばかりのときだった。この事例では、この先生にかなり同情できる。230番たけぽんさん御指摘の問題が確かに存在するようです。この先生の指導が適切だったとは思わないが。

 

===========(引用初め)================

???問題 6人のこどもに、1人4個ずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。

 正しい答えの式  4×6=24

 これは間違い   6×4=24

 大阪府の小学校のテスト

 

 とんでもない独断  怒る父兄

 ありうる指導方法  文部省

 結論  親は先生と話合うべし

 

 「6人のこどもに、1人4個ずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか」――昨年秋、大阪府松原市・松原南小学校の二年生の算数のテストで出された問題である。答案に「6×4=24こたえ24こ」と書いた子が何人かいた。結果は、答えの「24こ」はマルだったが、式の「6×4」にはペケがつけられ「4×6」となおされていた。これがきっかけで「6×4ではなぜいけないのか」という父兄と学校との間で、学校教育のあり方をめぐる論争に発展している。よその学校で起きたことと片づけられない根本的な問題をふくんでいるので、ことのいきさつ、当事者たちの考え方、また小学校の教科指導の専門家である第三者の見方などを紹介しよう。

まず、このテストをした担任の先生の話。――テストは算数の授業のあとおこなった。乗法(かけ算)の意味を教えはじめたばかりで「4+4+4+4+4+4=4×6」といったことを理解させるのがこの日の授業のねらいだった。あわせて、文章題のなかでは被乗数(もとになる数)と乗数(倍する数)の関係をはっきとらえたうえで式をたてるよう指導した。「みかんはいくつあれば・・・」と問うているこの問題では、当然、被乗数は4、乗数は6だから、4×6と式をたてなくてはならない。そのように式をたてるのだという“約束ごと”が授業中にできていた。

ところが、答案を見た父兄の一人、Kさん(三八)は疑問を提起して、この問題では6を被乗数にして6×4と式をたてても正しいと指摘する。つまり、6人のこどもに1個ずつみかんを配れば6個いる。それを4回配ればいいのだから、この場合、6×4という式が成立つというわけだ。

この点について、担任の先生と教頭先生の話を総合すると――「Kさんのような考え方は認めるが、現実に授業のなかでそういう考え方をするこどもはいなかった。6×4と式をたてた子に聞いてみると、文章題のなかで6という数字が先に出ているから、というにすぎなかった。式は思考の過程を表すもので、答えさえあえばどちらでもいいというわけにはいかない。こどもの発達段階からみて、この場合、4×6と指導するのが最適の方法だ」

Kさんは自分の考え方の論拠を文書にまとめ、学校だけでなく、大坂府教育委や文部省に提出した。Kさんの主張はこうだ――。「6×4=4×6というのは一般的な常識であるし、数学上、交換法則にもとづく真理でもある。学校教育が、それを否定するような特殊なものであるのなら学校不信をまねくし、義務教育段階のこどもにさえ親は勉強を教えてやれなくなる。親子の信頼も育たない。また、ひとつの考え方だけを押しつけるのは思考制限ではないか」

文部省初等教育課から文書で返答があったが、その一部。「指導の段階からみて4×6だけを正しいとする指導もあるだろうと考えます。・・・担任の先生は、算数の授業を通してこどもを一つの考え方だけに固定しようなどとは考えていないと思います。・・・ご心配される親の学校不信などのことが起りませんように、学校の先生方とお話合いしていただければ幸いと存じます」

関係者や第三者の意見は――。

西田芳雄・松原南小学校校長――こどもの発達段階、指導の段階を無視した教え方はできない。思考制限はしていないし、むしろ、いろんな考えを出してくれることを望んでいる。

瀬戸川寛・大阪府教委指導主事――指導のあり方よりもテストの評価の仕方の問題だと思う。評価は、こどもにとって励み、刺激になるものでなくてはならない。その意味で、ペケにしたのには問題があるだろう。

河原政則・大阪市教育研究会企画係長――こどもが期待通りの答えをしなかったからといってペケをするのはどうか。別の答えをした場合、もしかしたらそこにこども特有の思考があるかもしれず、その思考のプロセスをたどってやらなくてはならない。そのうえでもしその思考が指導の過程で発展しにくいものであれば、より合理的な思考へ導いてやればよい。

最後に、解決への助言を含めて京都大学教育学部の鯵坂二夫教授は、こういう。――こどもはアッというような面白いことを考えるものだ。6×4と考えたとしても少しもおかしくない。思考の飛躍、冒険は大切なことで、どんどん生かす指導をしてやらなくてはいけない。「こどもの思考はさまざまだ」という観点にたって、学校と父兄が前向きの姿勢で、お互いの立場を認めあってほしい。また、親が学校に対し、学習内容などについて発言するのは大いにけっこうなことで、むしろ、なさすぎるくらいだ。だが、その場合、まず担任の先生と率直に話合って解決をはかるのが望ましい。

===========(引用終わり)=================

 

 記事の後半が、4×6の式だけを正しいとすることは算数の教え方としてどうなのかという内容の議論から離れて、評価の仕方とか学校と親の関係のあり方とかいう一般的な形式論議になってしまっているのは残念だ。