竹の子書房一周年に寄せて | 水澤純のひとりごと

水澤純のひとりごと

来年こそは! と思ったけれど…

竹の子書房は今年で一周年。
その企画で、創設者(とされてる)竹野正法氏に関する物語をみんなで書こう! 
ということになりました。
これは、竹野正法氏が、かつて、特攻基地に配属されていたときの、恋人に宛てて書かれた(といわれている)手紙の中のひとつです。
戦中戦後の厳しい時代を生き抜いた竹野翁の、ほろ苦い青春の1ページをご覧ください。



恋文   水澤 純


 祖母の葬儀は、親族だけでしめやかに営まれた。
 その翌日は早くも初七日の法要も済み、数少ない親戚たちは、遺品分けの話をしていた。
 次々と開けられる箪笥や押入れ。その中から目ぼしいものはないかと漁っている親戚を見て、孫の香里は情けなく思っていた。
 そんな中、ゴミと一緒に置かれた一つの小さな箱。
 ふと気になって開けてみると、古い手紙が何通か入っていた。
「紙がセピア色だ……」
 ぽつりと呟いて、手に取ってみる。裏を返して見てみると鹿児島の知覧からで、全て同じ男性からだった。
「竹野、正法……?」
 表書きには『松野梅乃』。
「おばあちゃんが独身の頃の手紙なんだ。何? もしかして、ラブレター?」
 人の手紙を読んではいけないとわかっているが、祖母は亡くなってしまった。だったら、その想いを知るのも一つの供養ではないだろうかと勝手な判断をして、香里は丁寧に手紙を取り出した。
 流れるような筆跡で小説を思わせるような文体で書かれた、それは紛れもなく、ラブレターだった。

梅乃様
 これが最後の手紙になるものと思います。昨日も、一昨日も、大切な友はここ、知覧を飛び立ってゆきました。開聞岳の上空を旋回し、私達の頭上低く通過して、最後の別れを告げた友は、勇敢にも敵艦に向かい一撃を浴びせんと、突撃してゆきました。
 このたび、私にも漸く出撃命令が下されて、明日、この地を飛び立ちます。
 できれば、最後にもう一度、梅乃さんにお会いしたかった。
 ちょうど一年前、夏の真っ盛りに二人で食べた茶店のわらび餅、覚えていらっしゃいますか。あのとき、私の話が可笑しいと、わらび餅を口に入れたまま、梅乃さんは笑いましたね。黄粉がそこいら中に舞い散って、それが可笑しくてまた、笑いました。
 あのときの幸せを胸に、私は出撃して参ります。
 心残りは、梅乃さん、貴女のこと。
 どうぞ、素敵な男性と幸せなご結婚をなさってください。
 本当は、私が貴女を幸せにしてあげたかった。ささやかでもいいから、戦争のない国で、穏やかな家庭を作り、可愛い子供を育てたかった。私は仕事に行き、貴女は家庭を守る。どうしてこんな当たり前のことが、私達にはできないのでしょうか。それを思うと、歯がゆくてなりません。
 どうぞ、軟弱な腰抜けとお笑いください。
 私は、友のように勇敢には出撃できそうにありません。未練を残し、悲しみ、怯えております。こんな姿を貴女に見られないことだけが、ほんの僅かな救いです。
 梅乃さん、この手紙が届く頃には、私はもう、この世におりますまい。
 ただ一つ、勇気を与えて下さっているのは、梅乃さん、貴女です。
 貴女を、貴女だけを救いたいがために、私は飛び立ちます。そして、貴女の幸せを祈りながら、見事敵艦に突っ込んでゆきましょう。
 梅乃さん、どうか私なんかのために泣かないでください。貴女には、これから後、素晴らしい未来が広がっているのですから。
 これで、筆を置きます。
 貴女に会えて、私は幸せ者でした。
 ありがとうございました。
 さようなら。

 読み終わった後、香里はしばらく涙が止まらなかった。
 戦争が、愛し合う二人を引き離す。話には聞いていたが、まさか自分の祖母が、こんなに辛い思いをしていたなんて。
 けれど、祖母は笹野家に嫁ぎ、子供にも恵まれて、竹野氏が望んだように幸せになった。そして家族に見守られてこの世を去ったのだ。これはこれで良かったのかもしれないと、香里は思い直して手紙を箱の中に戻した。
 あとで他のゴミと一緒に焼いてあげたら、天国に届くかもしれない。
 香里はそっと胸の前で手を合わせて、竹野氏と祖母の冥福を祈った。
 まさかその手紙が八月十四日に書かれたもので、竹野氏の出撃がなかったなんて、香里は知る由もなかった……。






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