これは2001年9月当時。
9.11の直後にワタシが書いて新聞に載せた話です。
当時ワタシは石川県にあるテレビ局にいた。
~ワタシが放送で伝えたいこと~
事件の一報を知ったのは、残業中の会社のテレビであった。
NYテロ同時多発事件のことである。
それには日本の、石川県の人が関わっている可能性がある。
ワタシの勤めるiテレビでも報道記者やカメラマンが瞬く間に集まり、
関係先に取材を始めた。
私は、翌日に放送を控えたローカルニュース企画の編集をしていた。
これまでもこの紙面で触れてきた「道草のススメ」である。
“道端にある物語”がこの企画の意図で、
身近な自然や人々の営みを紹介するのだ。
(ほぼ毎週水曜放送)※注・2001年当時。
あんなに大きな事件が起きて、あんなに大きな衝撃を与える
映像がテレビで報道されるその最中、
私は庭の草花やおいしい井戸水の映像を編集していた。
のん気な話である。
編集室から隣室のテレビを覗いては、
もしかしたら翌日は特番体制になって
こんな企画どころじゃないかもしれないなと思った。
でも準備はしなければ。
(翌日、9月12日、結局、私ののほほん企画は放送された。)
今回の事件について思ったのは
この地球上ではまさに想像を絶することが起こり得る、ということである。
しかもそれは人間の行動による。
常人の考えではとても及ばないほど
激しく過激な考えの持ち主が、この世の中には存在する。
しかし、つまり、その反面には・・・
同時にこの地球のどこかに、
とてつもなくスバラシく楽しいアイデアを温めている人が
いるということになりはしないか。
それは例えば石川県に。
だとしたら、その誰かに私は、
明日「道端」で会うかもしれない。
だとしたら、おおっ、早く「道草」取材に行かなければ。
「人間は考える葦(ヨシ)である」と誰かが言った。
「悪し(アシ)」ではなく「善し」であると。
私はどこかに数知れず佇む「ヨシ=善行」に光を当てたい。
そんな出会いがあったら、もちろん
この紙面“つれづれファイル”でも紹介しますからね。
(2001年9月26日 北陸中日新聞掲載。)