最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は、一、二審で死刑とされたオウム真理教元幹部・遠藤誠一被告(51)の上告審判決が11月21日に言い渡されました。この判決で、教団の関連事件で起訴された計189人の刑事裁判がすべて終結しました。

 この判決前、共同通信からインタビューをされました。テーマは、「オウム真理教事件の前と後では、若者たちはどう変わったのか?」です。インタビューは11月10日、新宿区内の喫茶店で行われました。このインタビューの結果は、21日から配信される連載記事で反映されました。ただ、インタビュー時間は3時間にも及びました。記事にすべてが反映されるわけではないために、このメルマガでは、インタビューの起こしを配信します。


 ーー オウム事件前と後で、若者の生きづらさは変わったのか?

 変わらないのは、誰とどうつき合っていいのか?という悩み。ただ、社会背景は変わったと思う。

 オウム事件前後は心理学ブーム、精神分析ブーム、新興宗教ブーム、自己啓発セミナーブームだった。たとえば、秋葉原事件の加藤などはすがるものがなかった。一応、二次元にすがったり、インターネットの情報にすがった。しかし、コミュニケーションがうまくいくか、いかないで相当変わってしまうようになった。
 オウム事件の頃は、コミュニケーションがうまくとれなくても、先輩後輩という縦のつながりや、友人関係という横のつながりがまだあり、コミュニケーションの善し悪しが決定的な差を産まなかった。今は、コミュニケーションの善し悪しが相当影響するにようになった印象がある。

 例えば、mixiやTwitterを見てみても、マイミクやフォロワー数を気にする人がいる。ちょっと前は、撮ったプリクラを貼るプリ帳があった。また、携帯のアドレス帳に何人登録されているのかを気にしていた世代が、どんどん年代を重ねて来ている。かといって、何百人いるからといっても、その人たちとどんなコミュニケーションをしているのかという内容は別の話のはず。しかし、いま、マイミクやフォロワー数が多いことが、人気があるという勘違いをする人もいる。本当は、信頼されているから数が多くなるわけでもない。ネタになるから、フォローをする人もいる。必ずしも、数=人気の指標ではない。にもかかわらず、勘違いをする人もいる。反応が多いから関心があるわけでもない。にもかかわらず、信頼があると思いたがる。逆に、反応がないから関心がない、人気がない、と思ってしまう傾向もある。その極端な形が加藤だったとも言える。

ーー コミュニケーション・ツールが変わって来た?

 ネタになるかならないかが、相当大きなものになる。

ーー それはオウム事件後、組織なものがなくなってきたから?

 オウムの時代は、よくも悪くも、それまでの学生運動の流れをくんでいた。例えば、先輩から後輩に向けて、「こんな本を読めばいい」というような上下関係の文化があった。このころがサークル活動の終焉の時代だった。この後のサークル活動で、上下関係の中で受け継がれるものがなくなってきた。
 僕がオウム世代とすれば、そうしたサークルがギリギリあった頃。僕が入っていたサークルは、そうした上下関係の文化はあった。しかし、そうしたサークルは珍しかった。「そんなサークルなんて、怪しい」と言われてしまっている頃だった。先輩が後輩に受け継ぐことを拒否した世代です。その世代は、受け継ぐという発想をしない。誰かに強制することをしない。上の世代がやってきたことを受け継ぐなんて暑苦しいと思っていた。僕らも、下の世代には同じように受け継ぐことをしなかった。


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