やっと気持ちの整理ができたのでブログに書こうと思います。



ちょうど一ヵ月の、11月19日。


僕が新人の頃からお世話になっていた

タウン誌あわわ時代の大先輩・岸本久俊さんが亡くなられました。


享年43歳・・・・・・・・・・・・・


あまりにも若すぎる、

あまりにも突然の先輩の死でした。


肺の難病を煩い、

アッというまに逝かれました。。。



おそらく、

岸本さんがいなければ、

僕はワイヤーママを作ってなかった思います。


いや、ワイヤーママを作るどころか、

タウン誌業界にも入ってなかったかもしれません。。。



今から16年前、

僕が23歳の大学四回生のとき、

どうしてもタウン誌あわわで働きたくて、

学生をしながらアルバイトで働かせてもらってました。



そのときの

あわわ編集部の大先輩が岸本さんでした。


岸本さんは、なぜか最初から僕に、

「原田くん、絶対にあわわの社員になりなよ!」と、

毎日のように言ってくれて、いろんな指導をしてくれました。

(なぜ、そんなに可愛がってくれたかの理由は後でわかるのですが)。



当時の岸本さんとえいば、

あわわのヒット企画を連発させていた憧れの名物編集者。


中でも、

「阿波パフォーマンスドール」という地元アイドルを、

16年前に仕掛けていたのは、今のAKBのはしりでしたし、

「月刊アワスポ」という東スポをパロディにした本当にオバカな

コーナーなど、今でも僕の編集者人生の指針でもある方です。


そして、何よりもカメラカメラが大好きな方で、

自分でいろんな機材を揃えるくらいこだわった方でした。

で、僕は、あわわでアルバイトとして働きながら、

岸本さんたち先輩のお陰で、どんどん編集者という仕事に魅了され、

ついに、あわわ入社試験を受けることを決心しました。




なんせ、当時あわわ社には、

130人くらいの学生が入社試験を受けに来ていました。


その中で入社できたのは、たった4人


とにかく、

倍率30倍以上の狭き門(>_<)



まぁ、その倍率を見て、

僕もダメ元で挑んだ入社試験でした。

※ちなみに、あまりに受験者数が多すぎて、

社内には入りきらず、厚生年金会館(現パークウエストン)の

宴会場を貸し切っての壮大な入社試験でしたあせる



そんな僕に、入社試験当日の朝、

今では言えないようなアドバイス(笑)をくれたのも岸本さんでした。



で、、、

その日の夕方に、

あわわ社から電話があって、合格と聞いたときは、

今でも覚えています。ちょうど取材で国府町を走っていたのですが

(入社試験日といえど、アルバイトスタッフなので取材は入れてました)、

路肩に車を止めて、バンザーーーイと飛び上がったことが昨日のようです。



それで、後からわかったことですが、

その頃すでに岸本さんは夏には会社を辞めて、

家業を継ぐために香川県に戻ることを決心していたこと。



つまり、

岸本さんは最初から、

僕を自分の引き継ぎとして早く使えるように鍛えていたということ。


なんじゃそりゃ(;^_^A



まぁ理由はなんであれ、

編集の師匠のひとりであることは間違いありません。



「雑誌づくりはチームワークでよ!」


「どんな企画でも最初から無理や言うたらアカンでよ!!」


「あわわが日本で一番おもっしょい雑誌なんじょ!!!」


・・・いつもニコニコ笑いながら、

大好きなマックのハンバーガーハンバーガー

頬張りつつ、こういうのが岸本さんの口癖でした。




結局そういう経緯で、

あわわ時代に一緒に仕事したのは、

たった3ヵ月間くらいでしたが、

それから5年後にまた岸本さんにお世話になるのです。

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▼この表紙、最近のワイヤーママ読者のママには、

なじみがないかもしれませんね、ロゴデザインも違うし。
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右下を見てください。創刊3号目です。

今からちょうど10年前の2001年12月号です。






▼実はこの当時、

表紙の撮影してくれていたのも、

あわわ時代の先輩・岸本さんなのです。

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▼ちなみにこの号の大特集が「フジグラン北島」オープン。

十年一昔とはよく言ったものですね、懐かしい~。

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ではなぜ、ワイヤーママ創刊当時、

プロの写真家に依頼せずに、

アマチュアの岸本さんにお願いしていたかというと・・・







とにかく、

プロに発注する

お金が無かった。



そこで相談したのが香川県で家業を継いでいた岸本さん。


「ほな、タダで撮ってあげるわよ!

ほの代わり、ギャラは出世払いでよ!!」



ホンマにこの言葉に救われました。


※今ではデジカメが進化して、ある程度の写真であれば、

われわれでも撮れるようになりましたが、10年前はまだ

印刷に対応できるのは、まだまだアナログのポジフィルムでした。


岸本さんにお世話になったのは表紙撮影だけではありません。


なんせ無名だった雑誌ワイヤーママになど、

最初の頃は、広告なんて全然入りません。。。


それを見かねてか、

岸本さんは家業の広告を毎月出してくれました。


また、「おまはんら、ちゃんとご飯食べよらんやろ?」と、

お寿司や肉など、ご飯にもよく連れて行ってくれました。



そんなスタート時を経て、

ワイヤーママは徐々に県民に浸透し、

いつの日かプロカメラマンに発注することもでき、

岸本さんに無理して広告出していただかなくても、

いろんな企業やお店から問い合わせが増えてきました。



岸本さんのように、初期から支えてくれていた方のお陰で、

今年10月にワイヤーは創刊10周年を迎えさせていただいたのです。

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そして先日やっと、

岸本さんにお線香を上げに、

香川県宇多津に行くことができました。


岸本さんとは高校時代からの友人である

ワイヤー編集部のしょうすけ兄やんと一緒に行ってきました。



岸本さんの遺影は、

まるで生きているかのように、

変わらぬ人なつっこい笑顔でニコニコしていました。



すると奥さんが、

こんな物を出してこられました。






▼覚えています! 岸本さんが、

あわわ時代に使っていたカメラバックです。

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▼その中には、

岸本さん愛用のNikonFEカメラと撮りかけのフィルムも。
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奥さん曰く。

「このカメラとケースは、

ぜひワイヤーさんで使ってやってください。

そのほうが主人も喜ぶと思います・・・・・・・・」

まだ小中学生のお子さんが2人もいて、

これから女手一つで大変な状況だというのに、

ワイイヤーママにこんな気を遣ってくれたのです。。。






嘘のような話ですが、

このNikonFEを見た瞬間、

岸本さんに16年前に言われた

同じ言葉が聞こえてきました。



「雑誌作りはチームワークでよ!」





「どんな企画でも最初から無理や言うたらアカンでよ!!」





「あわわが日本で一番おもっしょい雑誌なんじょ!!!」



岸本さんはもしかして、

まだまだタウン誌を作りたかったのではないだろうか。。。。。




奥さん、この形見分け、しっかり受け取りました。


岸本さん、その言葉、しっかり受け止めました。



岸本さんのご冥福を深くお祈り申し上げます。


出世払いで約束した、

表紙撮影ギャラ・・・いつか払いに行きます!!判たけぴ











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