西條剛央 『人を助けるすんごい仕組み ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』

(ダイヤモンド社、2012年2月)  ISBN 978-4-478-01797-5


   はじめに


本書は、著者・西條氏(以下、「著者」)が代表を務める「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下、「ふんばろう」)の立ち上げから、2011年末までの活動記録・体験記であり、かつ、著者の持論(後述)の有効性を主唱する提言書でもある。本書で述べられている一連の試みは、東日本大震災の支援活動においてどのような意義を持っていたのか。このプロジェクトの理念は有効であったのか否か。評者・佐藤(以下、「評者」)の評言を小論で開陳する。


本書の目次は、以下の通りである。


   本文目次


はじめに


第1章 絶望と希望の間 南三陸町レポート


第2章 「ふんばろう東日本」の拡大とインフラとしてのツイッター、ユーストリーム、フェイスブック


第3章 「重機免許取得プロジェクト」 陸前高田市消防団と志津川高校避難所


第4章 半壊地域の苦境と「家電プロジェクト」の立ち上げ


第5章 「ほぼ日」と糸井重里 「西條剛央の、すんごいアイディア」外伝


第6章 多数のプロジェクトをどのように運営していったのか?


第7章 「一戦必勝」を実現する組織づくりの秘訣


第8章 ポスト3.11に向けた人を助ける仕組みと提言


おわりに 僕の声が君に届けば


   章別概要

 評言に移る前に、本書の章別概要(第1章~第8章)をまとめておく。


第1章

都内で3月11日の地震に遭った著者が模索の末、地震発生20日後に被災地(宮城県南三陸町)入りする。現地で見た支援状況の改善を決意し、ツイッターならびにホームページを用いた呼びかけを行い、現地の被災者に宅配便を用いて支援者からの物資が直接届く流れを定着させた。多数のフォロワーを抱え、ネット社会に影響力のあるツイッター・ユーザーの情報拡散力を後ろ盾にできたことも成功の一因であった。


第2章

ネット上のやりとりで数日の内に急成長した支援体制「ふんばろう」をさらに宣伝させることになった要因は、著名人との対談・鼎談をリアルタイムにユーストリームで発信したことであった。これらが契機ともなり、行政トップとの直接のやりとりも実現し、Amazonの「ほしい物リスト」を活用して物資を直送する方式も取り込むことになった。


第3章

4月下旬に著者は南三陸町を再訪し、個人避難宅の支援方法を編み出す。(具体的な方法についての記述はないが。)次いで、陸前高田市の被災者との会話から、「重機免許取得プロジェクト」のアイディアを得て、即実践に移る。これは地元の自動車学校と連携して、被災者が重機免許を取得するまでの費用を支援するという企画であった。このプロジェクトにより陸前高田で約120名が重機の免許を取得した。


第4章 

次に著者が訪れたのは、宮城県石巻市の渡波地区。津波により自宅が半壊した被災者が集中するこの地区に、行政・日本赤十字社からの支援が届かない事態を改善すべく、著者は「家電プロジェクト」を立ち上げる。急遽、マネジメント・メンバーを追加募集し、不要な中古家電を都内で集めて現地配布することから実践する。順次、配布品を新品に置き換え、夏場には扇風機なども配布するようにしていった。(扇風機は4000世帯に配布とのこと。)


第5章 

糸井重里+ほぼ日刊イトイ新聞著『できることをしよう。』(新潮社、2011年)に収録された「西條剛央さんの、すんごいアイディア。」(対談記録)の再構成。前章までの内容をまとめつつ、「ふんばろう」の活動方針や行動理念を紹介する。


第6章 

2011年の夏から冬にかけて実施した新規プロジェクトを話題としつつ、プロジェクトの核になっている考え方「方法の原理」を説明する。(曰く、「プロジェクトの有効性は、(1)状況と(2)目的から規定される」など。)さらに、プロジェクト運営上のトラブル回避を図るために、メンバーに提示した「トラブルを減らすための7か条」などを例にして、グループ内のまとめ方を指南する。(家電プロジェクトは、総計2万5000世帯以上へ配布とのこと。)


第7章 

2012年1月現在での「ふんばろう」の組織を説明すると共に、組織を運営するにあたって著者が心がけた構造構成主義によるマネジメントの要点を解説する。「一戦必勝の無形の型」と著者は「ふんばろう」のことを形容する。


第8章 

「ふんばろう」の実践等も交えて、著者が各方面に渡って考えた提言をまとめている。一部の目次を抜粋すると、「地震学はゼロベースで多様なアプローチを」「日本赤十字社への提言」「個人情報保護法の弾力的運用を」「仮設住宅からトレーラーハウスへ」「津波を「いなす」津波防災都市構想」「原発問題の解き方と答え」


1・本書への批評にあたって


上記の概要を見て分かるとおり、第5章までの前半部分は著者による「ふんばろう」立ち上げからの活動記録である。第6章以降は、「ふんばろう」の運営に関わるマネジメント、あるいは災害支援のための提言がまとめられている。


以下の評者による評言は、不必要な誤解を招かないよう、次のことを前提としている。


「ふんばろう」は震災直後の活動から2011年末に至るまで、被災地の現場で物資支援等の実績をあげていたことはまぎれもない。その組織の立ち上がりの機動性に助けられた被災者がいたことも事実である。支援を行ったという行為・事実に対して評者は批評を与えるものではない。一方、本書にはその支援の活動記録とは直接関連のない話題も幾つか述べられており、主としてそちらの内容である「組織としての」理念、方法論、態度を批評の対象とする。


批評にあたっては、戦後日本におけるボランティア、支援活動の現在までの歴史的な背景を参照し、本書でまとめられている提言が、新しい支援モデルとなり得るか否かの考察を、海外の市民教育の実践理念も交えつつ、多面的に検討したい。


なお、本書は活動記録という性格をも有することから、本文中に多数の個人名が登場する。評言に当たっては、一切個人情報(氏名)に関わらない範囲で紹介、批評をする。従って、本書に記載されている個々人のエピソードについては触れないことにする。あらかじめご了解を頂きたい。


※本書からの引用は、ページ数のみを表記し、他書からの引用については、著者名とページ数を併記して識別する。


2・ボランティア論か組織論か


本書を一読した読者は、ある種の戸惑いを持つに違いない。そもそも、この本の主題は一体何なのか?


東日本大震災の支援活動のために立ち上げた組織の活動記録・体験記であるのか。それとも一般的な支援論・ボランティア論を展開したものなのか。はたまた、支援組織のマネジメント論・組織論なのか。


表面的に見れば、第4章までの内容は、所々に著者の持論が挿入されているとはいえ、おおむね時系列に沿った活動記録がまとめられている。6章以降の後半部分は「ふんばろう」の組織運営について、そして支援活動全般への提言が述べられている。


だが、一般的な支援論やボランティア論をも期待していた読者は、本書の内容には大いに失望するに違いない。なぜなら、本書はその方面の参考文献を参照している気配がないからである。


本文末尾の「引用文献」・「参考文献」を見ると、数点の新聞記事・対談記事の他にP. F. ドラッカーの著作が2点、そして著者の自説である「構造構成主義」の関連文献が多数挙げられているばかりである。(しかも「構造構成主義」の文献は、支援活動とは直接関係のないものばかりである。これは自説の喧伝の意味しかないと評者は判断する。)


つまり、本書の後半部分は「組織論」に該当し、しかも自説(構造構成主義)のみに依拠して議論を展開している。「ふんばろう」が他の支援組織とどのように異なっているのか。あるいは、既存の支援論をどのような形で乗り越えるのかといった、読者が当然求めるであろう参照事例が全く提示されていないことになる。


広義のボランティア論・支援論には、組織論が必要であり、その一部として組織論が組み込まれていることは言うまでもない。しかし、組織論さえあればボランティア論が完結することは決してない。組織論での有効性を根拠にして、ボランティア活動への全般的な有効性を主張すること。これは議論としては明らかに不完全である。


組織論に還元されることのない問題(例えば、支援活動が被災者に与える影響評価、支援段階についての考察、等々)に、本書は全く触れていない。他者に提案をし、その採用を求めるのであれば、自説の宣伝ばかりではなく、説明・説得、比較対照のための全方位的な情報の提示は必須であろう。


持論・自説のみを論拠とする本書=「ふんばろう」の傾向、言い変えれば、他の学説や主張を参照しない「内向性」に、評者は第一に疑問を持つのである。



3・ボランティアの歴史の中での「ふんばろう」の位置付け


東日本大震災は予測不可能な突発的自然災害であったが、この災害に向けられた支援活動・ボランティア活動には、普段からの活動実績や過去の経験が様々に活かされていたことは言うまでもない。つまり、日本における支援やボランティア活動の歴史を背負いながら、個々の支援組織、個人は活動を行っていたと見ることもできる。


この3~40年の間に起きたボランティア活動(災害支援に限らない一般的な支援活動も含む)を巡る環境の変化や考え方の変化を知っておくことは、「ふんばろう」のようにこの震災をきっかけとして作られた支援組織の評価をする上で大いに参考になるはずである。


そこで、ボランティア活動(特にその活動のとらえ方の評価)の近年の歴史を、仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉』(pp. 416 - 419.)を参考にして略述し、「ふんばろう」の位置付けを確認しておきたい。これによって、「ふんばろう」の支援組織としての性格も浮かび上がってくるはずである。


(1) 1960年代以降のボランティアの潮流


戦後日本においてカタカナ語としての「ボランティア」がそれ以前の「奉仕」に替わって多用されるようになったのは1960年代以降のことであった。社会福祉協議会(社協)や各種民間団体が立ち上がり、活動を開始し、ボランティアには担い手の「自発性」が求められるという前提が社会的に共有されるようになる。この頃、支援者と支援を受ける側は、双方共に対等であるという関係構築が目指され、「ボランティアは所詮自己満足だろう」という批判を払拭しようとする意識が働いていく。



1970年代になると国家予算に占める社会保障費は増加し、政府によるボランティア推進政策も本格化する。この時にボランティアの担い手の新たな価値観として推奨されたのが、「人間性回復」「自己実現」「自己成長」といったキーワードである。(仁平はこれをボランティアの「自己効用論」と呼ぶ。)ボランティアの担い手が、人間的に成長することを有益な価値として取り込むことに積極的な意義が見出された時代である。

1980年代になると、一転して社会保障費は抑制され、政府は無償あるいは安価な労働力を福祉サービス供給における一つの柱として位置付けようとし始める。「有償ボランティア」「住民参加型福祉サービス」「時間預託型サービス」という言葉が生み出され、教育の現場でもボランティア活動の経験を進学評価の指標に取り入れるなどの動きが現れた時期である。そのような時期に、ボランティアの現場では「楽しさのためのボランティア」という意識が広がっていく。70年代の意識よりもさらに自己充足感を即座に求める傾向が強まったと言える。


そして1990年代にボランティアの現場は、現在に繋がる転機を迎える。ボランティアは無償であるべき、という前提は自己効用論を経て、支援者側にも報酬(有形・無形を問わず)を与えることがあっても良いという見解が普及する。このような意識を受け入れた帰結として、ボランティア活動は「助け合い」や「ビジネス」にまでその領分が無制限に広がっていくことになる。制度的にそれを具体化したのが「NPO」の存在であった。


阪神・淡路大震災以降、ボランティアは日本社会に定着したと見なされているが、その背景をこのように辿っていくと、NPOの普及とその活動が従来の「ボランティア」の現場に上書きされる形で広まったことが見て取れる。様々な領域へと拡散していく支援活動がすべてボランティアと見なされるとともに、新たにボランティアに導入された「経営的合理性」と「協働」の理念を体現するNPOが、現在に至るまでボランティアの現場の主流となっている。


(2)「ふんばろう」の歴史的位置付け


このような流れを踏まえた上で、「ふんばろう」はどのようなボランティア活動への意識、方針を持って組織運営をしているのであろうか。著者の言葉からうかがえる様子を取り上げてみよう。


著者は組織の改善に至る契機を次のように述べている。


「[ふんばろうで組織の改善を]可能としているのは反省会ではなく、あえて言うならば、みんなで「いろいろ大変だったけどやってよかったね」と健闘を称え合い、ねぎらい、愉しくすごす「懇親会」だと思う。」  (p.254.)


わずかこの一言で何が分かるのか?と思われるかもしれないが、例えば1960年代までのボランティアの現場では、表だった場所で「愉しくやろう!」などという言葉が発せられる雰囲気はなかったのである。ところが「ふんばろう」はこの雰囲気を前面に打ち出している。つまり、1980年代以降一般化した、「ボランティアは楽しいもの」であり、自らをも成長させるきっかけになるという考え方がここにも浸透していることが伺える。その意味で、「ふんばろう」自体がよりどころとするボランティア活動、支援活動のエートス(気分、態度)は歴史的に何ら新しいものではなく、むしろ、近年の潮流の当然の帰結だったとも見なせる。


さらにこれがエスカレートした形態として定着したのが、組織としての「ふんばろう」であると評者は理解している。そもそも「反省会」を軽視して「懇親会」を重視する、と開き直られると苦笑するより他ないのだが、自らの楽しさを求める態度を貫き、その心理的エネルギーを組織維持のために向けるという戦略であろうかとも邪推してしまう。他者からの批判に耳を傾けず、組織内部だけの論理をボランティアの現場でも貫徹させる気配も見え隠れする。


もう一点、歴史的な背景とのすりあわせを行うと、本書を通読して分かるように、代表たる著者は次から次へと新規のプロジェクトを立ち上げては実践に移していく。(本書の「はじめに」では、手がけたプロジェクトの一例として14項目が列挙されている。)この傾向も実は、1990年代以降に顕著となった支援活動の対象の広域化に対応していると解釈できる。ありとあらゆる場面と手法で「支援」が可能になり、それがまた「支援」であると社会的に認知される幅が広がっていったのが1990年代である。「ふんばろう」はまさにそのような拡張戦略をなぞっている。


(3)潮流からの乖離


だが、90年代以降の支援活動を巡る潮流から大きく乖離していった点が「ふんばろう」にはある。それは上で紹介した言葉を使えば「経営的合理性」と「協働」の理念の放棄である。本書の随所に類似の文言があるので1箇所だけ引用をすると、


「被災者支援を目的としたプロジェクトである以上、支援金を支援に集中させるためにも、人件費はかからない方がいい」  (p. 246.)


この方針の結果が現場ではどうなっていたかと見ると、「ふんばろう」が実施した半壊住宅被災者へ家電を配布する「家電プロジェクト」では、次のような結果を招いている。


「[家電の配布には]業者を通せばかなり膨大な倉庫代と人件費がかかるため、仙台の実家の父に配送をお願いした。幸い家電を置くスペースだけはある。父は連日届く家電を、「ふんばろう」のサイトで必要としている避難所を探しては一件一件届けてくれた。こうして拠点ベースの「家電プロジェクト」は、被災各地に1500個以上の家電を配布したのだった。」  (pp.177 - 178.)


「はじめに」の中で「日本で最大級の支援プロジェクト」(p.4)を豪語する組織の末端が、このように個人ボランティアと何らかわることなく、代表の家族をも動員して物資を配送する姿が描かれている。


この事例を見ても分かるとおり、「ふんばろう」は極端なまでに関係者への賃金、倉庫代、購入代金などの支出を回避して活動を進める。一つでも多くの支援物資に支援金を充てたいというミクロな目標のみにとらわれ、システムを維持するために必要な経費ですら徹底的に切り詰める。逆に、この措置によって不測のリスクが高まっているかもしれないというマクロな問題意識は、著者から完全に欠如していると評者は理解する。この時点で「ふんばろう」はNPO化への道を自ら閉ざしてしまったと言えよう。もちろん、NPO化することが最善であるというつもりはないが、1000人規模を越えるボランティア組織のマネジメントとして、このような運営法は大丈夫なのであろうかと評者は率直な疑問を持つのである。(経営的合理性の放棄)


※本書の(p.246.)の記載を見ると、「ふんばろう」は全メンバーに給与を支払うという、ありえないような想定をしていることも伺える。「1000人を超えたボランティアプロジェクトでお金を払ったら、いくらお金を集めてもあっという間に破綻する」。大抵の支援団体が、役員あるいは少数の専属スタッフにのみ給与を支払っている実態を知らないのだろうか。あるいは、被災者を雇用支援の一環として雇うという発想も出てこないものらしい。


「協働」の理念の放棄については、既に述べたとおり、本書に他団体との連携を志向する言及がほとんど認められないことと、2011年9月以降「各プロジェクトや支部の独立性を高めていく」(p.238.)方針を採ったことからもそのことは予想される。(実際に様々な内外との連携があったならば、本文中に記載しておくべきであろう。いらぬ詮索をされないためにも。)


歴史的位置付けの最後に指摘したいことは、「ふんばろう」に限らず、現在支援活動に参加し、携わっている人々の多く(評者自身も含めて)は、1970年代以降の国のボランティアに関する政策から、多かれ少なかれ影響を受けて育ってきたという点である。ボランティアに関する意識や発想も、学校教育や福祉の現場で刷り込まれて現在に至っていることは否定できない。後述するように、「ふんばろう」は「反行政」の意識を露骨なまでに持っている。皮肉なことに、そのメンバーの少なからざる人たちは、「ふんばろう」が敵視している行政によって育てられ、準備されたボランティアのイメージを前提としてそこに参加しているのである。それは代表である著者自身も、例外ではあるまい。


以上をまとめると、「ふんばろう」は、80年代以降に顕著となった「愉しいボランティア」の精神を引き受け、90年代以降の潮流であるボランティアの拡張路線は取り入れながらも、一方で「経営的合理性」の模索を放棄したと言える。その結果として、組織の末端に行けば行くほど、規模の大きさに反比例するかのように個人ボランティアの労力が過重となる構造になってしまったと言えよう。


(続)