あった気がする

自分の人生

他人の人生

いろいろだ


どれが、誰の人生が

一番上等だろうか


人間は

生きる行動する、話す、思う


そうしてなんとなく

いやなことには日月が過ぎて

生きる、死ぬ


人間が生きてる目的は何?

意味はあるの?

人間っていったい何のために

今いるの?


ということは

日常を

是とする人は、普通、絶対に

考えないものだ


日常とは

この世のすべてを

あるがままに

是として生きることなのだから


この生きてる世界を

誰でもが是としているのだ


思想、哲学、宗教は

この日常を是とすることから

普通から離れて考えることで

意味があり

生まれている

日常を認めないことではなくて

日常の客観視



このことが、普通にわからない人が多い


日常のことを認めた上で

日常に何かをプラスできることとして

イデオロギー、宗教 日々の論議をしている


日常を、彩ることごと

枝葉末節で

いがみ合い

論を戦わせる

論破して溜飲を下げる


日常を是としないという事

生きることから

誰だって逃れることは

できないのだし

是とするもしないもないのは

君も僕もあなたも同じなのだ


根本を問うと

それでなんになる?

無意味だ

ニヒルだ

という

そういうほうが

よっぽど強いニヒルであること


葬儀のことも典型で

死者、死とは

いったい何か

も思わないで

祈るだの、記憶するだの

感謝するだの

いろいろそれは

枝葉末節のことなのだ


根本があれば

人間の行動に

自然とそういうものは

現れる

それが人間なのだけど


根本は

何事においても

むづかしい難題


99%普通の生き方をしてる

人は

本気では考えない


それでいて

枝葉末節に口角泡を飛ばす


えらそうに書いたけれど

論ばかり大好きなこの国

戦前だったら日本人は子供だって

このくらいのことはわかってたこと


金権崇拝の

現世主義一色の究極の日本では

役にも立たないたわごとだということになる


人間の生きるは

とても矛盾だらけで

今の風潮のようでは

混乱だけが募るだけ


人間は根本を

避けながら

雑踏を歩くようなことなのだと思う