逃げるも逃げないも丸ごと福島だ~放射能からいのちを守る全国サミット | 民の声新聞

逃げるも逃げないも丸ごと福島だ~放射能からいのちを守る全国サミット

「放射能からいのちを守る全国サミット」が11日、福島市内で始まった。全国の避難者受け入れ団体や避難者グループが一堂に会したのは初めて。この日は、福島県内外で避難者支援や放射線測定を行っている団体が活動報告を行ったほか、「避難者支援」「保養プログラム」「女子の視点で分かち合う」など5つの分科会に分かれて、現状や今後の課題、悩みなどを話し合った。一日を通して語られた言葉は「避難する決断もしない決断も、どちらも尊重しよう」。被曝回避のために福島から離れた人もつらい、残っている人もつらい─20代の女性は、これを「福島の溝」と表現した。この溝を埋めるためには何ができるのか。12日は2カ所に分かれて避難相談を受け付ける



【生活の全てを奪った放射性物質】

「実際に困難を受け入れ避難を決断した当事者だからこそ、福島と受け入れ先とのパイプ役になれるのではないか」

実行委員長の小河原律香さん(29)は、福島県須賀川市から4歳の娘を連れて北海道札幌市へ一時避難。現在は山梨県甲府市に暮らしている。

依然として多くの福島県民が避難せずにとどまっていることには「なぜ逃げなければいけないのか、ということが消化できないのでしょう。だって、日常生活を理不尽な形で奪わることになるのですから」と理解を示す。

避難先として選んだ札幌市では「普通に生きていくために足りないものをさりげなく分けていただいた」と感謝するが、福島が危険だからといって避難することは、生活の基盤である家も仕事も失うことを意味する。この日は司会として切り盛りしたが、マイクを握った小河原さん自身「放射能被害によって、これまでに築いてきた全てのものを失ってしまった」と力を込めた。

会津坂下町で特別支援学校の教員をしていたAさん(45)は、震災の1年前に夫と死別。原発事故によって小学校1年生の息子、4、5年生の娘の3人の子どもを長野県内に避難させた経験を涙ながらに語った。

ただでさえ子どもたちと離れるのが辛い。それに加えて周囲の無理解が襲いかかった。「放射能より怖いものは世の中にいっぱいあるよ」。何度言われたか分からない。友人は一気に減った。放射能からわが子を守ろうとすればするほど、周囲には奇異に受け取られたという。

「事故直後、知人のいるヨーロッパに逃げたが、早い段階でメルトダウンへのカウントダウンが始まったと報じられていた。帰国したら、あまりにも報道内容が違う。これでは意識が違うのも無理ないのかもしれませんね。会津坂下町で被曝の話はできなくなりました」

長野県内の学校への採用が決まり、子どもたちと一緒に暮らせることになった。

「子どもの避難では、NPO法人フリーキッズ・ヴィレッジに大変お世話になった。これからは長野から、様々な情報を発信していきたい」
民の声新聞-サミット①
全国の支援団体や避難者グループが一堂に会した

「放射能からいのちを守る全国サミット」=コラッセふくしま


【避難は復興の妨げか】

分科会の一つ「女子の視点で分かち合う」を仕切った宍戸慈さん(28)は、レースクイーンやラジオパーソナリティなどで活躍していたが、北海道への移住を決意。昨年のクリスマスイヴに転居したものの、福島への想いを捨てきれずに行ったり来たりを繰り返しているという。

「両親も友人も福島にいますからね。今でも戻ってきたくて仕方ないです」

原発事故や放射能に関する情報は得ていたはずなのに、避難を決断するまでに9カ月を要した。だから、福島を出られない人の気持ちは良く分かる。しかし、もっと心を痛めているのは、避難する人としない人との間に溝ができているのではないかと感じていることだ。

「特に年配者や企業経営者の中には、避難を口にすることが復興の妨げになると思っている人が多い。福島にとどまって復興に尽力すること以外の選択を否定してしまう。すごく嫌です。それぞれが下した決断を尊重しながら何ができるのか考えないと」

交際中の彼氏は先に北海道に移住して農家をしている。「被曝と言う価値観を共有できる人でないと結婚は難しいだろうから、彼と結婚したい。ヒバクシャ×ヒバクシャで子に身体的な障害が生じる可能性は高いだろうけれど、その時はその時で2人で大切に育てようと思います」

郡山市内のイベント制作会社に勤めていた日塔マキさん(28)は、「原発事故で人生設計が大きく狂った。今頃結婚してお腹に赤ちゃんがいたかも知れないのに」と憤る。

早くから避難を意識していたが、社長も含めわずか3人しか従業員がいない小さな会社。自分が抜けることへの罪悪感がなかなか払しょくできなかった。千葉県内に転居できたのは12月初旬のことだった。

「郡山にいると感覚がマヒしてしまう。まだ線量が高いのに、事故直後よりも下がっているから大丈夫だという声をよく聴きます。動ける人はぜひ動いてほしい」

交際中の彼氏は、やはり仕事の関係で郡山にとどまっている。「俺は避難できないよ」という言葉が今も頭に残っているという。

二本松市に生まれ育った専門学校生(19)の言葉が、福島の若い女性たちの想いを代表しているのかもしれない。

「初めのうちは洗濯物を外に干さない、なるべく雨に当たらないなどと気を付けていました。でも、1年も経つと風化されてしまう。出産への影響は怖いけれど、かといってマスク程度で被曝を防げるものなのでしょうか。有効な対策などないのでしょう。早くそれを示してほしいです」
民の声新聞-サミット②

若い女性だけの分科会では、結婚や出産に対する

不安が率直に語られた

【あっという間の11カ月間】

まもなくやってくる2回目の「3.11」。この一年間に対する思いが、参加者から次々と吐露された。

「絶対にあきらめません」

子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの佐藤幸子さんは力を込めた。

「3.11以前に戻りたいと願いながら戻れない11カ月間だった。子どもの将来が心配だが、様々な理由でとどまっている人にも何かできないかと考えている。将来にわたって、必ず子どもたちを私たちの手で守っていきます」

CRMS市民放射能測定所理事長の丸森あやさんは「あっという間の11カ月間だった」と振り返る。「みな、泣きながら苦しみながら選択をしてきただろう。私もそうでした」。

全国サミット事務局長の吉野裕之さんは、自身も妻と子どもを京都市内に避難させている。その経験もふまえて「福島から避難した人々が全国で受けた親切が、福島に伝わってきていない。それがもっと伝わるようになれば、甘えてみようかな、頼ってみようかな、という気持ちになるのではないか」と今後の課題を指摘した。

12日は「ウィズもとまち」(北海道から関東甲信越まで)「チェンバおおまち」(中部・近畿から沖縄まで)の2会場に分かれ、全国の支援団体による相談会が開かれる。

(了)