人は、こうありたい、という理想を持つ。
たとえば「仕事をばりばりやりたい」というのは上司や先輩を手本にしたものだ。
何かを手本にして、それを真似ているわけだが、それが行き過ぎると、自分の本質を隠して社会的仮面を付けることになる。自分の本質は隠さなければならないと思い込むほど、それは自身の恥になる。
恥じれば恥じるほど、自分の本質は隠すべきものとなり、社会的仮面はますます強力に張り付く。
なんと75%の女子が自覚! 私が「ダメ女」になる理由
「休みの日は一日中パジャマで過ごすことがよくある」(30歳/団体・公益法人・官公庁)
「ごはんも作らず、一日中ベッドの中でだらだら」(27歳/情報・IT)
「休みは自宅から一歩も出ず、食っては寝るを繰り返して一日過ごしている」(30歳/情報・IT)
人は誰でも怠惰でいられるときが一番楽なときだ。
しかし、怠惰で自由な独身生活を失う恐れが潜在しているとすれば問題だ。これが結婚できない理由でもあるからだ。
「『かわいさ』よりも『おもしろさ』を優先させてしまう」(30歳/マスコミ・広告)
「タイツをはいて江頭2:50のマネをするなんて、わがことながらこの年の女のすることとは思えない」(25歳/医療・福祉)
「みんなの爆笑があった」と満足するのか、「みんなが爆笑したかったから、やらされた」と思うのか、の違いは大きい。「笑い物にされている」と思い込むと、気分は大きく落ち込んでいく。
また、年相応の振る舞いや言動ができない、というのも深刻だ。まるで自分を見失うまでの格好を人前でするのは、恥ずかしさの極限を超えたような状態、まさに躁状態ではないか。激しい誇張は、硬直し、自分でない何かになろうとしているようだ。
「自転車でよく転んでけがするが、少々の擦り傷や青あざなら気に留めず放置」(24歳/学校・教育関連)
「一週間連続で化粧を落とさず寝てしまい、肌がボロボロになった」(26歳/情報・IT)
「女性は男性より痛みに強い」とよく聞くが、それは男性には堪えきれない痛みを伴う出産をするのだから頷ける話だ。
しかし女性の傷は治りにくく、放っておくとアザになったりする。アザにならないような飲み薬があるほどだ。
女性は、よほど怪我には注意が必要だ。突発的にショック死することもあるのだから。
「最悪な男に何度も泣かされているのに、懲りずにまだ関係を続けている」(24歳/商社・卸)
「好きになっても不幸になるとわかっている人を好きになる」(30歳/警備・メンテナンス)
「好きになりすぎて自分を見失う」(26歳/運輸・倉庫)
不幸であっても離れられない依存。不幸の自覚はあるのだが、お互いが強い必要性を感じている共依存。
共依存が悪いわけではなく、健全な夫婦でも、労働者と雇用主でも共依存関係だ。
ここで問題なのは、よくない関係での依存に自分自身の本質を見て「駄目だ」と思っているところだ。
自分を見失う・没頭・没我することに大きな刺激を感じてしまうのなら、これは恋愛麻薬に依存してしまった、ということでもある。抜け出すことは、相当に困難だ。
「恋愛を全然しないのでダメ女だと思う」(28歳/医療・福祉)
「普通の女性のように恋愛をしなければならない」と思っている。それで他者との接触では、恋愛ができるフリをしなければならなくなる。
“普通に恋愛ができる私”は、恋愛ができない私を隠し、現実に恋愛をしていないと気付いて自己卑下に転じる。
ナイナイの岡村さんのように、いっぱいの言い訳を用意するほど、それは“普通に恋愛ができる私”の装飾である。いつか独りになれば、恋愛ができない自分の本質にたどり着くことになる。
http://ameblo.jp/ageishi/entry-11158598103.html
2012-02-08 05:56:01
岡村さんの非合理的な思考
てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~ [DVD]/岡村隆史,松雪泰子,吉沢悠
¥3,990
Amazon.co.jp