徒然草 - 第184段 | 鸞鳳の道標

鸞鳳の道標

過去から現在へ、そして未来へ。歴史の中から鸞鳳を、そして未来の伏龍鳳雛を探すための道標をここに。

<184段>


 相模守時頼【さがみのかみ・ときより】の母は、松下禅尼【まつしたのぜんに】とぞ申しける。
 守【かみ】を入れ申さるゝ事ありけるに、煤【すす】けたる明り障子の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀【こがたな】して切り廻しつゝ張られければ、兄【せうと】の城介義景【じょうのすけ・よしかげ】、その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、某男【なにがしのをのこ】に張らせ候はん。さやうの事に心得たる者に候ふ」と申されければ、「その男、尼が細工によも勝り侍らじ」とて、なほ、一間づゝ張られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、遥かにたやすく候ふべし。斑【まだ】らに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後【のち】は、さはさはと張り替へんと思へども、今日【けふ】ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理【しゅり】して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり」と申されける、いと有難【ありがた】かりけり。

 世を治むる道、倹約を本【もと】とす。女性【にょしょう】なれども、聖人の心に通【かよ】へり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、たゞ人【びと】にはあらざりけるとぞ。




<意訳>

 相模守時頼(執権・北条時頼)の母親は松下禅尼という人である。時頼が母の家を訪れるというので、すすけた障子の破れた升目を、禅尼みずから小刀で切り取り、張り替えてまわっていた。

 その日のお迎えの準備を担当していた禅尼の兄である城介義景(安達義景)が「それはわたしに任せなさい。某【なにがし】という男に張らせよう。そういうことに精通している男なのだから」と言っても、「その男は私より手先が優れているわけではないでしょう」と言いながら、一間ずつ張り続けるのを見た義景は「全部張り替えた方が、ずっと簡単ではないか。そんなにツギハギでは、見苦しいではないか」と再び言ってみたのだが、禅尼は「わたしも、後でさっと張り替えるつもりです。でも、今日だけは、わざとこうしておくのです。物は壊れた部分だけを修理して使うのだということを、若い人に見せて覚えさせ、心に留め置くようにするのです」と言ったという。実に立派である。

 政治の道は、「倹約」を基本とする。この禅尼は女性の身ではあるが、聖人の心の分かる人だ。天下を治めるほどの人を息子に持つだけあって、本当に、並みの人間ではなかったということだ。



- ☆ - ★ - ☆ - ★ - ☆ -


 第184段は、倹約のお話です。

 ひたすら散財する人がいるかと思えば、一円の出費をも惜しむ吝嗇【けち】と呼ばれる人も世の中にはいっぱいいますね。
 安達義景は見た目が悪いことを気にかけています。しかし、松下禅尼は「後で張り替える」と言っており、倹約の心がけを教えるために敢えてこのようなことをしているのですね。
 でも、冷静に考えてみれば、紙の無駄遣いと言えなくもないです。しかし、人に教えるためにはこの一瞬のムダが必要で、後に何千、何万倍ものムダが解消できると思えば安いものです。

 兼好法師は「世を治むる道」と言っているので、政治上での倹約を訴えているわけです。もっとも、現在でも政治に絡んで無駄遣いの限りを尽くしている日本人というのは果たして賢いのか否か・・・。
 必要は箇所には惜しみなく出費し、必要でない箇所は極力抑える。政治に使われているお金は基本的に民衆の労働から供出されているものですから、使われている立場からしっかりと見つめなければなりません。


- ☆ - ★ - ☆ - ★ - ☆ -


 ところで、『倹約』と『吝 [けち]』とは、似て非なるものです。

 倹約は、「不要な支出を防ぐ」ということで、「金の『ムダ』使いをしない」こと。
 けちは、「必要な支出すら嫌がる」ことで、「金を使いたがらない」こと。


 『正武将感状記』に、徳川家康の「倹約」のことが書かれています。

 家康は夏になると必ず麦飯を食べていました。そのせいか、周りからは「あの人はケチだな」と思われていたようです。あるとき、近侍の人がお椀に白米を乗せて、その上から麦飯を乗せたものを差し出しました。いつも麦飯ばかりでは可愛そうだと思ったのかも知れません。しかし、家康は激怒してこう言い放ちます。
 「我が一身の素養を倹約にして、以って軍用に共せんとする。百姓らを労して、自ら豊なることをせず」
 私は倹約をして、少しでも軍費に当てようとしているのだ。世の多くの人たち(百姓とは本来は「たくさんの姓」という意味で、農民だけでなく「大勢の人たち」を指す言葉です)を働かせておいて、自分だけが贅沢をするつもりはないぞ・・・という意味です。戦国の世の中なので「軍用に共する」と言っていますが、現在なら「国費に充てる」とでもなるのでしょう。こういう人を本当の「政治家」と言うんですね。
 もっとも、一度使った足袋でも捨てることなく、選り分けていたというエピソードがあります。昔の足袋は素材も粗末な消耗品で、普通はすぐに捨ててしまうものなのですが、幼い頃から苦労させられすぎたのか、二度と使うことはなくても捨てるということが出来ない性質があったようで、「ケチ」と思われても仕方ない一面もあるようです。

 
- ☆ - ★ - ☆ - ★ - ☆ -


 現在の人々から探すと、マイクロソフトの創設者、ビル=ゲイツ(William Henry Gates III)氏にこんなエピソードがあります。
 ビル・ゲイツの私生活の話というと、目も眩むような豪邸に住んでいるとか、結婚式のために島をひとつ買ったとか、「さすが大金持ち」的なゴージャスなネタばかりが取り上げられるようです。しかし、それは彼の一面に過ぎません。

 彼は自家用ジェット機も持っているのですが、出かけるときに一般の旅客機に乗るときは、いつもエコノミー・クラスを使っているようです。それについての答えが「会社の金でも個人の金でも、そのような無駄なことに金を使うことは理解できない。(中略)ファーストクラスの料金に何倍もお金を払ってみたところで、到着する時間は皆同じなのだから」。
 では「世界一の大金持ち」とまで言われたことのある彼は、実はケチなのかというとそうではないようです。たとえば仕事で自家用ジェット機を使う。並の社長ならば燃料代などの費用を会社に請求するのに、彼はそれをせず私費で払っています。また、数え切れないほどの団体に莫大な金額を寄付して、見ず知らずの困窮する人たちを手助けしている。これも並の経営者なら会社の費用として計上するのに、彼はそうせずにすべて私財を投じています。

 つまり、使わなくてもいい金はできるだけ使わないが、使うべき金は惜しげもなく使う。

 アメリカに障子はありませんが、ビル=ゲイツ氏なら松下禅尼と同じことをしたかも知れませんね。いや、「後でさっと張り替えるだって? そんなムダなことはするな」と言うかも知れませんね。