「虚栄の焼却」 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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ジロラモ・サヴォナローラ

<ジロラモ・サヴォナローラ>

説教を行うサヴォナローラ

<説教を行うサヴォナローラ>

虚栄の焼却」は,15世紀末,イタリアのフィレンツェにおいて,サヴォナローラの神権政治のもとで行われた,美術品などの物品を破毀・焼却する儀式である。

フィレンツェの繁栄とサヴォナローラの登場

15世紀のフィレンツェでは,大富豪メディチ家の支配のもとで,内外の情勢が安定してルネサンスの文化が花開いた。ボッティチェリら優れた才能をもつ芸術家が活躍し,サンタマリア・デル・フィオーレを代表とする壮麗な建築物が築かれ,パレードなどの豪華な祭典が催され,市民は繁栄を楽しんだ。

しかし,こうしたなか,15世紀末にフィレンツェにやってきて修道院長に就任したドミニコ派修道士のジロラモ・サヴォナローラは,この都市の世俗的・享楽的な暮らしへの批判を開始した。この修道士は,華美な文化を堕落であると断罪して神の罰が降りかかることを警告し,その説教は演説や文書を通じてしだいに広まり支持者を集めるようになった。

フランス軍の侵入とフィレンツェの危機

フィレンツェでは1492年にメディチ家の当主ロレンツォが死去して子のピエロが後を継いだが,それからまもない1494年,ナポリの支配を狙うフランス王シャルル8世が,突如大軍を率いてイタリアへの侵入を開始した。フランス軍はミラノなどを通過してフィレンツェへと到来したが,このとき,メディチ家のピエロはフランス軍を前に抵抗する術もなく降伏し,屈辱的な条件で和議を結んだ。

フィレンツェの市民たちは外国に屈服したメディチ家に激昂し,決起してメディチ家を追放すると,民主的な共和政の体制を樹立した。そして,この体制において,これまでメディチ家の支配に対して批判的な姿勢をとってきたサヴォナローラが主導権を手にすることになった。

サヴォナローラの政治と「虚栄の焼却」

こうして最高指導者となったサヴォナローラは,フィレンツェにおいて,彼の信念に従った独自の神権政治を展開していった。

質素と禁欲こそが神の道であると信じるサヴォナローラは,華美や奢侈の風潮を攻撃し,彼の支持者たちを動員して風紀の取締りを行わせた。この取締りによって多くの美術品・書物・衣装などが没収されたが,それらは広場に集められたうえで燃やされ,はかりしれないほどの価値をもった芸術品を含む品々が炎のなかに消えていった。この行為は,「虚栄の焼却」と呼ばれている。

こうして,フィレンツェの都市はサヴォナローラの政治のもとで雰囲気を一変させ,それとともにこの都市が誇った華やかな文化も急速に衰えていくことになった。