下の写真は、野生のワシです。
いつも自然のこと、野生動物のこと、保護活動を知り学ぶためにもこの方の活動をTwitterをみています。


URL: youtu.be



今日は、また人間の行為により、不適切な関わり方により「被害」を与えてしまったという残念な投稿を見かけました。




そこに感じたのは、広く捉え考えれば、私たちにとっても割と身近なことにも「例えられる」と感じたので、ブログにします。先ずはTwitterからの投稿を以下へコピペしますので、読んでみて下さい。

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羅臼で行われている観光船からの餌付けに集まったワシが空中でつかみ合いになり、そのまま岸壁に激突! 

ワシたちは海に落下し、一羽は何とか飛び立てたものの、オオワシの幼鳥が飛べなくなり保護された。

診察の結果、翼裏に深い裂傷を負っていたため、縫合により止血した。

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自然との関わり方が杜撰すぎる。
これが私が読んだ時に率直に感じた気持ちでした。

餌付け??
野生の動物へ???
客寄せの為?
話題?見世物のため?

あまりに醜い
無責任な… エゴ… 身勝手さ…

所有者となる責任を持つべくペットでもないのです。
自然の世界のこと。
野生の動物です。
保護区でもなく、それを保護する知識と権利のある立場でもない人たちなのに。

野生動物への餌付けが引き起こす問題として、個体数減少や増加、動物の行動パターンの変化などがありますが、人獣共通感染症の広がりなども懸念されています。

餌なんて与えたら大変なことです。
犬や猫でも大変なことです。


野生動物

この言葉をどう捉えてるんだろう。
どうしてこうも人間は…と、咄嗟に口走りそうになり思うけど、ふと思ったのは、私たちの割と身近なところにも通じる「感覚」があることが浮かびました。それは身勝手で無責任な行為です。


野犬の餌やり

山口県の周南市などに見られる野犬の餌やりの投稿。こちらのコメントや、禁止されてることでさえ守らず、餌やりを正当化してる理由?なんか見てみると良く分かります。

身勝手な優しさ?という無責任が暴走。逸脱しています。

これは、無法地帯であり
あらゆる危険を増やし
決して幸せに結ばない
決して保護活動ではない
ということです。

先ほどの「熊本県の犬の感染性による殺処分」のブログを読んでくださった皆様には、より分かりやすいのではないでしょうか。 


先日、地域猫は餌やりを認められてしてるのに、犬だって地域犬としてと言われる方がいました。

この方は地域猫の活動を良くご存知ないのだと思いました。

なぜなら、誰でも勝手に地域の野良猫に餌やりをしてよいものではありません。
活動されてる地域のサポーターとなり、そこにあるルールを守りながら不妊去勢された一代かぎりの猫たちのお世話を地域の皆様の迷惑とならないように、猫たちに感染症や病気にさせないように管理し、餌やりだけでなく、トイレや清掃を行い後片付けにより清潔な環境にも配慮した活動をしてる皆様のことです。

このような方々に対して無知なだけで、誤解を招くような失礼なことを言わないでほしいと思いました。

野犬の餌やりを地域猫のように言われるのならば、せめて、自身で捕獲して不妊去勢して、トイレや環境の衛生管理、何もかもしてから言われるべきでしょう。

が、公共の場所でするのは勿論、餌やり同様に禁止されています。(公共の場所であれば管理者の許可を得ない物資等の持ち込み許可や確認が必要でしょう。)

これだけのことをするのなら、一人一人が一頭一頭に責任を持ち、飼い主となる責任を養い、連れて帰り、愛情を注ぎ、健康を守り終生飼育をされることが犬たちの安全と幸せのためであり、ベストであることでしょう。

これができないのならば
責任が持てない人だということです。
できることは、せめてもの支援や餌やりではなく「無責任なことをしないこと」です。

一頭でも多くの野犬と呼ばれる犬たちが、行政の努力により安全に捕獲されることを願い、登録ボランティアの皆さんの協力とあわせて、人に慣れる為のお世話とトレーニングを得て、健康を手にして晴れて「譲渡犬」となることを願うべきなのではないでしょうか。

里親さんに出会えるまでになれること、それこそを応援すべきなんじゃないのでしょうか。

なぜ、いつまでもあのような過酷な環境下で餌ばかり与えて救ったような気持ちに満足してるのか?

とてもじゃないけど
疑問でしかありません。

だってそうでしょう?
飼い犬を迷子にしてしまってる皆さまなら、迷子にしてしまったことがある皆さんなら、一刻も早く無事に保護されたい気持ちが分かるはずです。

野犬だった犬たちを家庭へと迎えられた里親の皆さまなら尚更に分かるはずです。

野犬として生きることは不衛生であり不健康です。交通事故や様々な病気、感染症のリスクに常に晒されています。

健康でないことは幸せですか?
健康であることが幸せなんです。

私自身でさえ、常日頃からそう感じています。体調を崩すこと、病気になることが辛いのです。

人の自然との関わり方
人と動物との関わり方
人が関わること
とても重要であり重大なことだと感じています。


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昨年1月、シカ避けの網に絡まり、片翼の風切り羽をほぼ全て根元から折ってしまったオオワシの幼鳥。

飛翔能力を失い、北に帰ることができなくなってしまったが、丸一年かけて風切り羽が生え替わった。

今日、広大な自然界へと帰って行った若ワシに、『よく頑張ったな!戻ってくるなよ!』と声をかけた。

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下に貼ったヤフーニュース記事は、カモシカの事が書かれています。

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上の写真を見てください。
このように目の前にカモシカが現れたら皆さんならどうしますか?

今の私なら
あいつヤベー!!!と、思わせるために鍋などを叩き大きな音を出して、大きなアクションで驚かせ、山へと追い返してあげます。

カモシカであれ、クマであれ、イノシシであれ、タヌキであれ、キツネであれ、野ウサギであれ、例外も特例もなく、なんであれです。(怪我をして動けずにいたり倒れていたりのことなら市に相談しますが。)


人間は怖い

そう思って欲しいからです。
人里に現れては「いけない」のです。
私が猟師ならどうするのですか。
人を恐れずに近寄ってはいけないのです。

きっと、餌を与えた人がいたのでしょうから、その人間の間違いを正すため、新たに「危険性」を野生動物に伝え教えてあげるためにです。

これが私の愛情です。
これは私の自然や動物への敬意です。


そして出来るだけ私からも山には無闇に出入りしないことを心に置きます。

山の食べ物を奪ってしまわないように努力しようとします。

そのくらいの事しかできないけれど、野生動物と私たち人間のための共存とした暮らしを願うため、境界線を心にピシッと引いて生きます。


そして、もしも、
私がこの写真のような経験をしたとき。
単に「動物が好き!」といった自分本位な感覚だけの昔ならば、無知な頃ならば、大ハシャギしていたのだろうと想像にいたり恥ずかしくもなりますが、今はとても悲しくなります。

悲しいけれど、
動物好きなだけに動物を傷つけてしまいそうな過去の自分への反省とともに
悲しくも恥ずかしさも感じられる今の自分に対しての安堵の感覚もあります。


一瞬の間違い、間違った優しさが互いに命に関わる危険を与えることになる。
このことから、この場合にもカモシカを驚かせて山に返すのです。

きっと、カモシカが山に戻る姿を見送るときには、驚かせてたりなどしたくなくて泣いてしまうと思います。

しかし正しいことだと思っています。
「自然に生きて欲しい!」
「人に出会うな!捕まるな!」
と絶対に願うからです。絶対に。
Lovely days  CHIKA'S MIND TRIP



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