「STAP細胞、再現されず」

小保方晴子の目

理化学研究所は小保方晴子氏の研究に対してそう結論を出した。STAP細胞は無かった。にもかかわらず彼女の作業が一時的にではあるにせよ、「研究」と認められ、「学術論文」たり得たのはなぜか。もちろん、理研・早稲田大学のチェック体制の不備が直接的な原因である。しかしその背景には、いとも簡単にコピー・アンド・ペースト(コピペ)ができるようになった現代の「文化」がある。つまり、パソコン・スマホなどを通じてインターネットにアクセスし、そこに書かれている文章をコピーして「論文」を作成することに慣れた人間が、「研究」までも安易に創作してしまったのである。そこには、
「論理的なストーリーを自分で考える姿勢の欠如」
があるのではないだろうか。

大学生がコピペによって論文作成をしていることが、先日のNHK番組「クローズアップ現代: 広がる読書ゼロ~日本人に何が~」で明らかにされた。番組で紹介された実験は、筑波大生6人に「英語の早期教育の是非」というタイトルで小論文を書かせるというもの。PC使用可。すると6人が6人とも自分で何かを考える前に、「英語の早期教育の是非」をネットで検索した。そして5人までがネット上に載っていた文章を3つ4つコピペして、最後に自分の感想らしきことを付け加えて小論文とした。コピペした段落にはほとんど何のつながりもなく、彼らはストーリーをまったく考えていない。残る1人もネットに出ていた本を図書館に取りに行って、その文章を自分の言葉に直した程度であった。

このようなことが起こるのはなぜか。私は現代のスマホ・ケータイ文化と無縁でないように思う。1、2行のLINEでのやり取り、数行のメール。それに慣れてしまうとまとまりのある文章は読めないし、書けない。もちろんLINEやケータイメールの目的はまとまった意見を述べることではなく、つながっていることや会話の雰囲気を楽しむことだから、それらを全否定するつもりは無い。しかし、一言では言い表せない何かしらを伝えるためにはストーリーを考える必要がある。ブログ記事でも、結婚式のスピーチでも、脈絡のない文を並べただけでは読んでもらえないし、聞いてもらえない。では、どうすれば読ませる、聞かせる文章を作れるか。この記事では、
「分かりやすい文章の作成指針」
を説明したい。


ここで取り上げる文章は、文芸作品のように雰囲気を味わったり、予期せぬ展開を楽しむものではない。また、多忙な中のビジネス会話のように、結論を述べてからその説明をするというものでもない。ある程度、まとまった紙面・時間が許された中で、説得力のある意見や物語を伝えるにはどうするかということである。それには、
「論理的な文章構成」
が必要になる。



文章構成として初等教育で学ぶのは「起承転結」である。「起」で話を始め、それを「承」で受ける。「転」で変化を入れ、「結」で結ぶ。これは漢詩の五言絶句などに端を発するが、論理的な文章構成という点では批判されることが多い。「転」によって話が見えにくくなっているからである。

「起承転結」の実例を挙げよう。
「勧酒」 于武陵(部分口語訳)
起: 君に勧む金の杯
承: 満酌辞するをもちいず(遠慮する必要はない)
転: 花開けば風雨多し(花は開くと風雨で散ってしまう)
結: 人生、別離を見る(同じように楽しみの後には別れがある)

この五言絶句では「転」で話が飛んでいる。酒の話をしていたのに突然、花の終わりの話になる。「結」まで読んで初めて「転」の意味が分かり、巧みな隠喩だと感心するが、分かりやすい論理構成にはなっていない。


もうひとつの例として、頼山陽が漢詩の作法を弟子に説いたもの示す。
「糸屋の娘」 頼山陽
起: 大坂本町、糸屋の娘(一説には京都三条)
承: 姉は十六、妹は十四
転: 諸国大名は弓矢で殺す
結: 糸屋の娘は目で殺す

これも「転」で話が飛ぶ。たったの4行だから「転」で話をはずしても読み手・聞き手は待ってくれるが、これをもとに4段落から成る文章を作ると、「転」の段落は意味が分からないまま読者をほおっておくことになる。


このような「起承転結」に基づいた文章構成は、特に日本人が書く文章(論文など)に多いとされている。話の幹を「ところで」や「一方」で切って唐突に枝葉を持ち出し、やおら主幹に戻って来るというパターンである。


分かりにくい文章構成

この文章構成を、レゲットという日本通のノーベル賞物理学者は批判している。レゲットは、決して話の幹を断ち切ることなく、枝葉はあくまでも主幹に「生える」形で付け足して主幹を保つべきだと主張する。「糸屋の娘」の例では、「起」「承」「結」の後で「転」を付け足すというのである。「転」で終わると味わいは無くなりつまらないと言うのであれば、「結」に続く主幹たるストーリーを追加すれば話は膨らむ。このような文章構成を、
「レゲットの樹」
と呼ぶ。


レゲットの樹

ということで実践してみる。


「糸屋の娘」
 昔、大坂本町に稲田屋という糸問屋があった。稲田屋にはおはるという娘がいた。歌を詠み、書を能くする利発な娘であった。おはるは聡明さの一方で、十六の姉と十四の妹がおりまぁす、というおぼこい物言いが愛らしい娘である。おはるの潤んだ瞳は人々を魅了してやまなかった。目で殺すとはまさにこのことである。ちょうど侍が弓矢を射るように、おはるの瞳は周りの人の心を射抜くのであった。
 おはるの評判は摂津藩国家老、佐々木芳斎に届き、芳斎はおはるを側室に取り立てた。芳斎はおはるに何かと便宜を図り、二人は城中のみならず自然に遊んだ。しかしそんな許されぬ逢瀬は民の口の端にのぼり、やがて藩主の知るところとなる。不義密通の責めを負って芳斎は自刃し、おはるは一生を仏門に捧げた。
 おはるの墓は芳斎と同じ須磨の寺にあり、墓碑にはおはるの歌が刻まれている。
  すまのうら ただよふなみの ふねのごと
         さいはてのよに ほをかけまほし

おはるは極楽浄土で芳斎との成就を望んだのであった。



わっかるかなー。わかんなかったら、記事の初めから読み返して下さいな。(*^ ・^)ノ⌒☆


帆掛け船2



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