芸能界引退のお知らせ。
いつも応援してくださっているみなさんに、お伝えしたいことがあります。
急なお知らせで、驚かせてしまうかもしれませんが
私、小日向えりは、芸能界を引退いたします。
所属事務所のサンミュージックは2020年5月末をもって、退所となります。
(初めてのお仕事、「ひまわり色の雫」写真集から。)
15歳から芸能活動を始めて、17年間、人生の半分以上を小日向えりとして過ごしてきました。
(今更ですが、本名ではないです。笑)
もうひとりの自分がいなくなるような…まだ、私も実感がなく、不思議な感覚です。
引退をお知らせして、最後は観光大使をしている信州上田の「2020年第38回上田真田まつり」で、お会いできたらと、と思っていたのですが、新型コロナでイベントの見通しが立たず、残念ながら叶いませんでした。
ここ数年、芸能をやめようかな?と何度か頭によぎることがありました。
大河ドラマ「真田丸」を駆け抜けて、ある程度「やりきった」という感覚があったこと
株式会社ぴんぴんころりを起業したとき、社員を初めて雇用したとき
でも、お世話になっている皆さんの顔を思い浮かべると、決心ができず…
そう書くと周りのせいにしているようですが、わたし自身も、やっぱり芸能のお仕事が大好きで、なかなか踏ん切りがつかなかったのが正直なところ。
今も、自分がもうひとりいたら、「歴ドル 小日向えり」として活動したいくらいです。
でも、人の時間は平等に1日24時間で
それに私は、同時にいろんなことができるほど能力がある、スーパーマンでもありません。
芸能界も、スタートアップ(起業)も、ほんの一握りの人しか成功できない、決して甘くはない世界です。
だんだん決意が固まっていき
新型コロナが世界を席巻し、騒動になる前、年末年始には心を決めていました。
マネージャーさんとも話し合い、円満に、今月の退所となりました。
中学で芸能を志してから今まで、大げさでなく夢のために人生をかけて、まっすぐに、生きてきたと思います。
人生、幾度となく「選択」があるけど、少しでも夢に近づける道を選んできました。
大学も進学する意味がないと思っていたけど、母に「大学行かないと上京を認めない!国立じゃないとダメ!」と言われて、横浜国大を受験。
私にとっては、大学進学は上京するための手段でしかありませんでした。
あとで聞くと、母はそう言えば諦めると思ったそうなのですが、真に受けました。(^^;)
「新卒で、就職しないなんてもったいない」と言っていただくこともありましたが、
就活の文字すらよぎらず、1ミクロももったいないと思ってませんでした。
大学を卒業してもしばらく、芸能だけでは食べていけないので、大学のそばの家賃5万のアパートで、バイトをしながら生活していました。
貧しくても、しんどいことがあっても、希望があれば、頑張れました。
でも、「夢に向かって突き進む」ことの落とし穴もあって
やりたいことを我慢したり、プライベートを犠牲にして
何が楽しくて生きているのかわからなくなり、正直、あんまり記憶がない時期もあります(笑)
(家族にはとても心配と迷惑をかけて反省しています。)
不器用でしたが、そのときは、そういう生き方しかできず…
山登りはつらいけど、頂上に登った瞬間だけが幸せ…だと息切れして倒れてしまうことがある。
頂上は目指すけど、山登りの過程を楽しむ。
楽しくて、夢中になって登っているうちに、頂上についていた!
そのほうが幸せなんだと3年ほど前に、気づいて、価値観が変わりました。
そういう生き方をすると決めてから、毎日が楽しいし、幸せだし
「明日死んでも後悔がない」と思うようになりました。
マネージャーさんにも、ずいぶん、わがままを聞いてもらっていて、だんだんと申し訳ない気持ちが募っていきました。親不孝ならぬマネージャー不幸というか…
起業を許してくれる事務所なんて、なかなかないと思います。
(今は芸能界も変わりつつありますが)
私が息切れ状態のときに、家族のようなサンミュージックにあたたかく迎えていただき、それから人生が好転していったように思います。
本当にサンミュージックに入れてよかった。感謝の気持ちでいっぱいです。涙
社長にも、最後の最後まで「籍だけ残しておいて、休業にしたら? 親心として。」
と思いやりの言葉をいただき、胸が痛かったし、正直揺れました。
でも、背水の陣ではありませんが…中途半端にせず、潔く、終わりたいと思いました。
大好きなお仕事だったからこそ、半端な覚悟で、決めたことではなくて。
私が芸能界に戻ることは、二度と、ありません。
振り返ると
諸葛孔明の衣装でレッドクリフパート2のマスコミ試写会イベントに出演して歴ドルデビュー
歴史イベントには、100回以上は出演させていただいたと思います。
(歴ドルデビュー当時、戦国魂ライブ2009)
舞台に出演したり
2010年「Tシャツ三国志-人中に呂布あり-」
2013年「「国家 偽伝、桓武と最澄とその時代」
セリフが半端なかった…
歴史の本を4冊、出版したり…
・恋する三国志(21歳、大学生のころ)
・イケメン幕末史(22歳、大学の卒論代わりに提出)
PHP新書で本が出せる日がくるなんて。
夜まで三国志の舞台の稽古、朝まで執筆作業していて、いつ寝ていたのかわからない。笑
・会津に恋して
あの「歴史読本」で連載させてもらい、新人物往来社さんから出版は感慨深かった。コンビニにも並んだ!
・いざ、真田の聖地へ
自分で本の企画して出版にいたった思い出の本。
(「いざ、真田の聖地へ」の出版でスポーツ新聞をまわり、紙面をぶち抜き謎の甲冑グラビア…笑)
信州上田観光大使や関ケ原観光大使
上田にとどまらず、松本市や長野市のPRまでお手伝いさせていただきました。
関ケ原グランドデザイン策定委員として街づくりに参画。
初のレギュラー番組 高校講座世界史
毎週個性豊かなゲストさんをお迎え!いろんなご縁がありました。
文化放送「くにまるジャパン」
スタジオだけだなく、那須塩原の旅も楽しかったです。
素の自分を1番だしていたのは間違いなくくにまる。。。笑
せいこうの歴史再考
自由奔放な進行を受け入れてくれる(?)せいこうさんとスタッフさんで、こちらもかなり素の私でしたね。
レギュラー番組以外にも
「クイズバラエティQさま」や「ザ プロファイラー」「探検バクモン」「あさイチ」「そこまで言って委員会」などなど、大きな舞台に立たせていただきました。
初のQさま!!の写真。
マネージャーさんから出演の電話がきたとき、「出たくない」って半泣きで懇願したのも今となってはいい思い出。笑
(プレッシャーは半端ない)
大河ドラマ「真田丸」のオフィシャル応援勇士を拝命して、全国を駆け回ったり、毎週のように上田に帰ったり。
全国各地でイベント
web連載が週に2本
上田、群馬の沼田、和歌山の九度山、真田ゆかりの地を駆け回りました。
(写真はニコニコ超会議、超真田丸)
(京都の天皇賞)
関ケ原観光大使のご縁で
関ケ原女性武将隊巴組で、人生初、アイドルユニットの経験。
歌とダンスに奮闘…かえちゃんと葉月ちゃんに助けられました。
サンミュージック歴史トリオ
お侍ちゃんとガリベンズさんと「お城イズム」のトークショーも各地で。
最後のおお仕事は「高校講座 日本史」レギュラー出演。
世界史から7年が経ち、少しは成長をみせられたかな?
そうでもないか。
初めてのレギュラーも、最後のレギュラー番組も高校講座でした。
NHK「最強の城スペシャル」のシリーズもたくさんの人に見ていただいて、よく「お城の番組見てるよ」と声をかけていただくようになりました。
こちらも、まだ、放送が控えてます!
心に残るお仕事を振り返ると、キリがありませんね。。。
かけがえのない、貴重な経験を、たくさんさせていただきました。
トークも下手で、かわいくもなく、目立つのが苦手で。
何の才能もない私が、よくここまでやってこれたなぁと奇跡のように感じます。
強い想いだけで、諦めずに、愚直にやってこれたと思います。
(あと、運もよかったです。)
お仕事は、先日のゲーム「大三国志」youtube生放送が最後でした。
いつもどおり、全力で頑張りました。
友人お手製、歴ドルデビューのときにきた、諸葛孔明の衣装、12年間お世話になりました。
大学の卒業式もこれで出席した思い出の衣装。笑
小日向えりという名前は、引き続き起業家としても使うこととなり、まだまだ長い付き合いになると思います。
SNSの時代、発信もし続けますが
区切りとして、ブログはやめて、起業家小日向えりとして、noteを始めようと思っています。
まだ、ロケや収録が終わって放送を控えている番組もありますので
今後、出演する番組の告知はこちらのブログでお知らせさせていただきます。
NHK Eテレ「高校講座日本史」も引き続き放送されるので、ご覧いただけましたら、幸いです。
今、私が、すべてを賭けたい夢は、高齢者支援の「株式会社ぴんぴんころり」
まだ社員は3人、メンバーも10人未満の小さな会社ですが
「東京かあさん」というサービスも、支えてくれる仲間たちも、株主のみなさんも大好きで、私の宝物です。
高齢者が生涯現役でイキイキと、女性は育児もキャリアも諦めない。
そんな社会を実現します。
毎日夢中で、頭の中がいっぱいで、楽しい山登りの2合目くらいです。
歴史アイドルのプロ(?)としてのお仕事は終わりますが、
歴史は趣味として、これからも一生楽しんでいきますし、会社の経営にも活かしていきたいです。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
全然有名でもないのに、引退だなんて、大げさだと思われてしまったかもしれませんが…
デビュー当時から17年間もの間(!)応援してくださってた方もいて
ここに至るまでの、私の気持ちを、ありのままに伝えたいと思いました。
小日向えりの、新たな挑戦を、あたたかく見守っていただけると幸いです。
2020年5月21日 小日向えり