ボンビーガール自慢 バイト編
ボンビーガール自慢
続きまして、バイト編です
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長期のバイトが見つかるまでは、日雇いでスーパーの実演販売などをした。
初めて決まったバイトは写真館。横浜の名門老舗のホテルニューグランドでの挙式のアルバムづくり。
手焼きの写真を切り貼りして、アルバムを手作りしていきます。
高校のころは写真部だったから、好きな写真に関われるお仕事で楽しかった。
他には、家庭教師や早朝のコンビニ、中華料理屋、和食料理屋などで働いた。
6時〜9時までのコンビニバイトは終わったあとに廃棄のお弁当をたくさん食べて、朝ごはんとお昼ご飯を節約!
奨学金を10万円もらっていたので、奨学金10万(実質の仕送り)とバイト代で、生活費や家賃をまかなう。
十分な気もするけど、芸能の仕事はかけだしなので、収入よりも支出が多かったです。
通帳残高は月末は数百円になることも珍しくなかった。
なんとか家賃を捻出し、毎月大家さんに手渡しして
「よかった!今月も支払えた!」とホッと胸をなでおろす。
どんくさいので結婚式のアルバムをつくるバイトはクビになり
中華料理店のウエイトレスはお皿をわったり注文を間違えたり(声かけられると断れず、注文をいちどにたくさんのテーブルから受けすぎる)
おっちょこ斎(Twitter参考)が原因でクビになりました。
中華料理屋さんは中華街にあって、中華料理がまかないで食べられるのと、関帝廟にしょっちゅうお参りできて、楽しかったんだけどなー。
(輸入雑貨店で三国志のグッズを探すのがブームでした。孔明コスプレの羽扇も中華街でゲット)
家庭教師の才能はあったと思う。
担当した子はすごく成績が伸びて、平均点をとれなかった中学生の子が80点、社会では90点を叩き出し、親御さんに喜んでもらえた。
ある日、小学生の生徒が私の部屋に遊びにきたときは
「クロサギの黒崎が住むアパートみたい…」と言われてちょっとショックだったな…(;_;)子供は正直
外観は、まぁ古かったけど、中はリフォームしていてきれいで、お風呂とトイレも別だったんだよ!!
老夫婦の大家さんが1階に住んでいて、手作りのおはぎを差し入れしてくれたり、着付けをしてくれたり…
カラテカ矢部さんの「大家さんと僕」のように仲良かった。(やっぱり「電波少年」が大好き。笑)
大家さんは「うちのアパートに住む子はみんな出世するのよ」って言ってた。
何かの宗教に入っていて、毎日私のためにお祈りを欠かさずしてくれた。
そのおかげか?!芸能の仕事も増えていったのかもしれない。(笑)
「庭に生えているニラは自由にとって、食べていいからね!」って言われていたので、ニラをつんで食べてた。
ニラと見た目そっくりな雑草がトラップで生えているため、採ったあとに、匂いで嗅ぎ分け嗅ぎ分け、ニラを収穫してた(笑)
ニラでできる料理ってなんだろう…!?
チヂミだ!小麦粉あればできるし!!
というわけで、チジミが得意料理の一つになったのでした♥
やっとニラの話が出た(笑)
バイトで1番長く続いたのは高級和食料理屋さん。
長くお世話になり、今でもお店とは連絡をとってます。
私のドジな性格は変わりませんが、テキパキよりもゆっくり丁寧な接客を求められるお仕事。
うちの母が比較的マナーに厳しく、速く動くのが苦手でどんくさい…
良く言えばおっとりしていた私には中華料理屋さんより向いていたのかな?!
言葉遣いでは、随分お客様から勉強させてもらい
お部屋までの案内の途中に
「今日は暑いですね」と言うと
「『暑いですね』、じゃなくて…『お暑うございますね。』だろう?!言葉遣いに気をつけなさい」
お着物で接客するのですが、うまく着れてないと
「新人か?着付けがなってない。」
そんな風に叱っていただき、注意されないようになんとか一人前になろうと、練習した。(今でも半人前)
今でも言葉使いや立ち振る舞いには敏感になり、着付けもある程度できるようきなって、とても良い経験をさせていただきました!
(女将さんを含め、フェリス女学院の方が昔から多かったので、そのお店ではデフォルトの挨拶が「ごきげんよう」。←)
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ボンビーガール自慢…
恐怖の帰省代
に続く!